
落穂は残りますが…
昨日は、長男『ポン太郎君』にとって受難の一日だったようであります。調整したはずのバインダー(稲刈り機械)は、結束機が上手く働かず稲束はバラバラに…折角、干した「はせ掛け」は稲の重みで倒れ、父は出稼ぎ先の会議で携帯にも出れないから指示も仰げない。軽いパニックに陥ってしまったようであります^^;
『夢屋国王』だって、今は亡き古老からの口伝とそれを書き残した手帳の作業歴だけが手引書だから、天候不順や不測の事態に対応できるかと言えば、軽いパニックを起こしてしまうのでありますよ。何事も経験と危機的な状態をやり過ごす「鈍感力」が必要なのでありますよ。
夜なべ仕事で、LEDを割ってしまいました。
消費電力が少なく寿命が長いと言われるLED照明も割ってしまったら意味がないですよね^^; しかし、蛍光管タイプの電球にこんなに複雑な回路が入っているなんて思いもしませんでした。これまた壊して知った経験であります。
バルビゾン派のミレーの作風が好きで、1982年に「晩鐘」が国立西洋美術館に展示された時には、人の流れに乗りながら2回、遠目で長時間眺めておりましたが、自分が思い描いていた画面より明るく感じたものであります。農家が行う「落穂拾い」は、世界共通なのかと思っておりましたけれど、当時は寡婦や貧農に許された権利だったようです。国王が子どもの頃にも落穂を拾わされましたが、イネの場合、拾ったところでお茶碗何杯分になるかどうか…お袋に「何で拾わんなねなや?」と聞くと「めくせがら!」とだけ答える。どうやら、落穂をそのままにするような百姓は駄農と思われるらしい…これ「恥の文化」…同じようなことをやっているのに、根底がまったく違うのでありますよ。それでも、コセコセと落穂を拾っているオヤジがいる。身体に染み付いた習慣は、おいそれとは治りません。
さて、今日は午後から倒れた「稲杭」を起こす作業から始めましょう。そして、『ポン太郎君』のも、落穂拾いでもさせますか^^;
昔英語の教科書で習ったアメリカの稲刈り機
それが日本にも と思ったものでした
でも鳥栖の山手は段々畑ですので手押し見たいです
落ち穂拾い懐かしい響きです 子供のころ他所の畑に
拾いに行った経験ありです 母が喜んでた
今日初めて【落ち穂拾い】の意味を知りました
あの名画の落ち穂拾いの意味も・・・アホや情けなか~~(/_;)
、『ポン太郎君』 頑張れ!!と声援送りたい
LEDライトにはそんなものは付いていないからね。
全く付いていないわけでもないだろうが、もっと簡単なもののはず。
でなきゃ、超小型のライトなど作れないからね。
それと「落ち穂拾い」だが、様々な説があるようで、「食べ物を粗末にするな」と言う意味もこめられている。
国王の時代は食糧難が終わっていて、落ち穂の有り難味がわからないのだろう。
「水飲み百姓」と言う言葉もあるように、昔の農家は貧しかったんだからね。
俺が小学生の頃(昭和20年代半ば)は、何度かおばあさんと屑米の中の石拾いをしたもんだよ。
それが夜の食卓に上るのだが、食べると時々「ガリ!」と音がする。
今なら、家畜のえさ用だってもっとましな米だからね。
ご飯粒1つ残しても怒られたのだよ。
こちらも稲刈りはコンバインが主流です。
ヒメノモチを杭掛けするのは、作付面積(収量)が少なくて
乾燥機を回せるだけの量が確保できないからです。
脱穀は、ハーベスタを使うのですが、もう販売されていない。
コンバインの脱穀機能で代用している状態ですから^^;
ミレーの「晩鐘」が、国立西洋美術館に展示されたの
いつだったかなぁ…学生時代だった記憶だが…。
1982年…やっぱり^^; と確認している内に
「落穂拾い」の解説を見ただけで、私も刈り取り後の
麦の穂を農婦が拾っている風景と思い込んでいましたから^^;
当然の如く、食糧難という体験はありません。
物事があった時(冠婚葬祭)のためにと
農家は自己保有米を確保するので、正月過ぎても
古米を食べてました^^; 中学生の頃、丼で5杯も
晩飯を食べるものだから、その保有米が底をつき
初めて我が家で米を買ったという原因者が私です。
蛍光管型のLEDという触れ込みですが…基本は
ご指摘のとおり蛍光管ですねぇ、確かに^^;