田原本町多に鎮座する多坐弥志理都比古(おおにますみしりつひこ)神社の東方に多の集落がある。
その中間に位置する辺りに観音堂がある。
田んぼの田園に囲まれたところにお堂がある。
普段は扉を閉じているお堂は1月と7月に開けられる。
それは多集落の観音講の行事がある日だけだ。
1月は年始めの行事とする「ボダイボダイ」で講中の男性たちがお堂の床を青竹で叩きまくる。
正月行事の一つである初祈祷に際して行われるランジョウの床叩きだ。
その日は年当番の当屋が作られたスゴボウを食べる。
いわゆる牛蒡喰いの行事である。
観音講の営みは7月にも行われるが特に法要もなくアンツケモチとムシナスを食べる日である。
それは7月18日と決まっていたが集まりやすい土曜か日曜になった。
その日は18日を越してはならないという。
早朝から集まってきたのは当屋(トヤ)と副当屋に4人のコメアライ。
コメアライは作業の手伝いにあたる。
以前はコメアライが5人だったがそのうちの一人を副当屋に格上げされた。
当屋の勤めは年番だが講中が25軒もあることから回りは25年周期。
当屋を担うには25歳も歳いってからとなる。
かたやコメアライは5人組みで回るので5年越し。
いずれにしても二つの料理を作るには忘れてしまうほど年月が経ってしまうことから平成18年から副当屋を設けたそうだ。
そういう意味から次の年には当屋にあたる副当屋はミナライとして、当屋の指示に沿って作業を進める。
ムシナスは皮を剥いて蒸し器に入れる。
その数はなんと55本。
それを半切りにして切れ目を入れておく。
それを何回も分けて蒸していく。
そのムシナスを食べる餡も作る。
それは味噌仕立てで酢を入れるからスミソと呼んでいる。
それを食べるときに田楽のようにつけて食べるスミソだ。
下味にミリンとサトウを入れて混ぜる。
そこにはゴマも入っている。
蒸したムシナスはゴジュウタに入れておく。
一方、モチ作りは力仕事となるが現在はモチ搗きの機械で作る。
モチゴメは7升。
余裕をみて8升も搗いた。
マルモチにするのだがこれも機械仕立て。
ハンドルをグルグル回して出てきたモチを手で丸める。
大きさはといえば3回半と引き継ぎでいわれていたがそれでは小さすぎるからそれ以上に回す。
片栗粉を塗してくれもコジュウタにいれておく。
その数はなんと240個。
観音講の戸数は30軒だったが、近年は徐々に減って25軒。
当時は1軒について8個としていた。
戸数は減ってもモチの数は変わらないから1軒辺り10個にしなくてはと言いながら作られたが、パック詰めの容量の関係もあって結局は8個とされた。
そのモチは砂糖を入れて小豆餡を炊いた大鍋に入れる。
底へ沈めて漬け込むように入れるから「漬物みたいだな」と話す。
こうしなければ餡がモチに馴染まないのだという。
かつてはシオアンのモチだったアンツケモチはパックに詰めて出来上がった。
ここまでで4時間もかかった調理作業は一息いれて、当屋の接待で昼の会食をいただく。
午後の講中のヨバレの時間に間に合ったとほっとされる当屋夫婦。
4年前までは当屋の家でこれらのごちそうを作っていた。
「講中の数だけ器も用意せなあかんからたいそうだった」と話す。
46年前は杵と石臼でモチを搗いて、手でちぎっていたというから理解できる。
今では平成2年に竣工した公民館(当時は119戸)を貸してくれるようになったからありがたいことだと語る。
7月18日の観音講の行事の正式な名称はないそうだ。
田植えを終わらせて夏場を乗り切るこの時期に講中の健康を祝う行事のようで、アンツケモチを食べるのはハラモチ(ハラワタモチと呼ぶ婦人もいる)が良くて腹痛を起こさない予防の意味があるという。
また、この日は観音さんの誕生日だともいって「それを祝うのでは・・・」と声を揃えて話す。
(H23. 7. 9 EOS40D撮影)
その中間に位置する辺りに観音堂がある。
田んぼの田園に囲まれたところにお堂がある。
普段は扉を閉じているお堂は1月と7月に開けられる。
それは多集落の観音講の行事がある日だけだ。
1月は年始めの行事とする「ボダイボダイ」で講中の男性たちがお堂の床を青竹で叩きまくる。
正月行事の一つである初祈祷に際して行われるランジョウの床叩きだ。
その日は年当番の当屋が作られたスゴボウを食べる。
いわゆる牛蒡喰いの行事である。
観音講の営みは7月にも行われるが特に法要もなくアンツケモチとムシナスを食べる日である。
それは7月18日と決まっていたが集まりやすい土曜か日曜になった。
その日は18日を越してはならないという。
早朝から集まってきたのは当屋(トヤ)と副当屋に4人のコメアライ。
コメアライは作業の手伝いにあたる。
以前はコメアライが5人だったがそのうちの一人を副当屋に格上げされた。
当屋の勤めは年番だが講中が25軒もあることから回りは25年周期。
当屋を担うには25歳も歳いってからとなる。
かたやコメアライは5人組みで回るので5年越し。
いずれにしても二つの料理を作るには忘れてしまうほど年月が経ってしまうことから平成18年から副当屋を設けたそうだ。
そういう意味から次の年には当屋にあたる副当屋はミナライとして、当屋の指示に沿って作業を進める。
ムシナスは皮を剥いて蒸し器に入れる。
その数はなんと55本。
それを半切りにして切れ目を入れておく。
それを何回も分けて蒸していく。
そのムシナスを食べる餡も作る。
それは味噌仕立てで酢を入れるからスミソと呼んでいる。
それを食べるときに田楽のようにつけて食べるスミソだ。
下味にミリンとサトウを入れて混ぜる。
そこにはゴマも入っている。
蒸したムシナスはゴジュウタに入れておく。
一方、モチ作りは力仕事となるが現在はモチ搗きの機械で作る。
モチゴメは7升。
余裕をみて8升も搗いた。
マルモチにするのだがこれも機械仕立て。
ハンドルをグルグル回して出てきたモチを手で丸める。
大きさはといえば3回半と引き継ぎでいわれていたがそれでは小さすぎるからそれ以上に回す。
片栗粉を塗してくれもコジュウタにいれておく。
その数はなんと240個。
観音講の戸数は30軒だったが、近年は徐々に減って25軒。
当時は1軒について8個としていた。
戸数は減ってもモチの数は変わらないから1軒辺り10個にしなくてはと言いながら作られたが、パック詰めの容量の関係もあって結局は8個とされた。
そのモチは砂糖を入れて小豆餡を炊いた大鍋に入れる。
底へ沈めて漬け込むように入れるから「漬物みたいだな」と話す。
こうしなければ餡がモチに馴染まないのだという。
かつてはシオアンのモチだったアンツケモチはパックに詰めて出来上がった。
ここまでで4時間もかかった調理作業は一息いれて、当屋の接待で昼の会食をいただく。
午後の講中のヨバレの時間に間に合ったとほっとされる当屋夫婦。
4年前までは当屋の家でこれらのごちそうを作っていた。
「講中の数だけ器も用意せなあかんからたいそうだった」と話す。
46年前は杵と石臼でモチを搗いて、手でちぎっていたというから理解できる。
今では平成2年に竣工した公民館(当時は119戸)を貸してくれるようになったからありがたいことだと語る。
7月18日の観音講の行事の正式な名称はないそうだ。
田植えを終わらせて夏場を乗り切るこの時期に講中の健康を祝う行事のようで、アンツケモチを食べるのはハラモチ(ハラワタモチと呼ぶ婦人もいる)が良くて腹痛を起こさない予防の意味があるという。
また、この日は観音さんの誕生日だともいって「それを祝うのでは・・・」と声を揃えて話す。
(H23. 7. 9 EOS40D撮影)