旧市街でのランチ。
どのレストランでも、アドリア海のシーフードがメイン・メニューです。
上の前菜は、手長エビとイカのフライ、それにチーズとサラダがついています。
下はイカスミのリゾット。
地理的にはイタリアの対岸、
歴史的にも長くヴェネッチアの領地であった、という背景から
「食」はイタリア料理風でした。
旧市街、フランチェスコ会修道院の中庭です。
ここで興味深かったのは、院内で現在も営業を続けているという薬局(写真下)。
世界で3番目に古いとか。
この日は休業日で残念でしたが、
開業(1317年)当初のレシピによるクリームなどを売っています。
下の写真は、この修道院の壁に遺る、砲弾の跡。
1991年のクロアチア独立戦争の折、ユーゴスラヴィア連邦軍は
ドゥブロヴニク旧市街にも砲火を浴びせ、この映像は世界各国に放映されました。
美しい世界遺産への攻撃に、
世界中から非難の声が上がったことは言うまでもありません。
独立後の復興は早く、現在では戦火の跡は
このような展示物としてのみ遺されています。
旧市街、ルジャ広場の突きあたりに見えるのは、
16世紀初頭に建てられ、震災の難を逃れた、スポンザ館です。
館内には税関や造幣所、銀行など、交易にかかわる役所が入っていました。
(2枚目の写真)上の階の三角形の庇の下の像は、
ドゥブロヴニクの守護聖人「ブラボ」です。
一番下の写真をご覧ください。
ブラボが左の手の平に何かを載せていますね。
これは、「ドゥブロヴニクの街」なのだそうです。
この像はあちらこちらで、建造物の壁面に登場します。
上の写真が旧市街のメインストリート。
この道の左右には、細い路地が巡り、カフェやブティックが軒を連ねています。
ドゥブロヴニクが最も繁栄したのは15世紀から16世紀にかけて。
海上交易や海運は大きな富をもたらしました。
しかし、1667年のに市を襲った大地震で、美しい街は瓦礫の山に。
一部の残された建造物を除いて
現在旧市街でみられる建物は、震災後に再建されたものです。
クロアチアといえば、「サッカー」、
そして最近まで「紛争地帯」であったことで知られています。
その最南端の都市、ドゥブロヴニクへの旅。
ロンドンから2時間30分のフライトの先には、
真夏のような太陽が照りつけるリゾートの町がありました。
高台に立つと、アドリア海に臨む旧市街、
そして振り向けば石灰岩の台地が広がります。
3泊4日のうち1日は隣国のモンテネグロを往復しました。
前回のテーマと前後しますが、2008年5月24日~27日の記録です。
1524年にとトーマス・モアThomas Moreがこの地を求めて、
邸宅を建てたのが、この庭の始まりです。
彼は桑の木を植えて、その実を夏の食料としたそうです。
下の写真は彼の時代からあるといわれる桑の木。
国王ヘンリー8世に仕えたトーマス・モアですが、
のちのイギリス国教会の勢力からカトリックを守って、国王と対立。
1535年に処刑されました。
*******************************************
桑畑だった庭にちなみ、奥の細長い庭に数本の桑が植えられていました。
それぞれが低い草木に囲まれて、小さな花壇になっています。
どんな木でも、ガーデンの一員になれる・・・
・・・感動的な発見でした。
これはイングリッシュ・ガーデンのひとつの特徴なのだと感じました。
チエルシーChelseaにある、神学校(カトリック)の庭園。
カーライルの家の庭と同様、
周囲にはレンガの塀がめぐり、
それに沿って草木が植えられています。
バラに囲まれたmain gardenは、普段はどのように使われているのでしょうか。
お手伝いをしていた神学生に尋ねてみればよかった・・と、後から思いました。
今回訪ねた庭に共通しているのは、
外からでは、庭があることすら分からない、ということです。
まさに「秘密の花園」!
この週末、6月7日・8日の土・日曜は
ロンドン市内のオープン・ガーデンOpen Garden Squares Weekendの日。
いつもは入れないプライベートな庭が開放されます。
今年は170余りの庭が公開されましたが、
巡ることができたのは、ほんの6ヶ所。
中でも印象深かった庭をご紹介いたします。
ロンドン南西部のチェルシーにある
トーマス・カーライルThomas Carlyleの家は、
彼と夫人が1834年から50年近くを過ごしたところ。
レンガの塀に囲まれた細長く小ぢんまりとした庭は、
当時のtown garden 典型だそうです。
カーライルはこのあたりに腰掛けて、作品の構想を練ったのでしょうか。
歴史・思想・評論と、多岐にわたる著作を遺しています。
彼の影響を受けた日本人に、新渡戸稲造や夏目漱石がいます。
チェルシーは、古くからのお屋敷町。
落ち着いた街並みが魅力的です。
のんびり歩いている内に、時はすでに夕方。
にわかに暗雲が現れ、雨がぱらついてきました。
この日は、広大な園内を半周した程度でしょうか。
まだまだ見所はあったはずです。
季節を追って、また訪ねてみたいと思います。
キュー・ガーデンは2003年に
ユネスコ世界文化遺産の指定を受けました。
ブルーベルの花が終わりかけた道を歩き、
池にかかる橋を渡りました。
散歩する孔雀。後ろ姿は滑稽ですね。
水鳥は子育ての真最中です。
ヨチヨチ歩くヒナたちを眺めていると、時の経つのを忘れます。
(下2枚の写真)この鳥の名を調べてみましたが、今のところ、不明です。
ご存知の方がいらしたら、ご一報を。
*この鳥の名がわかりました。Egyptian Goose です。
KEW ガーデンの本の中に写真がありました。6月5日*
アザレア・ガーデンでは、写真を撮る人を多くみかけました。
やたらには写真を撮らないイギリス人です。
よほど、アザレアが気に入っているのでしょう。
アザレアは、日本や中国のツツジやサツキが、
ヨーロッパで品種改良されたものです。
いちばん驚かされたのは「オレンジ色のツツジ」。
この感覚は西洋人ならではのもの、
と、心底感じたガーデンでした。
次に向かったのは、キュー・ガーデンの中心よりやや西側にある
アザレアAzalea・ガーデンです。
途中、ざんばら髪のような枝葉の樹に出会いました。
この真っ直ぐな大木はレバノンスギ(写真上)です。
中近東の産で、古代から船材や建材に利用されてきましたが、
良質な材ゆえに、伐採されつくされ、
現在ではごくわずかな地域にしか残っていないそうです。
アザレア・ガーデンの鮮やかさは、
日本のツツジ園とは、ひと味もふた味も違います。
ユリノキを囲んで様々な種類のアザレアが賑やかでした。