その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

団子を丸めたおばあさん?

2022-06-05 10:20:10 | 転職

山形県内陸地方名物の「板そば」であります^^;

「団子丸めだ、ばっちゃ~!グミごっつぉしておごや~い!」(団子を丸めたおばあさん!茱萸をごちそうしてください!)…子どもの頃、5歳ほど離れた年長の女子が先頭に立って、我が家のお隣の婆ちゃんに外から声を掛け、屋敷内の茱萸を勝手に食べて行く。「おやつ」などと言うものがないから、お腹を空かせた子どもたちは、売り物ではない「茱萸」や「桑子」を勝手にゴチになる…外から声掛けして、断りを入れているから、泥棒ではないという勝手な判断かなぁ(笑)
はて、お隣の婆ちゃんを『おやじぃ』は、『団子丸めだばっちゃ』などと呼んだことも無いし、そもそも『団子を丸める』ことは分かっていても、『団子を丸める』という方言(揶揄する言葉)も知らないし、お隣さんが「団子屋さん」を営んでいたという訳でもないのでありますよ。団子ねぇ…団子?団子と言えば、子どもの頃は、祖母がお彼岸や命日に仏さまにお供えした記憶しかなく、『おべっと(別当???別途の方が適切か^^;)』と称して、お供え物をいただけば、頭痛、腹痛を起こさない、などと言われて続けて来たのでありますよ。一方、『丸める』という言葉は、①丸い形にする。②他人を巧みに操る。etc.といった意味を持つから、記憶の中でのお隣の婆ちゃんは、物事を丸く収める方と言うよりは、他人を丸め込むのが上手だった?(記憶が定かではないから、故人の悪口は大概にしておこう^^;)
実姉の三回忌に家族で墓参り…オッカーが団子なんぞを作っていたから、団子にまつわる古い記憶が蘇って来たのでありまして、奇しくも昨日は、オッカーの誕生日。子ども心に、当時のお年寄りたちは、今の年代に比べて老けて見えたから、『団子を丸めたばっちゃ』は、ここにも居たと笑っている。(このことは、当然、オッカーには内緒であります^^;)


「樹木葬」の墓地に咲いた「ネモフィラ」

余命宣告を受けてからわずか一年、帰らぬ人となってから丸二年経過してしまいましたよ。「子どもたちは十分成長しているから大丈夫。」そんな言葉を残して逝ったけれど、当然、心残りはあったに違いない。姪っ子たちは、落ち着いた生活をしているようではあるけれど、『おやじぃ』だけが独り心配している。(これまた、余計なお節介であります^^;)
「枕団子」の起源は、亡くなったお釈迦様に「香飯」の代わりに団子をお供えするようになったこと、故人が極楽浄土への旅の途中でいつでも食べられるように、空腹の人に分け与え徳を積むこと。などという説があるようです。「餡もつけていない白い団子をお供えされても、美味かろうはずもない。」子どもの頃は、きな粉をまぶして食べさせられることが定番だったから、味の無い団子を供えられる仏さまも可哀そうなものよ…などと、バチあたりな考えを持っていた。(だから、『あの世』などと言うところには早々に行ってはいかんのだよ^^;)最近では、「我が家の仏さまは、膳のものが不味いとか、お茶が不味いとか文句は一切言わないから。」とバチあたりな所業、言動に拍車が掛かっているようにも思える。「文句があるなら、化けて出てこい!」(おお!何と神仏を恐れぬ所業よ^^;)
家族、親族が一人、またひとりと欠けて行く。つまるところ、寂しいんだわなぁ…さりとて、「オラも仲間に入れておくれ。」と『あの世』とやらに、まだまだ行く訳にもいかないしねぇ。
『団子を丸めたばっちゃ』は確かに生きていた。生きていたから『団子を丸める』ことも出来たはずである。『団子を丸めてもらったおやじぃ』にならないように、そろそろ体調管理もしないとなぁ(笑)

#戦争反対 私が生き続ける限り、故人も私の心の中に生き続けることができる。若者たちを戦場に送り出しておいて、「君たちは私の心の中に生きています。」などと言い放ちたくはないのである。


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