四季彩日記

英国暮らしを経て、日本の美を再発見

北イングランド ヨーク York Ⅲ

2010-06-21 05:50:32 | Weblog

ヨークの旧市街を貫流するウーズ川。
クルーズをしながら、町を眺めるのも、また、楽しそうです。

下はシャンブルス Shambles と呼ばれる細い通り。
中世そのままの姿で遺っています。
1階、2階、3階、と各階が下の階より前に突き出した家々が並んでいます。

「突き出した軒下に、昔は肉屋が肉をつりさげていた」
というのがガイドブックの説明ですが、
イギリス人にこの話をすると、また異なった答えが返ってきました。
「昔はトイレがなかったでしょ。夜はバケツに溜めていて、
朝ザーと上から流したのよ。ロンドンでもそういうふうにしていました。」
だから建物がこういう構造・・まあ!

その通りを私たちは歩いたわけです。

この建物は14世紀に建てられてギルドホールMerchant Adventurer's Hall です。
かつて、この町での海外貿易を独占していたという、ギルドの栄華が偲ばれます。

ホールは、現在も結婚式やパーティーに使われているだけあって、
居心地のいい空間でした。

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北イングランド ヨーク York Ⅱ

2010-06-13 23:00:14 | Weblog

北イングランドの古都、ヨーク。
旧市街は城壁(City Wall)に囲まれ、中世の雰囲気を遺しています。
城壁(周囲およそ4.5km)の上を歩くと、
ヨーク・ミンスターが現れます。

ヨーク・ミンスター York Minster はイングランド国教会の大聖堂です。
かつて木造の教会があったこの地に、
12世紀半ばから大聖堂の建築が始まり、完成したのは、1472年。
英国最大のイングランド・ゴシック様式の大聖堂といわれています。

上の写真は西側から見たもの、下は反対側から撮ったもので、
ともかく壮大。
内部の美しいステンドグラスが印象的でした。

ちょうど日曜日のミサの時間で、
パイプオルガンにあわせた聖歌隊の賛美歌が
大伽藍に響きわたっていました。

ヨークは、長きにわたり、多くの民族の抗争の場となりました。
ヨーク・ミンスターも、
その歴史の渦中で、火災にも遭いましたが、
今では、その威厳に満ちた姿で、ヨークの街を見守っています。


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北イングランド ヨーク York へ

2010-06-11 21:58:44 | Weblog

(前回と時期が前後します。5月中旬の記事です)

ヨークへ行ったことある?
と、何人もの人から聞かれました。
是非行ってみてごらんなさい・・という勧め従い、
ヨークへ出発。
ロンドン、キングス・クロス駅からおよそ2時間の列車の旅です。
15分も走ればご覧の通り。
ロンドンの周辺には田園風景が拡がっています。

この時期(4月末~5月中旬くらい)は、
菜の花畑の風景が延々と続きます。
おそらく、花を畑に漉き込んで、肥料にするのでしょう。

北海道の風景に似ていて、
美瑛みたい・・と感じることもあります。

ヨーク駅に到着。
丸窓や、柱上部の細工がさりげなく凝っています。
設計者の哲学が感じられる駅舎。
どういう人が設計したのかな~と、興味深く観回しました。

コメント (2)
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ジヴェルニー Giverny 「モネの庭」 

2010-06-06 06:46:08 | Weblog

パリから西へ80㎞ほど。
ノルマンディー地方の小さな村・ジヴェルニーに「モネの庭」があります。

5月末、パリ発の観光バスで行ってみました。

印象派の画家、クロード・モネは、43歳の時(1883年)、
この地に移り住み、晩年を過ごしました。

モネといえば「睡蓮」。
モネは道を隔てたところに土地を買い増して、池をつくり、
この睡蓮の池をモチーフに、
200点余りの作品を制作しました。

モネは日本の浮世絵に魅せられ、
その影響は作品にも見ることができます。
池の周りの植栽も日本風。太鼓橋も架けられています。

『睡蓮の池と日本の橋』のタイトルの作品は
ロンドンのナショナル・ギャラリーで観られます。
上の写真はパリのオランジュリー美術館の『睡蓮』の大壁画(一部)。
モネは、86歳で亡くなる直前まで、この大作に絵筆をいれていたということです。

モネのもうひとつの庭は「花の庭」。
アイリスやバラがちょうど見ごろで、
まさに夢の花園でした。

緑の窓が印象深い建物は、
かつてのモネの自宅兼アトリエ。
2階の窓から庭を眺めながら、
モネは、こと細かに花の植栽についての指示を出したそうです。
庭も彼の作品でした。
室内には、浮世絵のコレクションも展示されています。

モネが亡くなった後、庭は荒廃しましたが、
有志の人たちの努力により、再び甦りました。
モネは、その庭のデザインの詳細を記録に遺していたといわれます。

(2010年 5月 30日)

 

コメント (4)
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