マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

矢田町・東明寺の大般若会

2017年08月02日 08時35分14秒 | 大和郡山市へ
平成22年より始められた鍋蔵山東明寺の大般若会。

舎人親王の勅願寺として名高い東明寺は大和郡山市の矢田町にある。

矢田町は市内でも一、二を争う広大な地区。

矢田丘陵に沿って点在するお寺は東明寺から南に下れば矢田山金剛山寺(通称、矢田寺)。

さらに南下した地に建つのは補陀洛山松尾寺である。

松尾寺は舎人親王の開基と知られるお寺。

宗派は真言宗醍醐派である。

東明寺、矢田寺はともに高野山真言宗である。

三つのお寺は市内寺行事取材になにかとお世話になっている。

なかでも毎年の大般若会を通知してくださる東明寺はかつて東明寺地区の観音講を取材させてもらったことがある。

場はお寺の庫裏内であった。

その月は東明寺が接待する当番の家だった。

そのことがきっかけに薬師法会や平成22年に始められた大般若会に参列させてもらえるご縁をもらった。

東明寺地区の観音講の取材に感謝、さまさまである。

その後は毎年のように恒例行事となった大般若会の来山案内葉書を届けてくださる。

平成23年24年は取材・撮影目的で参拝させてもらった。

平成25年は住職の晋山式の撮影依頼があったことで遠慮した。

平成26年は曽爾村小長尾の造営祭典が重なり失礼した。

平成27年は病後の状態が芳しくなく失礼した。

そのときの返信に「ご案内いただいたのに、今年もまた、「大般若経転読法要」は行けそうにもありません。手術してから4カ月以上も経過したのに、身体の動き、特に足がもうひとつ。動ける範囲内のボチボチ取材であります。完全復帰は来年の今頃かも・・・」と書いていた。

今年はどうか。

完全復帰ではないが、特に問題もなく普段の暮らしをしながらリハビリ運動もしている。

民俗取材は身体に支障をきたさないような状態でこなしている。

返信に書いた「・・来年の今頃・・」がやってきた。

この日は雨天。

天気予報は見事に当たった日になった。

送迎の仕事を辞めてからは矢田の里に出かけることがなくなった。

かーさんを会場が一時的変更となった卓球会場の送迎ぐらいのものだから実に2年ぶり。

山里の景観が懐かしい。

懐かしいもあるが雨天の急な山道を車で走らせること事態が久しぶりだ。

矢田坐久志玉比古神社を抜けて山側へハンドルを切る。

これまでなかった新築の家もあれば建替えの家もある。

それだけで景観がずいぶん変わったものだと思ってしまう。

東明寺垣内の集落を抜けようとしたときに傘をさして歩いている婦人に遭遇した。

もしかとすれば東明寺の会式に参詣される人では、と思って声をかけた。

まさに、そう思った通りの二人の婦人。

道に迷ってこのまま歩けばどこに行くやら不安にかられていたそうだ。

足元はびしょびしょで助かりますと云われた。

東明寺へ行く途中の道に難儀されている方を放っておくにはいかないのである。

駐車場に向けて上がっていく。

車内のバックミラーを見れば後続の3台も同じであった。

駐車場に着くなり乗せたお二人を下ろして3台の車を大慌てで誘導する。

何とか停めてもらったご婦人たちは大阪の泉大津から来られた信者さん。

顔は覚えてないが気心はなんとなくわかる。

応援僧侶らの応対をせわしなくしていた住職のお母さんも久しぶり。

元気なお声を聞くと気が落ち着く。

今日も元気が貰えそうだ、と思った。

雨のなかを庫裏と本堂を行ったり来たり忙しく駆けずり回っていた住職にもご挨拶だ。

身体のことを心配してくれていた住職の気遣う詞が嬉しい。

先代の仏壇にも手を合わせて辺りをみれば懐かしい男性もおられた。

4年経っても変わらないお顔。

逆に言われたのは来る度に存じていた方々の顔を見なくなる。

4年も経てば殆ど知らない方ばかりになったと話す。

そこへ登場した私は思わず手を握る。

再会がある場というのはとてもありがたいことだと思った。

先に本堂におられた二人のカメラマン。

一人は東明寺のHPを製作している男性だった。

もう一人のカメラマンは新聞社の記者のTさんだった。

法会が終わってからお互いが云う。

どこかでお会いしませんでしたか、である。

思い出したのが山添村の毛原だ。

田の虫送りの取材にきていた記者さんだった。

奇遇なことはもう一つ。

先に雨の中で難儀していた二人のご婦人である。

名刺を渡せばすぐ近く。

民俗博物館がある東側の新興住宅地。

写真家の野本さんの名で判った切り絵の先生である。

野本さんともどもFBに繋げてもらっているが、婦人の一人は切り絵作家の奥さんだった。

ご縁はこうしていろんな方とも繋がっていく。

私にとっては今回で4回目の法会。

雨の日は始めてだ。



本堂へ登っていく僧侶。

それぞれが法螺貝に口をあてて貝吹きをしている。

ボォー、ボォーの鳴り物が響いて大慌て。

撮る位置も定まらずにシャッターを押すが・・・。

石段は雨で濡れている。

つるっと滑らないか、不安になるが、いとも簡単に登ってこられた。

本堂下に見える楼門が雨で霞んでいる。

いつも見事な鮮やかな紅葉を見せてくれるモミジも雨に打たれて敷き詰められたしっとり感がある。

本尊の前に座った住職が導師役。

応援を受けた僧侶たちはその周囲に座った。

蝋燭を灯されて大般若経の転読法要が始まった。

お経が唱えられてしばらくすれば散華(さんげ)を撒かれた。

散華を大まかに言えば仏教儀式における供養に捧げる道具である。

僧侶が儀式中に撒く散華の一般的な形は蓮の花。

蓮花の形の色紙にそれぞれが工夫する紋様、飾り付け。

生花の代わりに広く使われているが、この年の東明寺の散華は色がない。

白いというか透明感のある木の葉そのもの。

法会が終わってから聞いた散華は本物の菩提樹の葉脈葉そのもの。



住職の奥さんがインドで手に入れた天然の葉は華葩(けは)。

昨年からこれを使っているという。

華葩(けは)は花びらを意味する。

そうだ、住職は新婚さんであった。

何の祝いもしていないが、この場を借りておめでとうである。

そして始まった大般若経の転読法要。



中国の唐の国の僧侶であった三蔵法師玄奘がインドの天竺から持ち帰ったとされる大般若(波羅蜜多)経は六百巻の大経典。

60億40万字からなる経典である。

導師が唱える間、僧侶たちは経典一巻を箱から取り出してパラパラとめくる。

めくるというよりも空中から下にあるいは左右へ広げ流すような作法で「だーいはんにゃはらみたきょう・・・ とう(唐)のげんじょうさんぞう(玄奘三蔵)ぶじょやーく だーいはんにゃはらみたきょう・・・」と大きな声で読誦(どくじゅ)される。

それは経典の流し読みの様のようで転読と呼ばれている。

60億40万字の経典を短時間で誦(ずうず)するのだ。

それはあたかも大経典のすべてを読んだことになるという。

般若心経は270の文字。

おそろしいほどに凝縮された。

大声をあげるのは煩悩を押し出し、清浄な心と身体になる、という。



一巻を終える度に経典をバシっ、バシっ、と勢いをつけて机を叩く。



身も心も引き締まる。

およそ40分間をかけて転読された大般若経の次は太鼓が打って般若心経を唱える。

すべての法要を終えたらありがたい大般若経の経典のご加持。

首から肩へ。

バシ、バシと打ってくださる。

身も心も引き締まるご加持に思わず手を合わせる。

(H28.11.27 EOS40D撮影)