通院しているT病院でばったり出会った平成28年6月14日。
お会いした人は山添村松尾に住むHさん。
奥さんとともに3カ月おきに検査する診察だった。
医師は違うが循環器内科医師の診察を仰ぐ。
奥さんも足の障害をもっているが、いたって元気に暮らしている。
平成23年のマツリに当家を務めたHさん。
その年よりマツリの度に伺うようになった。
昨年の平成28年の8月14日はお盆の習俗である「サシサバのイタダキサン」も収録させていただいた。
尤も「サシサバのイタダキサン」は平成24年の8月14日にも撮らせてもらった。
前年に撮らせていただいた「サシサバのイタダキサン」の際にも家の習俗取材をお願いした。
何度もお家の習俗を撮らせてもらうは遠慮したいところだが、同行していた写真家Kさんの願い事も叶えてあげたい。
そう思って無理な願いであるが、本日の「正月のイタダキ」も取材させていただくことになった。
この場を借りて厚く御礼申し上げるところである。
昨夏にお願いしたときは息子さん夫婦にしてもらう予定であったが、所用があることから高齢のH夫妻の出番となった。
昨夏にお願いしてそのままでは申しわけない。
そう思って年末の12月26日に伺った。
正月準備をしている最中であったにも拘わらずお相手してくださるのが嬉しかった。
さて、「正月のイタダキ」とはなんであるか、である。
山添村など奈良県内の東山中で今もなお行われているお家の正月祝いである。
県内平坦では滅多に見られなくなった元日の習俗は過去数カ所において取材させてもらったことがある。
但し、である。
一部を除いてほとんどが祝いの作法を終えたそのお飾りというか、祝いの膳を拝見したにすぎなかった。
本来の作法時間は除夜の鐘が鳴って正月を迎えた直後の時間帯。
地域や家によっては朝日が昇る前の早朝時間帯。
一般的にいえば起床時間のような場は遠慮すべきと判断して無理なお願いはしていなかった。
奈良市長谷町のN家のイタダキの膳は平成23年1月1日だ。
作法時間は例年よりも遅らせてもらった。
天理市福住町別所のN家のイタダキの膳も平成23年1月1日である。
ここは膳だけを拝見した。
奈良市丹生町のF家のイタダキの膳も平成23年1月1日。
家族が膳を廻す作法も拝見した。
山添村大塩のK家の祝い膳は平成24年の12月31日である。
除夜の鐘が鳴るまでに奥さんが調理をして配膳した祝い膳。
作ったばかりの祝い膳を拝見した。
宇陀市室生下笠間のⅠ家のイタダキサンの膳は平成22年の1月4日に拝見した。
膳の作法は1月1日であるが、4日もそのままにしているからと云われて撮らせてもらった。
松尾のH家の作法も同じようなものであるが、膳の盛りが異なる。
膳の盛りはこれでなくてはならないというものはない。
家によってそれぞれ、区々なのである。
あけましておめでとうございますと声をかける取材日は元日の朝。
本当にもうしわけないと思う取材日にはお年賀を準備した。
H家の「正月のイタダキの膳」は2種ある。
右にあるのが「十二月さんのモチ」。
一年の月数を表現するモチの数だ。
大の月がある旧暦閏年であっても12個のモチである。
モチは他にも「ミカヅキさんのモチ」に「オツキさんのモチ」もある。
弓なりの三日月の形にしているのが「ミカヅキさんのモチ」。
その上に載せた丸いモチがお月さん。
形どおりの名がある「オツキさんのモチ」である。
「十二月さんのモチ」の餅は家族とともに正月七日の七草の日に食べるが、「オツキさんのモチ」を食べられる男性に限るそうだ。
ウラジロを敷いて数個のミカンも盛る。
そこに“ニコニコナカムツマジク”の干柿10個を串挿ししたクシガキも添える。
これを「十二月さんの膳」と呼んでいた。
左側の膳は「イタダキゼン」の名がある。
白餅は「イタタダキのモチ」。
この餅は1月15日の小正月に食べる。
数個のミカンに日高昆布。
祝い袋はお年玉。
この膳に特徴的なのはサイフに現金、預金通帳があることだ。
これらはお金が貯まりますようにという願いである。
おもむろに始まった正月のイタダキの作法。
まずは当主のご主人が「イタダキゼン」を両手で抱えて前方にもつ。
頭を下げて降ろす。
特に祈りというか願いの詞は述べずに頭を下げる。
ご主人は位置を移動して、今度は「十二月さんの膳」を抱えて、同じように頭を下げる。
その際には奥さんも横について、ご主人と同じように「イタダキゼン」を抱えて頭を下げる。
奥さんは持ち上げる力がないと云って揚げるのが辛そうだ。
少しでも恰好つけたいと思って抱えるが、ここまでだ。
その様子を優しい眼差しで見守るご主人。
二つの膳のイタダキ作法を終えたご主人は退いて、奥さんは「十二月さんの膳」に移った。
これもまた重たい膳であるから持ちあがらない。
「申しわけないことで・・」と云われるが、「もうそこで良いですから・・・」と思わず口がでた。
「十二月さんの膳」はコモチであるが十二月のモチが10個。
三日月のモチもあればお月さんのモチも。
しかもミカンは6個もある。
総量を計ってみればわかるが、若い者なら楽々と抱えられる膳であっても、高齢者や腕に力が入らない人にとっては揚げるのが苦痛である。
息子夫妻がいたら男、女の順で同じように家族全員がする正月の作法である。
「イタダキ」作法をしてからは半帖の紙に包む。
「半帖」は「はんじょう」。
「半帖」が繁盛に繋がる洒落であるが、半帖の紙に包むことによって「家が繁盛」するという願いを込めているのだ。
H家が正月の朝5時に拝む方角は決まっている。
まずは、お日さんが昇ってくる東に向かって拝む。
次は西、その次は南、そして北に向かって拝む。
東におられる神さんは南にもおられるということらしく、四方を拝して拝むと話す。
つまりは東西南北に向かってこの新しき年を祈念して、お日さんが出る前の5時ころに拝む四方拝である。
こうした正月のイタダキ作法を撮らせていただいたH家。
「我が家のお正月のお節や雑煮を食べてや」と云われる。
別室に運んでくれたH家の正月料理の盛りに感動する。
雑煮は云わずと知れたキナコ雑煮。
ご自宅にある井戸から若水を汲んで、その水で炊いた雑煮のだし汁。
昆布出汁で炊いたという。
味噌は白味噌でなく合わせ味噌。
でっかいカシライモ(頭芋)に豆腐とダイコンが入っている。
この中には雑煮餅もある。
これを取り出して添え皿に盛ったキナコにつけていただく。
奈良県特有の、といってもすべての地域でなく、特定地域であるが、こうしてキナコをつけて食べる習慣がテレビで放映されて放送を見ていた全国に激震が走ったようだ。
県民ならどこの家でもしていて、誰もが食べていると紹介された特定地域の風習は放映で特徴づけた。
誤解の放映が全国に拡がったテレビ効果が怖い。
お節も食べてや、と云われるがご主人はもう出なくてはならないと正装姿になっていただけに大慌て。
折角の料理だけにそれぞれの品物を一品ずつ、口に入れて美味しさを味わう。
なかでも美味しかったのは煮凝りのある甘辛く味付けしたエイである。
年末に訪れた室生下笠間のカケダイ作りを拝見したM商店も売っている甘辛味のエイである。
実は初めていただくエイである。
大阪生まれの大阪育ちの私の家ではエイの料理はなかったから初めての味覚である。
こんなに旨いとは、はじめて知った。
舌鼓に感動に浸っている場合ではない。
軽トラに乗って走っていったご主人の行先は峯寺に鎮座する六所神社である。
初詣する姿をなんとかとらえることができた。
大字松尾の氏神さんは松尾に鎮座する遠瀛(おおつ)神社。
地区の神社の初詣は1月3日にしているという。
Hさんが参拝を済ませた午前8時過ぎ。
初詣の六所神社は鎮座する峯寺の他、松尾、的野の三カ大字の神社。
それぞれの大字の宮総代らも集まっての初詣参拝。
みなさん顔を合わせるなり「あけましておめでとうございます」と年頭のご挨拶である。
隣町に住む奈良市丹生町の神職もおいでになった。
神職をはじめとして何人もの宮総代は存じている。
「あけましておめでとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いします」と挨拶させていただいた。
(H29. 1. 1 EOS40D撮影)
お会いした人は山添村松尾に住むHさん。
奥さんとともに3カ月おきに検査する診察だった。
医師は違うが循環器内科医師の診察を仰ぐ。
奥さんも足の障害をもっているが、いたって元気に暮らしている。
平成23年のマツリに当家を務めたHさん。
その年よりマツリの度に伺うようになった。
昨年の平成28年の8月14日はお盆の習俗である「サシサバのイタダキサン」も収録させていただいた。
尤も「サシサバのイタダキサン」は平成24年の8月14日にも撮らせてもらった。
前年に撮らせていただいた「サシサバのイタダキサン」の際にも家の習俗取材をお願いした。
何度もお家の習俗を撮らせてもらうは遠慮したいところだが、同行していた写真家Kさんの願い事も叶えてあげたい。
そう思って無理な願いであるが、本日の「正月のイタダキ」も取材させていただくことになった。
この場を借りて厚く御礼申し上げるところである。
昨夏にお願いしたときは息子さん夫婦にしてもらう予定であったが、所用があることから高齢のH夫妻の出番となった。
昨夏にお願いしてそのままでは申しわけない。
そう思って年末の12月26日に伺った。
正月準備をしている最中であったにも拘わらずお相手してくださるのが嬉しかった。
さて、「正月のイタダキ」とはなんであるか、である。
山添村など奈良県内の東山中で今もなお行われているお家の正月祝いである。
県内平坦では滅多に見られなくなった元日の習俗は過去数カ所において取材させてもらったことがある。
但し、である。
一部を除いてほとんどが祝いの作法を終えたそのお飾りというか、祝いの膳を拝見したにすぎなかった。
本来の作法時間は除夜の鐘が鳴って正月を迎えた直後の時間帯。
地域や家によっては朝日が昇る前の早朝時間帯。
一般的にいえば起床時間のような場は遠慮すべきと判断して無理なお願いはしていなかった。
奈良市長谷町のN家のイタダキの膳は平成23年1月1日だ。
作法時間は例年よりも遅らせてもらった。
天理市福住町別所のN家のイタダキの膳も平成23年1月1日である。
ここは膳だけを拝見した。
奈良市丹生町のF家のイタダキの膳も平成23年1月1日。
家族が膳を廻す作法も拝見した。
山添村大塩のK家の祝い膳は平成24年の12月31日である。
除夜の鐘が鳴るまでに奥さんが調理をして配膳した祝い膳。
作ったばかりの祝い膳を拝見した。
宇陀市室生下笠間のⅠ家のイタダキサンの膳は平成22年の1月4日に拝見した。
膳の作法は1月1日であるが、4日もそのままにしているからと云われて撮らせてもらった。
松尾のH家の作法も同じようなものであるが、膳の盛りが異なる。
膳の盛りはこれでなくてはならないというものはない。
家によってそれぞれ、区々なのである。
あけましておめでとうございますと声をかける取材日は元日の朝。
本当にもうしわけないと思う取材日にはお年賀を準備した。
H家の「正月のイタダキの膳」は2種ある。
右にあるのが「十二月さんのモチ」。
一年の月数を表現するモチの数だ。
大の月がある旧暦閏年であっても12個のモチである。
モチは他にも「ミカヅキさんのモチ」に「オツキさんのモチ」もある。
弓なりの三日月の形にしているのが「ミカヅキさんのモチ」。
その上に載せた丸いモチがお月さん。
形どおりの名がある「オツキさんのモチ」である。
「十二月さんのモチ」の餅は家族とともに正月七日の七草の日に食べるが、「オツキさんのモチ」を食べられる男性に限るそうだ。
ウラジロを敷いて数個のミカンも盛る。
そこに“ニコニコナカムツマジク”の干柿10個を串挿ししたクシガキも添える。
これを「十二月さんの膳」と呼んでいた。
左側の膳は「イタダキゼン」の名がある。
白餅は「イタタダキのモチ」。
この餅は1月15日の小正月に食べる。
数個のミカンに日高昆布。
祝い袋はお年玉。
この膳に特徴的なのはサイフに現金、預金通帳があることだ。
これらはお金が貯まりますようにという願いである。
おもむろに始まった正月のイタダキの作法。
まずは当主のご主人が「イタダキゼン」を両手で抱えて前方にもつ。
頭を下げて降ろす。
特に祈りというか願いの詞は述べずに頭を下げる。
ご主人は位置を移動して、今度は「十二月さんの膳」を抱えて、同じように頭を下げる。
その際には奥さんも横について、ご主人と同じように「イタダキゼン」を抱えて頭を下げる。
奥さんは持ち上げる力がないと云って揚げるのが辛そうだ。
少しでも恰好つけたいと思って抱えるが、ここまでだ。
その様子を優しい眼差しで見守るご主人。
二つの膳のイタダキ作法を終えたご主人は退いて、奥さんは「十二月さんの膳」に移った。
これもまた重たい膳であるから持ちあがらない。
「申しわけないことで・・」と云われるが、「もうそこで良いですから・・・」と思わず口がでた。
「十二月さんの膳」はコモチであるが十二月のモチが10個。
三日月のモチもあればお月さんのモチも。
しかもミカンは6個もある。
総量を計ってみればわかるが、若い者なら楽々と抱えられる膳であっても、高齢者や腕に力が入らない人にとっては揚げるのが苦痛である。
息子夫妻がいたら男、女の順で同じように家族全員がする正月の作法である。
「イタダキ」作法をしてからは半帖の紙に包む。
「半帖」は「はんじょう」。
「半帖」が繁盛に繋がる洒落であるが、半帖の紙に包むことによって「家が繁盛」するという願いを込めているのだ。
H家が正月の朝5時に拝む方角は決まっている。
まずは、お日さんが昇ってくる東に向かって拝む。
次は西、その次は南、そして北に向かって拝む。
東におられる神さんは南にもおられるということらしく、四方を拝して拝むと話す。
つまりは東西南北に向かってこの新しき年を祈念して、お日さんが出る前の5時ころに拝む四方拝である。
こうした正月のイタダキ作法を撮らせていただいたH家。
「我が家のお正月のお節や雑煮を食べてや」と云われる。
別室に運んでくれたH家の正月料理の盛りに感動する。
雑煮は云わずと知れたキナコ雑煮。
ご自宅にある井戸から若水を汲んで、その水で炊いた雑煮のだし汁。
昆布出汁で炊いたという。
味噌は白味噌でなく合わせ味噌。
でっかいカシライモ(頭芋)に豆腐とダイコンが入っている。
この中には雑煮餅もある。
これを取り出して添え皿に盛ったキナコにつけていただく。
奈良県特有の、といってもすべての地域でなく、特定地域であるが、こうしてキナコをつけて食べる習慣がテレビで放映されて放送を見ていた全国に激震が走ったようだ。
県民ならどこの家でもしていて、誰もが食べていると紹介された特定地域の風習は放映で特徴づけた。
誤解の放映が全国に拡がったテレビ効果が怖い。
お節も食べてや、と云われるがご主人はもう出なくてはならないと正装姿になっていただけに大慌て。
折角の料理だけにそれぞれの品物を一品ずつ、口に入れて美味しさを味わう。
なかでも美味しかったのは煮凝りのある甘辛く味付けしたエイである。
年末に訪れた室生下笠間のカケダイ作りを拝見したM商店も売っている甘辛味のエイである。
実は初めていただくエイである。
大阪生まれの大阪育ちの私の家ではエイの料理はなかったから初めての味覚である。
こんなに旨いとは、はじめて知った。
舌鼓に感動に浸っている場合ではない。
軽トラに乗って走っていったご主人の行先は峯寺に鎮座する六所神社である。
初詣する姿をなんとかとらえることができた。
大字松尾の氏神さんは松尾に鎮座する遠瀛(おおつ)神社。
地区の神社の初詣は1月3日にしているという。
Hさんが参拝を済ませた午前8時過ぎ。
初詣の六所神社は鎮座する峯寺の他、松尾、的野の三カ大字の神社。
それぞれの大字の宮総代らも集まっての初詣参拝。
みなさん顔を合わせるなり「あけましておめでとうございます」と年頭のご挨拶である。
隣町に住む奈良市丹生町の神職もおいでになった。
神職をはじめとして何人もの宮総代は存じている。
「あけましておめでとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いします」と挨拶させていただいた。
(H29. 1. 1 EOS40D撮影)