本来ならばこの時期に採れた野菜などをお供えをするのであるがと前置きされた住職。
この日は大和郡山市の旧村の一つである白土町の地蔵盆。
浄福寺境内で営まれる。
かつてはソラマメを甘く炊いたものを供えていた。
供える家の味付けだったようで4、5軒が供えていたそうだ。
地蔵盆を終えればソラマメを少しずつ分けて持ち帰る。
それを「ホウセキ」と呼んでいた。
「ホウセキ」はおやつ。
いつしかお菓子に移り替った。
「南無阿地蔵菩薩」の名を刻む六字名号石は江戸時代に建立された石仏。
どこからか出てきた石仏はお寺で祀るようになったと話す。
古くなった地蔵堂。
お地蔵さんを信心する施主たちが寄進を寄せてお堂を改修された。
平成20年のことだという。
その際に揃えた提灯が左右に立ち並ぶ。
施主は50軒ほどにもなるというから村人のほとんどが協力したそうだ。
日が暮れたころにやってきた村の子供たち。
親とともに参拝する。
提灯に火が灯されて始まった地蔵盆会。
住職が唱える地蔵経に心静かに耳を澄ませる。
お供えをされた人たちの名を詠みあげる。
「なむあみだぶー なむあみだぶつ」の追善供養もされた。
お念仏を終えれば一人ずつ焼香する。
住職が子供のときは同級生が8人もいた。
1クラスが50人だったと話す。
当時の学校グランドは石ころだらけだった。
朝早くから遊んでいた。
「お地蔵さんは、どんなことをしていても子どもたちを見てくれる。ここに来て遊ぶ子は元気な子だ」と集まった子どもたちに話しかける。
地蔵盆会を終えればお楽しみの花火大会。
お寺公認の花火が上がる。
一つ、一つの打上花火を並べては火を点ける住職。
ボンと発する音に驚く子もいるが視線は天空へ。
夜空に打ち上がる花火に見惚れる。
数えてみればおよそ60発。
夏の夜のひとときを楽しんで帰っていった。
(H24. 7.23 EOS40D撮影)
この日は大和郡山市の旧村の一つである白土町の地蔵盆。
浄福寺境内で営まれる。
かつてはソラマメを甘く炊いたものを供えていた。
供える家の味付けだったようで4、5軒が供えていたそうだ。
地蔵盆を終えればソラマメを少しずつ分けて持ち帰る。
それを「ホウセキ」と呼んでいた。
「ホウセキ」はおやつ。
いつしかお菓子に移り替った。
「南無阿地蔵菩薩」の名を刻む六字名号石は江戸時代に建立された石仏。
どこからか出てきた石仏はお寺で祀るようになったと話す。
古くなった地蔵堂。
お地蔵さんを信心する施主たちが寄進を寄せてお堂を改修された。
平成20年のことだという。
その際に揃えた提灯が左右に立ち並ぶ。
施主は50軒ほどにもなるというから村人のほとんどが協力したそうだ。
日が暮れたころにやってきた村の子供たち。
親とともに参拝する。
提灯に火が灯されて始まった地蔵盆会。
住職が唱える地蔵経に心静かに耳を澄ませる。
お供えをされた人たちの名を詠みあげる。
「なむあみだぶー なむあみだぶつ」の追善供養もされた。
お念仏を終えれば一人ずつ焼香する。
住職が子供のときは同級生が8人もいた。
1クラスが50人だったと話す。
当時の学校グランドは石ころだらけだった。
朝早くから遊んでいた。
「お地蔵さんは、どんなことをしていても子どもたちを見てくれる。ここに来て遊ぶ子は元気な子だ」と集まった子どもたちに話しかける。
地蔵盆会を終えればお楽しみの花火大会。
お寺公認の花火が上がる。
一つ、一つの打上花火を並べては火を点ける住職。
ボンと発する音に驚く子もいるが視線は天空へ。
夜空に打ち上がる花火に見惚れる。
数えてみればおよそ60発。
夏の夜のひとときを楽しんで帰っていった。
(H24. 7.23 EOS40D撮影)