四季彩日記

英国暮らしを経て、日本の美を再発見

南仏 マルセイユ Marseille

2009-07-30 01:22:14 | Weblog

旅の終わりは、港町マルセイユ。
人口80万を超える地中海沿岸の都市です。

旧港の岸壁で、魚を売るおじさんは、
カメラを向けると、怒鳴り返してきました。
おまわりさんたちですら、ヨタッて歩いているのです。

地中海を見晴らす街は、
古くから、さまざまな人種が行き交い、それは、現在も変わらないようです。

名物ブイヤベースの昼食をとり、
マルセイユ空港からロンドンへ、帰路につきました。

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南仏 レ・ボー・ド・プロヴァンス Les Baux - de - Provence

2009-07-22 06:26:28 | Weblog

レ・ボー・ド・プロヴァンスは、
中世、南フランス一の勢力を誇ったレ・ボー家が城砦を築いた町。
難攻不落の城砦とも言われましたが、
その栄華の跡も、今では廃墟となり果てています。
上の写真の左側の岩はその一部です。

廃墟の下に広がる台地にはレ・ボーの町(村)があり、
西のテラスからは穴だらけの白い岩肌の丘を眺望。

道は路地から路地へと続き、
みやげ物を売る、かわいい店が軒を連ねていました。

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プロヴァンス リュベロン地方

2009-07-18 19:52:31 | Weblog

リュベロン地方の深い谷に、忽然と現れるセナンク修道院。
厳しい戒律と質素な生活を旨とする、シトー会の修道院です。
12世紀に造られ、そのロマネスク様式の姿を今も見ることができます。

近年、修道士がこの地で活動を再開し、
周囲の畑の耕作も、彼らの生活の一部になっているとのこと。

前庭の緑は、麦畑ですが、本来はラベンダー畑であった所。
ラベンダー畑が害虫に侵され、2~3年前から麦に替わりました。
ラベンダーは周辺に多く、ここを訪ねた5月末はまだ蕾でしたが、
6月から7月にかけては、紫雲にけぶる風景が見られたことでしょう。
(下は修道院の中庭)

バスの車窓には、
プロヴアンスの春の花 ポピーの赤いカーペットが拡がっていました。

このリュベロン地方こそ、1990年代初め
『南仏プロヴァンスの12か月』(ピーター・メイル著)でブームになったところです。

丘の頂の古城に向け、斜面に石造りの家がへばり付く村。
これもリュベロン地方らしい風景だそうです。

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エクス・アン・プロヴァンス Aix - en - Provence

2009-07-17 23:23:21 | Weblog

プロヴァンスの首都 エクス・アン・プロヴァンス
かつてプロヴァンス伯爵が宮廷を営み、15世紀に大学が創設されました。
今なお、洗練された文化の都、学生の街として、賑わっています。

プラタナスの並木が美しいミラボー通り。
17世紀半ばに、この通りができました。
トップの写真「レ・ドゥー・ギャルソン」 は町で一番古いカフェ。
セザンヌやピカソなども訪れたといわれます。

エクス・アン・プロヴァンスは泉の町でもあります。
あちらこちらで、噴水や泉に出会い、
その数は100を上回るとか。

下はミラボー通りの温水の泉です。

南仏の陽光輝くこの町に、我々は3泊しました。
ただ、のんびり歩いているだけで、
身も心も解き放されてゆく心地よさを、味わいました。
また、訪ねてみたいエクス・アン・プロヴァンスです。


 

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南仏プロヴァンス アヴィニョン Avignon

2009-07-12 20:00:59 | Weblog

ローヌ川のほとりにひらけた古都、アヴィニョン。
フランス民謡「アヴィニョンの橋」で知られる町
そのサン・ベネゼ橋をご覧ください。4つのアーチの先がありません。

12世紀の建造当時は、22のアーチをもつ全長920mの橋でしたが、
戦乱や川の氾濫により、幾度も破壊されました。
17世紀以降は修復がなされず、現在に至っているということです。

14世紀には約70年の間、法王庁が置かれ、
7人の教皇がここに住み、アヴィニョンは栄華を極めました。
サン・ベネゼ橋と法王庁宮殿(写真上)、そして、その周囲の建造物群は「アヴィニョン歴史地区」として世界遺産に登録されています。

河岸には独特な枝振りに剪定されたプラタナスの並木が。

 

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窓辺から

2009-07-07 04:10:34 | Weblog

プロヴァンスの途中ですが、ちょっと休憩をして、最近のものをアップしてみます。

今日は、垂れ込める雲間から、
燦燦と輝く陽光が現れたかと思うと、
次の瞬間にはザーと大粒のシャワー。
これに強風が加わって、
ロンドンらしい!お天気でした。

夕方5時ごろ、シャワーの後の陽ざしの様子から、
「こういう時には虹がでるのではないかしら・・」
と、東の窓を見ていると、
1分もたたない内に、プリムローズ・ヒルの上に虹が現れ、
また、すぐに消えてしまいました。
淡い虹でしたが、何だか「ラッキー」と、うきうきした気分でした。
(2009年7月 6日)

上は7月4日(土曜)の夜10時ごろ。
この時間でも、まだあたりは明るいのです。
月は丸く写っていますが、実際には十三夜の少し前といったところでしょうか。
左の細い半円はロンドン・アイ。
遠くの丘陵は、テムズ川の対岸です。

こちらは、夏至に近い6月23日の夕景。
この日の日没時間は午後9時21分でした。

比較的、晴れの日が多い今年の夏です。

 

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南仏プロヴァンス アルル Arles Ⅱ

2009-07-05 02:09:06 | Weblog

ゴッホとアルルの続きです。

ゴッホといえば、『ひまわり』。
アルル滞在時には、「ひまわり」を題材とした作品が6点描かれた、
といわれています。

上下の写真は「耳切り事件」を起こしたゴッホが収容された
アルルの病院です。
現在は図書館などになっていますが、
中庭は、ゴッホの絵を元に、復元されたものだそうです。



『アルルの病院の庭』(1889年作、オスカー・ラインハルト・コレクション蔵)

アルルの郊外の運河に架かる跳ね橋。
ヴァン・ゴッホ橋と呼ばれ、
ゴッホの絵のモデルになった橋を
1960年に場所を変えて復元したものです。

河岸が味気なくて残念ですが、
ゴッホが惹かれた橋の形をみることができます。

近くでは、野生のポピーが逞しく咲いていました。
『ひまわり』は
この南仏の強い日差しの中から生まれました。

『アルルの跳ね橋』(1888年作、オランダ クレラー・ミュラー美術館蔵)

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南仏プロヴァンス アルル Arles

2009-07-03 01:29:17 | Weblog

7月になりました。6月はブログの更新ができないまま終わってしまいました。
5月の末に3泊でフランス プロヴァンス地方を巡ってきました。
少し前のことになりますが、
まずは、アルルの町からスタートします。

アルルは、ローマ帝国最盛期の恩恵に浴した町。
現在も円形闘技場、古代劇場、古代フォーロム
そして共同浴場の遺跡が残り、当時の繁栄が偲ばれます。

時代は下り、1888年、パリからこの町にやって来たのが、
ゴッホ Vincent Van Gogh です。
南仏のアトリエで、画家たちとの共同生活を夢見ていた彼の下に、
ゴーギャンが訪ねてきましたが、
彼との生活も破綻し、「耳切り事件」に発展します。

上下の写真は
『夜のカフェテラス』(1888年・オランダ クレラー・ミュラー美術館蔵)に描かれた
フォーロム広場のカフェ。今でもも現役です。

この3枚の写真は、円形闘技場。
当時は2万人以上の観客を集めたといわれています。
その様子を描いた『円形闘技場』(エルミタージュ美術館蔵)の解説が
闘技場の入り口にありました。

アルルでは、ゴッホの絵そのものを見ることはできませんが、
彼はこの地の風景を題材に、多くの作品を遺しています。

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