マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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窪之庄の行事2

2012年09月21日 08時41分28秒 | 楽しみにしておこうっと
6月の田植えを終えれば農休み。

農休みを「さなぶり」と呼んでいたと、平成4年4月に編纂発刊された小冊子『語りつごう、くらしの文化』に記されている。

それによれば、アカメシ(赤飯)を荒神(こうじん)さんと呼ばれる竃(かまど)に供えたそうだ。

クロメ、野菜、マメのメシを食べる。

1把の苗はオクドサン(竃)の上にマメのメシを供えるとある。

田植えを終えた奈良市窪之庄に再び訪れた。

お世話になったH家を尋ねていった。

マメの件は聞くことなかったが、田植えを終えたその日に苗一把を炊事場など4か所に供えたという。

いまでもそのようなことをしているのは数軒だという。

ちなみに苗代に挿していた「ゴボウサン(ゴオウサンであろう)」は持ち帰ってとんどで燃やすという。

それを拝見した「ゴボウサン」を挿してある木はイチジクの木だという。

数々のゴオウサンを拝見してきたがイチジクの木は初めて見るものだ。

それらは、ウルシ、フジ、ヤナギなどであったが初見のイチジク。

お許しをいただいてお札を広げてみれば「牛王 八阪神社 宝印」の文字がある。

それには三か所に亘って朱印が押されている。



まさにゴオウサンである。

八阪神社はかつて牛頭天王社と呼ばれていた。

いわゆる「ゴズサン」である。

「ごずサン」と「ゴボウサン」は似ても非なるものである。

おそらく神宮寺があったものと考えられる朱印。

いつしかお寺が廃れて神社行事に移ったものと思われる。

初めて目にしたご夫婦。苗代に立てる意味を始めて知ったという。

そのお札のことは、2年前に訪れた際にSさんに教わった。

八坂神社に牛頭天皇祭がある。

初集会でもある、その日は宮方によって行われる。

めいめいが神社に参拝したあとは公民館に集まる。

そこにお札を並べておく。

集会を終えた氏子たちはそれを持ち帰るということだ。

H夫妻もそう話す。

集会所で行われるのは村の集会で新年会も兼ねているそうだ。

そこには予め作っておいたお札が20本。

それを持ち帰る、或いは配るというのだ。

苗代の水口マツリ、田植え後のナエサン供えをしてきたH家では稲刈りを終えたときにも家の行事をされる。

稲刈りに使ったカマを箕の上に載せているという。

8月13日はオショウウライサン迎え。

ムエンサンにはトーシにドロイモの葉を敷いて食べ物を供える。

そこには二尾のサシサバも置くという。

カラカラに乾いた塩漬けのサバは柔らかめ。

食べればものすごく辛いという。

昨年に伺った山添村のサシサバは堅めだったが、今でもサシサバが窪之庄であるとは思いもよらなんだ。

両親が揃っておれば二尾とするのも同じ有り方だ。

かつて八坂神社のトーヤを勤めたことがあるというH家。

息子のときだった。

授かった御幣は今でも家に残しているという。

不要の判断になったときは神社の樹木に括りつける。

それらの行為をされた分が今でも残る神社だ。

同じことをSさんが話していたことを思い出す。

また、マツリにはキョウと呼ばれるメシを一合枡に詰めて作っていたそうだ。

ウルチ米であったから押してもバラバラになるという。

押し固めるにはモチゴメを少々いれなければならないと話す。

この件は柳生の宮司さんが話していた。

四角いメシ(ムシメシ)や大きなお団子状のメシもあったというからそれであろう。

そのマツリではトーヤが神社へ向けてお渡りをしていた。

辻ごとに発声する詞は「トーニン、トーニン、笑いましょ、ワッハッハ」であったようだ。

(H24. 7.22 SB932SH撮影)


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