コトルKotor の南に、もうひとつの城塞都市ブドバBudvaがあります。
ここはモンテネグロのビーチ・リゾートとして知られるところで、
海水の透明度は高く、まさに別天地。
コトルとブドバへは、ドゥブロヴニクからの日帰りバスツアーで行きました。
国境では、各自の出入国審査はなく、しばらく待っただけで通過。
パスポートにモンテカルロの判を押してもらえなかったのが残念でした。
Dubrovnik と Kotor、Budva の旅はこれでおしまいです。
コトルKotor の南に、もうひとつの城塞都市ブドバBudvaがあります。
ここはモンテネグロのビーチ・リゾートとして知られるところで、
海水の透明度は高く、まさに別天地。
コトルとブドバへは、ドゥブロヴニクからの日帰りバスツアーで行きました。
国境では、各自の出入国審査はなく、しばらく待っただけで通過。
パスポートにモンテカルロの判を押してもらえなかったのが残念でした。
Dubrovnik と Kotor、Budva の旅はこれでおしまいです。
コトルの旧市街の路地には、おみやげもの屋さんが並び、
観光客も訪れていました。
古い建造物も見ごたえがありましたが、
ここで心惹かれたのは、何といっても、コトル湾の風景です。
(コトル湾の奥深い入り江)
(コトル湾に佇む 二つの教会)
クロアチアの隣国、モンテネグロは2006年に独立した国です。
アドリア海の入り江、コトル湾の奥深いところに佇む
城塞都市コトルは、
かつて東西貿易の拠点として栄えた町。
『コトル地方の歴史的建造物と自然』は世界遺産に指定されています。
町の背後の山を望めば、その稜線に続く城壁。
細い路地がめぐる、旧市街は
セルビア正教会の建造物などが歴史を物語っています。
地元のガイドさんは、「建物のメンテナンスをする経済的な余裕がない」
と、語られていました。
アドリア海を遊覧ボートでクルーズすると、
豪華客船が停泊していました。この日は4隻も。
巨大なビルのような客船は、近づくと不気味ですらありました。
かつて海上交易の拠点として栄えたドゥブロヴニクは、
今では地中海クルーズの寄港地となっています。
ホテル・ドゥブロヴニク・パレスからの夕景。
宿泊したホテルがよかった、ということもありますが、
ドゥブロヴニクは、考えていたよりずっと、観光地として成熟した地でした。
問題は公衆トイレ事情くらいでしょうか。
これも、近々に改善されることでしょう。
およそ1時間で2km弱の市壁上を一周しました。
ゴールももうすぐ。
市壁の外側の岩礁で海水浴を楽しむ人たち。
カヌーも気持ちよさそうです。
港へ降り立ち、探索完了。
旧市街の魅力を十分に満喫した壁上歩きでした。
旧市街の路地を歩くのも、愉しいものですが、
市壁の上からの眺めはまた格別です。
上の写真はメインストリートを壁上から眺めたもの。
フランチェスコ会修道院の鐘楼が、町を見守っています。
上の写真の左手にあるロヴリェナツ要塞は、独立して建っているもので、
町を海と陸の双方から守るための重要な要塞だったそうです。
15~16世紀に堅固なものに改築され、さらに大地震後に修理されました。
海沿いの市壁の上はアップダウンが少なく、
町側より楽に歩けます。
小さなおみやげもの屋さんが1軒。
この地の刺繍で彩られたクロスは素敵でしたが、意外と高価でした。
本に挟む小さな栞が、1枚500円くらいです。
ドゥブロヴニクは、クロアチアの他の地域より物価が高く、
すべて「観光値段」と考えてよいようです。
旧市街は市壁でぐるりと囲まれています。
旧市街にあたる一部は、もとは小島で、
11世紀に本土と小島を隔てる水路が埋め立てられて、ひとつの町になりました。
町のほぼ全体が防壁に囲まれたのは、13世紀。
その後、ベェネツィア統治が終わると、オスマントルコの脅威から町を守るために、
さらに堅固な砦や要塞が次々と築かれたといわれています。
港の入り口から市壁へ上がり、一周してみました。
まずは砦をめざして坂を登り、息を切らしながら階段を上がります。
今まで歩いていた町が一望の下。
波静かなアドリア海とオレンジ一色の屋根の町。
「アドリア海の真珠」とたとえられる、世界遺産の旧市街です。
大聖堂(上)の横の「赤い垂れ幕」は何でしょうか。
巨大なネクタイです。
クロアチアはネクタイの発祥の地といわれていて、
かつては近郊に養蚕業の地を控えていたそうです。
今では、おみやげ品として売られています。
こちらは旧総督の館。
度重なる火災や弾薬の爆発、そして震災により、建物は損傷しましたが、
そのたびに修復、再建されました。
その結果、この建造物はゴシック・バロック・ルネサンス様式が
混在したユニークなものとなっています。
ここが中世の政治の中心地。
旧総督の館(右側の建物)の入り口のアーチは
ミラノの彫刻家によって細工が施されました。
(この写真は説明のために再登場しております)