12月29日、配られた新聞チラシのなかにあった春日大社の「春日通信20号」。
20年ごとに行われる式年造替(しきねんぞうたい)のスケジュールも載っていた。
平成27年は仮殿遷座関係儀式、平成28年は本殿遷座関係儀式だ。
同じように20年ごとに行われる曽爾村小長尾の天神社。
寛文四年(1664)の創建と伝えられている。
内・外氏子たちの寄附を募って本社・小宮・鳥居などを新しくされた。
造営祭典に子供が槌を打つ儀式があると知らされて出かけた。
その件を聞いたのは同年の7月29日。
小長尾で行われている「センゲンサン」行事の聞き取りの際に教えてくださった。
造営祭典には槌打ちの儀式がある。
槌を打つのは法被姿の村の子供たち。
センゲンサンに導師を務めるYさんの孫たちも槌を打つと話していた。
槌打ちは男の子だけでなく女の子も参加する。
0歳児は親が抱っこして参加する。
上は15歳までと決まっている子供が槌を打つ造営祭典は、これまで取材した地域に見られない在り方。
是非とも拝見したく訪れた。
伊勢本街道を走る。
曽爾村に着いたときの道路情報が知らせる朝の気温は3度。
さすがに寒い。
Yさんに教えてもらっていても村役を存じているのは元区長のOさんだけだ。
同氏からは是非ともと云われていた。
神社は造営実行委員の方々が準備作業に忙しく駆け回っていた。
委員長でもある総代を紹介してもらって取材に入る。
委員の一人は曽爾村少年自然の家で仕事に就いているOさん。
自然観察会で長年お世話になっている山ちゃん先生の教え子だった。
奇遇な出会いである。
祭典舞台櫓には扇3枚に五色の垂れがある大幣が1本、小幣が17本あった。
奥には弓やさすまた(刺股)もある。
造営委員会を立ち上げたのは平成25年。
この年の造営祭典は例祭の新穀感謝祭も兼ねている。
子供たちが集まっている場は村の集会所。
法被を着た大勢の子供たちが親とともに来ていた。
法被姿で集まった子供たちは内氏子に外氏子の45人。
生まれたての子供から年長は小学生。
かつては内孫の男児だけであったが、少子化の影響を受けて男児は少ない。
女児も含めて外孫までもということにしたそうだ。
20年前の造営祭典と同様に黄色い襷に豆絞りの鉢巻をした子供たち。
裃姿になった造営棟梁が説明する槌打ち作法に耳を傾ける。
こういう機会は滅多にないと元区長から記念の集合写真を依頼されて撮影に応じる。
失敗は許されるものでなく責任は重いがなんとか撮れてほっとする。
集会所を出発した子供たちは日の丸扇を翳した造営委員についていく。
一種のお渡りであるが、造営棟梁らは先にでかけてしまった。
「本来なら先頭は造営棟梁なんだが」と委員は云ったが時すでに遅しであった。
神社で子供たちを待っていた内氏子に外氏子。
この日はめでたい20年に一度の造営祭典。
「造営」と書いて「ゾーク」と云う。
奈良県東部の東山中では一般的にそう呼んでいる本殿の建て替えであるが、西の葛城地方では「ゾーク」の祭典もなく一部修理で継いでいるようだ。
続々と参拝する内・外氏子たち。
槌を手にした子供とともに参拝する。
祭典の場は紅白の幕を張った舞台櫓だ。
時間ともなれば造営祭典関係者一同は参集する。
委員たちはその下の境内に整列した。
大御幣・弓矢などを立てた舞台櫓に上がるのは総代、棟梁、長老だ。
境内に立っているのは造営委員たち。
氏子らは道沿いに集まって祭典に望む。
小長尾の造営祭典の式典は開式、修跋、降神、献饌、祝詞奏上、造営棟梁による四方祓、棟梁祝詞(よごと)、玉岸奉奠、子供たちの上棟槌打ち、式辞、挨拶、本殿報告祭、例祭、鏡開き、乾杯、ゴクマキ、閉式である。
祝詞奏上の次は造営棟梁による儀式。
舞台櫓のそれぞれの角に移動する。
そこでまき散らすキリヌサは四方祓である。
引き続いて造営棟梁が祝詞を奏上する。
これは目出度い詞で詠みあげる「よごと」と呼ぶ祝詞である。
メインイベントは子供が作法する槌打ちの儀式だ。
舞台櫓袖に立った棟梁が「まんざい トー」と声を挙げて大御幣を「トン」と床を打つ。
それに合せて子供たちが横にした棟木を「トン トン」と打つ。
次は「せんざい とー」だ、同じように槌を打つ。
次は「えいえい トー」で終える槌打ちの儀式である。
「まんざい」、「せんざい」、「えいえい」を充てる漢字は「万歳」、「千歳」、「永々」。
村が永遠に栄えるよう、益々の繁栄を願った目出度い詞の槌打ちは上棟の儀式である。
鶴と亀の文様に「祝 上棟天神社」とある。
記念撮影に一度は立った子供は座って槌を打つ。
背が低い子供たちは太い棟木で被ってしまい顔が見えなくなった。
子供たちが打った太くて長い棟木は水平に置いていた。
それには本社の屋根まで繋げていた紅白の曳綱があるが、曳綱の儀式は見られない。
これまで奈良市誓多林・長谷・都祁南之庄・上深川で拝見した槌打ちは長老の役目。
子供が槌打つ小長尾の在り方は極めて珍しく貴重な存在だ。
話しによれば隣村の門僕神社でも子供が槌打ちをしているらしい。
この地方特有の在り方だろうか。
一生に一度しか味わえない槌打ちをした子供たちを記念に撮っておきたい親たちの気持ちはよく判る。
祭典は造営委員長の式辞、長老の祝辞挨拶に続いて本殿で報告祭が行われる。
神職を先頭に造営委員長。
続いて棟木を恭しくもつ大工棟梁の順に参進される。
この日は例祭の新穀感謝祭も兼ねている村の祭典。
神饌を献上し棟木を新しくなった本殿に納める。
祝詞奏上、玉串奉奠などの例祭を終えれば再び村の祝典に移る。
これより始まるのは氏子総代らの鏡開き。
菰酒樽を祝いの紅白小槌で蓋を打つ。
ぱっと割れた瞬間にお酒の香りが飛び出した。
樽酒を柄杓で汲んで四角い枡に注ぐ。
何杯も何杯も汲んでは氏子に配る。
大勢であるだけに子供を除く全員に回るには時間を要する。
酒枡が揃ったところで乾杯。
子供たちは横目で様子を見ていた。
それからしばらくは村人らの歓談の場。
ひしめき合いながらも久しく顔を合わせて喜びを分かち合う。
酒の肴は村の接待料理。
手作り料理が配られる。
胡麻を振ったスゴボウ、ニンジン・コンニャクに煮しめ、鶏のカラアゲ、たまご焼き、ハム、ソーセージ、キュウリ・チーズ詰めチクワにカマボコなどなど。
箸でつまんで移した紙皿でいただく。
お酒にビールに目出度い料理が飛ぶように売れていく。
大勢の村人が楽しむ直会にごちそうをよばれる。
居合わせた一人の男性と話し込んだ。
橿原市在住の娘婿は元神職。
石上神宮や龍田大社、小泉神社などで奉仕したが退職したという。
それぞれの神社行事でお世話になっただけに話が盛り上がる。
直会の時間は1時間余り。
神さんに供えた御供餅を下げる。
御供餅はお重に盛っていた。
前日の朝から作業場でダンゴモチを搗いていた。
モチは棒状にして伸ばす。
それを一つずつ包丁で輪切りした。
夕方までかかると話していたのは元区長の奥さんだ。
この年はネンギョ(年行)にあたる同家。
ゴクツキは杵でなく機械で搗く。
コメコとモチコは半々の分量で御供を搗く。
それをネコモチのような棒モチにこねて伸ばす。
少し堅くなったところでモチを輪切りにする。
モチコにコメコを混ぜているからダンゴである。
ちなみに隣村の長野はダンゴでなく、カサモチや十円玉を入れたモチを撒くそうだ。
舞台櫓や拝殿から放り投げるゴクマキ。
御供を撒くから「ゴクマキ」である。
祭典を飾るゴクマキは熱気で溢れた。
解散されて私も役終い。
帰路にも見た道路情報の気温は13度だった。
晴れ間になって穏やかな日であったが、それほど上昇していない。
(H26.11.23 EOS40D撮影)
20年ごとに行われる式年造替(しきねんぞうたい)のスケジュールも載っていた。
平成27年は仮殿遷座関係儀式、平成28年は本殿遷座関係儀式だ。
同じように20年ごとに行われる曽爾村小長尾の天神社。
寛文四年(1664)の創建と伝えられている。
内・外氏子たちの寄附を募って本社・小宮・鳥居などを新しくされた。
造営祭典に子供が槌を打つ儀式があると知らされて出かけた。
その件を聞いたのは同年の7月29日。
小長尾で行われている「センゲンサン」行事の聞き取りの際に教えてくださった。
造営祭典には槌打ちの儀式がある。
槌を打つのは法被姿の村の子供たち。
センゲンサンに導師を務めるYさんの孫たちも槌を打つと話していた。
槌打ちは男の子だけでなく女の子も参加する。
0歳児は親が抱っこして参加する。
上は15歳までと決まっている子供が槌を打つ造営祭典は、これまで取材した地域に見られない在り方。
是非とも拝見したく訪れた。
伊勢本街道を走る。
曽爾村に着いたときの道路情報が知らせる朝の気温は3度。
さすがに寒い。
Yさんに教えてもらっていても村役を存じているのは元区長のOさんだけだ。
同氏からは是非ともと云われていた。
神社は造営実行委員の方々が準備作業に忙しく駆け回っていた。
委員長でもある総代を紹介してもらって取材に入る。
委員の一人は曽爾村少年自然の家で仕事に就いているOさん。
自然観察会で長年お世話になっている山ちゃん先生の教え子だった。
奇遇な出会いである。
祭典舞台櫓には扇3枚に五色の垂れがある大幣が1本、小幣が17本あった。
奥には弓やさすまた(刺股)もある。
造営委員会を立ち上げたのは平成25年。
この年の造営祭典は例祭の新穀感謝祭も兼ねている。
子供たちが集まっている場は村の集会所。
法被を着た大勢の子供たちが親とともに来ていた。
法被姿で集まった子供たちは内氏子に外氏子の45人。
生まれたての子供から年長は小学生。
かつては内孫の男児だけであったが、少子化の影響を受けて男児は少ない。
女児も含めて外孫までもということにしたそうだ。
20年前の造営祭典と同様に黄色い襷に豆絞りの鉢巻をした子供たち。
裃姿になった造営棟梁が説明する槌打ち作法に耳を傾ける。
こういう機会は滅多にないと元区長から記念の集合写真を依頼されて撮影に応じる。
失敗は許されるものでなく責任は重いがなんとか撮れてほっとする。
集会所を出発した子供たちは日の丸扇を翳した造営委員についていく。
一種のお渡りであるが、造営棟梁らは先にでかけてしまった。
「本来なら先頭は造営棟梁なんだが」と委員は云ったが時すでに遅しであった。
神社で子供たちを待っていた内氏子に外氏子。
この日はめでたい20年に一度の造営祭典。
「造営」と書いて「ゾーク」と云う。
奈良県東部の東山中では一般的にそう呼んでいる本殿の建て替えであるが、西の葛城地方では「ゾーク」の祭典もなく一部修理で継いでいるようだ。
続々と参拝する内・外氏子たち。
槌を手にした子供とともに参拝する。
祭典の場は紅白の幕を張った舞台櫓だ。
時間ともなれば造営祭典関係者一同は参集する。
委員たちはその下の境内に整列した。
大御幣・弓矢などを立てた舞台櫓に上がるのは総代、棟梁、長老だ。
境内に立っているのは造営委員たち。
氏子らは道沿いに集まって祭典に望む。
小長尾の造営祭典の式典は開式、修跋、降神、献饌、祝詞奏上、造営棟梁による四方祓、棟梁祝詞(よごと)、玉岸奉奠、子供たちの上棟槌打ち、式辞、挨拶、本殿報告祭、例祭、鏡開き、乾杯、ゴクマキ、閉式である。
祝詞奏上の次は造営棟梁による儀式。
舞台櫓のそれぞれの角に移動する。
そこでまき散らすキリヌサは四方祓である。
引き続いて造営棟梁が祝詞を奏上する。
これは目出度い詞で詠みあげる「よごと」と呼ぶ祝詞である。
メインイベントは子供が作法する槌打ちの儀式だ。
舞台櫓袖に立った棟梁が「まんざい トー」と声を挙げて大御幣を「トン」と床を打つ。
それに合せて子供たちが横にした棟木を「トン トン」と打つ。
次は「せんざい とー」だ、同じように槌を打つ。
次は「えいえい トー」で終える槌打ちの儀式である。
「まんざい」、「せんざい」、「えいえい」を充てる漢字は「万歳」、「千歳」、「永々」。
村が永遠に栄えるよう、益々の繁栄を願った目出度い詞の槌打ちは上棟の儀式である。
鶴と亀の文様に「祝 上棟天神社」とある。
記念撮影に一度は立った子供は座って槌を打つ。
背が低い子供たちは太い棟木で被ってしまい顔が見えなくなった。
子供たちが打った太くて長い棟木は水平に置いていた。
それには本社の屋根まで繋げていた紅白の曳綱があるが、曳綱の儀式は見られない。
これまで奈良市誓多林・長谷・都祁南之庄・上深川で拝見した槌打ちは長老の役目。
子供が槌打つ小長尾の在り方は極めて珍しく貴重な存在だ。
話しによれば隣村の門僕神社でも子供が槌打ちをしているらしい。
この地方特有の在り方だろうか。
一生に一度しか味わえない槌打ちをした子供たちを記念に撮っておきたい親たちの気持ちはよく判る。
祭典は造営委員長の式辞、長老の祝辞挨拶に続いて本殿で報告祭が行われる。
神職を先頭に造営委員長。
続いて棟木を恭しくもつ大工棟梁の順に参進される。
この日は例祭の新穀感謝祭も兼ねている村の祭典。
神饌を献上し棟木を新しくなった本殿に納める。
祝詞奏上、玉串奉奠などの例祭を終えれば再び村の祝典に移る。
これより始まるのは氏子総代らの鏡開き。
菰酒樽を祝いの紅白小槌で蓋を打つ。
ぱっと割れた瞬間にお酒の香りが飛び出した。
樽酒を柄杓で汲んで四角い枡に注ぐ。
何杯も何杯も汲んでは氏子に配る。
大勢であるだけに子供を除く全員に回るには時間を要する。
酒枡が揃ったところで乾杯。
子供たちは横目で様子を見ていた。
それからしばらくは村人らの歓談の場。
ひしめき合いながらも久しく顔を合わせて喜びを分かち合う。
酒の肴は村の接待料理。
手作り料理が配られる。
胡麻を振ったスゴボウ、ニンジン・コンニャクに煮しめ、鶏のカラアゲ、たまご焼き、ハム、ソーセージ、キュウリ・チーズ詰めチクワにカマボコなどなど。
箸でつまんで移した紙皿でいただく。
お酒にビールに目出度い料理が飛ぶように売れていく。
大勢の村人が楽しむ直会にごちそうをよばれる。
居合わせた一人の男性と話し込んだ。
橿原市在住の娘婿は元神職。
石上神宮や龍田大社、小泉神社などで奉仕したが退職したという。
それぞれの神社行事でお世話になっただけに話が盛り上がる。
直会の時間は1時間余り。
神さんに供えた御供餅を下げる。
御供餅はお重に盛っていた。
前日の朝から作業場でダンゴモチを搗いていた。
モチは棒状にして伸ばす。
それを一つずつ包丁で輪切りした。
夕方までかかると話していたのは元区長の奥さんだ。
この年はネンギョ(年行)にあたる同家。
ゴクツキは杵でなく機械で搗く。
コメコとモチコは半々の分量で御供を搗く。
それをネコモチのような棒モチにこねて伸ばす。
少し堅くなったところでモチを輪切りにする。
モチコにコメコを混ぜているからダンゴである。
ちなみに隣村の長野はダンゴでなく、カサモチや十円玉を入れたモチを撒くそうだ。
舞台櫓や拝殿から放り投げるゴクマキ。
御供を撒くから「ゴクマキ」である。
祭典を飾るゴクマキは熱気で溢れた。
解散されて私も役終い。
帰路にも見た道路情報の気温は13度だった。
晴れ間になって穏やかな日であったが、それほど上昇していない。
(H26.11.23 EOS40D撮影)