マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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白河秉田神社の鬼鎮

2014年08月06日 07時19分00秒 | 楽しみにしておこうっと
4日前に下見に訪れた桜井市の白河(しらが)。

神社があるはずだと思って、慣れない集落道を通って行くが道路は工事中で通行不能だった。

諦めて下った畑におられた婦人に聞いた秉田(ひきた)神社は急坂を数百メートルも登る地に鎮座する。

その婦人は神社で「ケイチン」行事をしていると話していた。

『桜井町史』によれば「ケイチン」は「鬼鎮」と書いてあった。

「ケイチン」は村行事ではなく、旧家の特定家6軒の営みのようだ。

その6軒以外の村の人は知らない行事だと話す。

伺った婦人は6軒のうちの1軒だったので判った「ケイチン」を拝見したく再訪した白河。

当番の2軒が梅の木の枝で作った弓・矢で「鬼」を射ると云うのだが、時間帯は2軒の当番で決められるので判らないと話していた。

この日にされることを信じて北椿尾のとんど取材を終えて急行した。

裏道の農道を登っていった。

この日は祝日だったので道路工事はされていない。

秉田神社は見つかったが、それらしき村人はいなかった。

参拝を済ませて帰ろうと思ったときのことだ。



傍に立っていた木の下にあった白い紙。

もしやと思ってみれば「鬼」の字の書である。

「ケイチン」は既に終わっていたのだ。

鬼の的の枠組みも、弓も、矢もすべてが梅の木の枝である。



実にシンプルな手作りである。

鬼の的には2本の矢が刺さっていた。

その辺りをみれば前年の弓・矢と思われる残骸もあった。



映像では判り難いが、左側である。

このとき訪れていたハイカーは、その残骸にまったく気がつかなかった。

「ケイチン」を意識していない男性は発見できなかったようだ。

秉田神社拝殿前に建ててあった燈籠に刻印があった。

左側の燈籠は嘉永七年(1854)三月に建之された白山大権現。

右側は同じく嘉永七甲寅年三月に建之された春日大明神である。

鳥居前にあった石塔は天保十二年(1841)七月に寄進された大神宮だ。

「ケイチン」の痕跡を拝見したお礼に立ち寄った婦人の家は区長家。

婦人が云うには、6軒の営みであるが、当番の人しか行かないようだ。

矢は一人ずつ、鬼に当たるまで射ると云う。

この年はおそらく9時にしたようだと云う。

最近発行された『大和さくらい100選』の伝統行事の一つに「白河のケイチン」が選ばれていることを知ったのは後日だ。

桜井市各地でされているケイチンとも呼ぶ鬼打ち行事は白河の他に小夫、鹿路、吉隠、三谷もある。

市内外からの公募400点余りから選択された結果であるが、何故に白河が選ばれたのか判らない。

(H26. 2.11 EOS40D撮影)


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