明るいうちに着いて拝見したい地蔵盆がある。
シンコダンゴにちょんちょんと色付けする。
3色の色粉で色付けしたシンコダンゴは藁筒に串挿しする。
数が多いから見事なものだと思った。
その前には塗り椀に盛った御膳も供える。
また、野菜で作った御膳も供える。
私が初めて拝見したのは平成26年の8月24日だった。
そのときの話しを写真家Kさんに伝えたら是非見たいという。
民俗を取材している者にとっては是非ともとらえておきたい行事は視点を替えて記録に残してほしい。
そう思って案内する吉野町丹治の地蔵盆。
丹治で行われる地蔵盆は垣内ごとにある。
2年前に訪れて取材した垣内は上第一・第二・第三・中一組、中二組(木戸口)、向丹治(むかいたんじ)だった。
その日は時間も足らずで金龍寺境内の地蔵仏やワセダ地蔵仏に飯貝(いがい)の三地区は拝見できなかった。
多数の地区でされているだけにどこに絞って良いやら悩ましい。
この日は丹治だけでなくまだまだ取材しなければならない地域が多い。
仕方なく、と云えば申しわけないが、この日だけが山から下ろして祭っているという向丹治垣内に決めた。
2年も経てば当番の人は違っている。
特徴的なお供えもある向丹治を再訪させてもらったことを伝えて取材の了解を得る。
拝見したシンコダンゴは同じであった。
桶の台に立てたシンコダンゴが美しい。
塗りの御膳もまた美しい。
すべての椀の蓋は開けていなかったのでごく一部であるが撮らせていただく。
中央の椀はプチトマトを添えたゴマ振りのキュウリ揉み。
その横の椀は生野菜。
ササゲマメ、オクラにニンジンがはみ出している。
母親は家でお供えするシンコダンゴを作っている。木枠に搗いたモチ(ダンゴ)を入れて型を作る。
木枠はいくつかあり、それぞれが異なる形状をしている。
型枠に入れて作ったモチは色粉で色付けしている。
そう話してくれた女性にもしよろしければと作っている状況を取材したいと申し出た。
女性が云った。
「顔だしせず、手だけなら・・・」という条件付きの撮影に許可してくださった。
女性が住む家では母親が中心となってシンコダンゴの御供作りをしている。
毎年のことで、小さいころから作業を手伝っていると云う。
案内されたお家に上がらせてもらう。
木枠にモチを詰めて型取りをする。
こういう具合にしていると説明してくださる。
型抜きはいろんな形がある。
一枚の型枠に数個の型抜きがある。
象や亀、梅、松、蝶、栗、桃、貝などすべてが手造りの型抜き枠。
昔の丹治では各戸にこうした型抜き枠があった。
それぞれの家が独自に作った型抜きでシンコダンゴをこしらえていたそうだ。
うち一枚の型抜きの側面に「十七年」の文字があった。
型抜きが我が家のものであることがわかるように印もある。
三代前のお爺さんが型枠を作っていたという刻印である。
お爺さんの兄弟は大工さん。
その技量もあって作られたようだ。
「十七年」の年代は平成でなく、昭和のような気がする。
朝から蒸して作っていたシンコダンゴは熱いお湯を入れて捏ねて作る。
子どもも作れる型抜きは好きな型に嵌めて作っていたそうだ。
色粉の塗りは3色。順番は特に決まっていない。
好きな色から塗り始める。
色塗りは塗るという表現はし辛い。
色塗りは小さな点のようにポチッと押すようにつける。
容器に溶かした色粉に箸のような小さな木片を浸ける。
滴が落ちないように、それをシンコダンゴにちょん、という具合だ。
緑色、黄色、赤色をちょんとつける。
ちょんの位置も数も決まりはないようだ。
型枠によってちょんの位置も違うのでそうなる。
コウジブタに入れたシンコダンゴに色がつくと綺麗に見える。
シンコダンゴの化粧はこうした作業をもって作られていること教えてくださった当家に感謝する。
ちなみに母親はシンコダンゴだけでなく何がしかの祭りや祝い事があれば柿の葉寿司を作っていると云う。
柿の葉で包んだ寿司米は自家製の桶に押して詰める。
7月10日に行われる神社行事のサナブリにはコムギモチも作って供えるという。
なにかと手造りが多い当家の話しはまだある。
2月1日に行われる地蔵さんの厄除け参りだ。
前厄に当たる年は41個の餅を持って各垣内にある地蔵さんに供えて参る。
翌年は本厄。
その年は42個の餅を持って参る。
次の年は後厄だ。
その年は43個の餅。
来年の平成29年は後厄になると話してくれた。
丹治の厄払いの地蔵さん参りは未だ拝見できていない。
該当する人がどこにおられるのかさっぱり掴めない。
厄でない場合は当然ながら参ることはない。
地蔵さんの前で待っていても現れることはない。
参ったことがあるという人にお話を聞いたことがあり、上第一地区の地蔵さんで待っていたが、出合わなかった。
朝7時ぐらいにしていると聞いていたが、だれ一人として現れないので諦めて帰ったことがある。
シンコダンゴ作りを拝見させてもらったお家にすがりつく県内事例に見られない丹治の伝統行事に初取材ができそうだ。
こんな出会いがあった向丹治にもう一度感謝した。
こうした話をしてくださった当家は再び向丹治の地蔵さんに参って作りたてのシンコダンゴを供えられた。
そこには先ほどなかった野菜造りの御膳が立っていた。
立っていたのはナスビで作ったポケモンに登場するカビゴンだ。
私は見たことがないからこれが本物・・・かどうかわからない。
どうであれ、胴体は丸ナスで腕は細いナスビ。
手はミョウガで足はゴボウで作っていた。
その前にあるのはプチトマトで作ったモンスターボールである。
これは地蔵盆に3年に一度の廻りになるトヤ家が作った御膳である。
その左横に作りたての色付けシンコダンゴ。
皿に盛られてラップ包みで供えた。
とん、とん・・。
朝から枡で計った米粉。
日光に当てた粳米が10割に対して餅米を1割。
お米をはたいてもらってくる。
はたくのは上へいくほどはたいてもらったシンコ(新米)で作った。
隣村になる吉野町の新子(あたらし)はコロコロまきのお団子だった。
コロコロさんを潰してみたらしのようにして食べると当家の母親が云っていた。
(H28. 8.24 EOS40D撮影)
シンコダンゴにちょんちょんと色付けする。
3色の色粉で色付けしたシンコダンゴは藁筒に串挿しする。
数が多いから見事なものだと思った。
その前には塗り椀に盛った御膳も供える。
また、野菜で作った御膳も供える。
私が初めて拝見したのは平成26年の8月24日だった。
そのときの話しを写真家Kさんに伝えたら是非見たいという。
民俗を取材している者にとっては是非ともとらえておきたい行事は視点を替えて記録に残してほしい。
そう思って案内する吉野町丹治の地蔵盆。
丹治で行われる地蔵盆は垣内ごとにある。
2年前に訪れて取材した垣内は上第一・第二・第三・中一組、中二組(木戸口)、向丹治(むかいたんじ)だった。
その日は時間も足らずで金龍寺境内の地蔵仏やワセダ地蔵仏に飯貝(いがい)の三地区は拝見できなかった。
多数の地区でされているだけにどこに絞って良いやら悩ましい。
この日は丹治だけでなくまだまだ取材しなければならない地域が多い。
仕方なく、と云えば申しわけないが、この日だけが山から下ろして祭っているという向丹治垣内に決めた。
2年も経てば当番の人は違っている。
特徴的なお供えもある向丹治を再訪させてもらったことを伝えて取材の了解を得る。
拝見したシンコダンゴは同じであった。
桶の台に立てたシンコダンゴが美しい。
塗りの御膳もまた美しい。
すべての椀の蓋は開けていなかったのでごく一部であるが撮らせていただく。
中央の椀はプチトマトを添えたゴマ振りのキュウリ揉み。
その横の椀は生野菜。
ササゲマメ、オクラにニンジンがはみ出している。
母親は家でお供えするシンコダンゴを作っている。木枠に搗いたモチ(ダンゴ)を入れて型を作る。
木枠はいくつかあり、それぞれが異なる形状をしている。
型枠に入れて作ったモチは色粉で色付けしている。
そう話してくれた女性にもしよろしければと作っている状況を取材したいと申し出た。
女性が云った。
「顔だしせず、手だけなら・・・」という条件付きの撮影に許可してくださった。
女性が住む家では母親が中心となってシンコダンゴの御供作りをしている。
毎年のことで、小さいころから作業を手伝っていると云う。
案内されたお家に上がらせてもらう。
木枠にモチを詰めて型取りをする。
こういう具合にしていると説明してくださる。
型抜きはいろんな形がある。
一枚の型枠に数個の型抜きがある。
象や亀、梅、松、蝶、栗、桃、貝などすべてが手造りの型抜き枠。
昔の丹治では各戸にこうした型抜き枠があった。
それぞれの家が独自に作った型抜きでシンコダンゴをこしらえていたそうだ。
うち一枚の型抜きの側面に「十七年」の文字があった。
型抜きが我が家のものであることがわかるように印もある。
三代前のお爺さんが型枠を作っていたという刻印である。
お爺さんの兄弟は大工さん。
その技量もあって作られたようだ。
「十七年」の年代は平成でなく、昭和のような気がする。
朝から蒸して作っていたシンコダンゴは熱いお湯を入れて捏ねて作る。
子どもも作れる型抜きは好きな型に嵌めて作っていたそうだ。
色粉の塗りは3色。順番は特に決まっていない。
好きな色から塗り始める。
色塗りは塗るという表現はし辛い。
色塗りは小さな点のようにポチッと押すようにつける。
容器に溶かした色粉に箸のような小さな木片を浸ける。
滴が落ちないように、それをシンコダンゴにちょん、という具合だ。
緑色、黄色、赤色をちょんとつける。
ちょんの位置も数も決まりはないようだ。
型枠によってちょんの位置も違うのでそうなる。
コウジブタに入れたシンコダンゴに色がつくと綺麗に見える。
シンコダンゴの化粧はこうした作業をもって作られていること教えてくださった当家に感謝する。
ちなみに母親はシンコダンゴだけでなく何がしかの祭りや祝い事があれば柿の葉寿司を作っていると云う。
柿の葉で包んだ寿司米は自家製の桶に押して詰める。
7月10日に行われる神社行事のサナブリにはコムギモチも作って供えるという。
なにかと手造りが多い当家の話しはまだある。
2月1日に行われる地蔵さんの厄除け参りだ。
前厄に当たる年は41個の餅を持って各垣内にある地蔵さんに供えて参る。
翌年は本厄。
その年は42個の餅を持って参る。
次の年は後厄だ。
その年は43個の餅。
来年の平成29年は後厄になると話してくれた。
丹治の厄払いの地蔵さん参りは未だ拝見できていない。
該当する人がどこにおられるのかさっぱり掴めない。
厄でない場合は当然ながら参ることはない。
地蔵さんの前で待っていても現れることはない。
参ったことがあるという人にお話を聞いたことがあり、上第一地区の地蔵さんで待っていたが、出合わなかった。
朝7時ぐらいにしていると聞いていたが、だれ一人として現れないので諦めて帰ったことがある。
シンコダンゴ作りを拝見させてもらったお家にすがりつく県内事例に見られない丹治の伝統行事に初取材ができそうだ。
こんな出会いがあった向丹治にもう一度感謝した。
こうした話をしてくださった当家は再び向丹治の地蔵さんに参って作りたてのシンコダンゴを供えられた。
そこには先ほどなかった野菜造りの御膳が立っていた。
立っていたのはナスビで作ったポケモンに登場するカビゴンだ。
私は見たことがないからこれが本物・・・かどうかわからない。
どうであれ、胴体は丸ナスで腕は細いナスビ。
手はミョウガで足はゴボウで作っていた。
その前にあるのはプチトマトで作ったモンスターボールである。
これは地蔵盆に3年に一度の廻りになるトヤ家が作った御膳である。
その左横に作りたての色付けシンコダンゴ。
皿に盛られてラップ包みで供えた。
とん、とん・・。
朝から枡で計った米粉。
日光に当てた粳米が10割に対して餅米を1割。
お米をはたいてもらってくる。
はたくのは上へいくほどはたいてもらったシンコ(新米)で作った。
隣村になる吉野町の新子(あたらし)はコロコロまきのお団子だった。
コロコロさんを潰してみたらしのようにして食べると当家の母親が云っていた。
(H28. 8.24 EOS40D撮影)