咤枳尼天について
『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応 No387』
『咤枳尼天の日本仏教への影響 No388』
二つの記事を書いてきたが
咤枳尼天については『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応 No387』で
野生動物ジャッカルの神聖化されたものと記載しているが、
ジャッカルの図柄といえば天川弁財天曼荼羅図が思い出される。
左右の蛇は首に五十鈴を付けられており
まるで鵜飼の鵜のような蛇を従えるジャッカルが
中心となる天川弁財天曼荼羅図であるが
この信仰では弁財天の本当の姿はジャッカル=咤枳尼天ということになる。
追記
品様から以下のような質問があったので少し内容を補足したい。
『教えて下さい。ジャッカル=白蛇という事でしょうか?
それとも、ごく限られた弁財天社のみジャッカルなのでしょうか?』
ジャッカル⇒咤枳尼天ということは記載した通りだが
ジャッカル⇒咤枳尼天=蛇 あるいは咤枳尼天と蛇が
三位一体の関係にあるのかについては
十分な検証が必要だと思われる。
さらに天河以外の弁財天社で咤枳尼天=弁財天とされた例があるのかだ。
まずジャッカルという動物が日本や中国にいない以上
ジャッカルが狐に模されたことはなるほどと思える。
最上位経王大菩薩や荼枳尼天がまたがる動物が
ジャッカルでなく狐になっていることも仕方ないものであろう。
さて蛇についてであるが
これは縄文信仰や出雲の神の信仰に繋がるのだが
この蛇信仰は日本人だけでなく人類の深層心理に刻み込まれたものである。
この蛇神を邪神として怖れ封じようとすることは
新しく生み出された信仰形態においては必須とされてきたように感じる。
日本においては例えば出雲において
今なお龍蛇神として深く信仰されているが、
日本神道の主祭神として龍蛇神が祀られることは表立っては無くなっている。
下の写真は伏見稲荷神社の靈符である。
伏見稲荷で狛犬の代わりの狐が
銜えているものは鍵や稲穂や験(しるし)の杉であるが
この写真では俵の上に乗る蛇が銜えていている。
三個の宝珠は三位一体の霊徳の象徴であり
この秘密を本当に守っているのは蛇神であることを
この靈符は伝えている。
簾 ( すだれ ) があるのは一般人はそのことを知る必要がないということだ。
※米俵の上の蛇は宇賀神とされる。
次の写真は空海に由来する第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺の
三面大黒天の靈符である。
大黒天 毘沙門天 弁財天?が三位一体となり
その頭には霊徳の象徴である宝珠を乗せている。
しかし俵の上に乗るのは三天であり蛇ではない。
蛇はというと俵の下にいて俵に抑えつけられている。
この焼山寺の伝承では空海が虚空蔵菩薩の力を借りて
大蛇を岩窟に封じ込めたという事であるが
これは蛇神が守る宝珠を真言密教が奪い取ったという事を意味する。
※稲荷神社の白狐信仰は真言密教由来という話もある。
さて縄文信仰や出雲の信仰では龍蛇神は祀られているが
動物神は祀られていないようである。
ジャッカル⇒咤枳尼天
蛇⇒宇賀神⇒弁財天
という習合の流れは確かにあり
咤枳尼天=弁財天という錯誤も天河であるのだが
ジャッカルと蛇とは別の存在であり
例えばジャッカル⇒狐と蛇の間で
狐=蛇とするような錯誤の例は知らない。
結論としては天川弁財天曼荼羅図が示すように
咤枳尼天はどこにでも紛れ込むということである。
追記2
さらに品様から以下のような情報が寄せられたので本文中で紹介しておく。
『伏見稲荷霊符なのですが、とても面白い高察がございます。
草野俊子様の著作の「古代からの暗号」の中で
霊符の下部右側の黒い狐の実の姿が鼠ではないかと記されています。
黒い狐の手足の形象を、よくよく拝見すると狐のそれと違うとの事。』
この草野俊子女史の考察は以下の点にある。
①稲荷社の祭神=宇迦之御魂大神=穀霊=蛇=宇賀耶=宇賀神=大國主命
②出雲の大國主命にまで繋がる理由として杉と蛇の組み合わせの例が
大國主命を祀る大神神社にあるとしている。
また白鳥は新羅との関係を
白い餅とは杵でつく餅であることより杵築大社を現している。
③鼠については大黒天の絵像には
頭巾をかぶり左肩に大袋を背負い右手に小槌を持ち米俵を踏まえた大黒天と
その傍らに鼠が描かれる。
また『古事記』には大國主命が須佐之男命の射た鏑矢を探しに行った野で
火を放たれる試練にあうがその時に鼠が助けてくれるという話がある。
大國主命は根の國を訪問するが
根の国の根は十二支の子=鼠を暗示している。
④秦氏が伏見の稲荷社で祀ったのは滅ぼされた出雲の宇賀神こと大國主命
であり幽界=根の国への入口である出雲の宇賀に祀られているからこそ
宇迦之御魂神ともされた。
⑤狐は木つ根であり古今伝授の三木三鳥の三木を指していると考えられる。
さて黒い狐が鼠の暗示なのかは
それぞれの読者の判断にゆだねるが
宇迦之御魂大神と豊受大神と宇賀神とのつながりは
古来から複数の方の指摘する通り無視できないものがあることは
事実である。
ただ秦氏創建の伏見稲荷が創建時より秦氏由来で
出雲神とつながりがあるかについては、疑問を投げかけたい。
私のブログの『初期のコメント集』を魚拓しているが
そこの 「80 龍蛇神について追記 吉田一氣 - 2008/02/11 16:55 」 で以下のように考察している。
『伏見稲荷の場所はもともとは藤森神社があり
藤森神社は紀氏・賀茂氏が祭祀していたと思われます。
賀茂氏は出雲の風土記では意宇郡舎人郷 賀茂神戸と記載され
島根県安来市には賀茂神社もあるなど
葛城の前に出雲を本貫としたのではないかとも云われています。
葛城一言主神と出雲の事代主命の混同も
出雲に縁がある賀茂氏が葛城に住んだからだと思われます。
その後に賀茂氏は京都にも進出して来たのだろうと思います。
ところで出雲では神在祭にてまず最初に稲佐の浜に上がったセグロウミヘビを
龍蛇神としてお迎えすることから始まります。
出雲大社の分霊を祀る「常陸国 出雲大社」では
祭神に大国主命だけでなく龍蛇神も祭っているようです。』
つまり秦氏が祀った宇迦之御魂大神と大國主命は直接関係が無いのだが
奪い取った伏見稲荷のもともとの祭神が龍蛇神であり
その由来は紀氏・賀茂氏が祭祀した藤森神社にあり
霊的感応者は伏見稲荷でどうしても出雲神である龍蛇神に感応してしまうことにある。
これは私自身の伏見稲荷での体験にも重なっている。
また賀茂氏=秦氏説もあるのだが
これについての考察は別項でしたいと思う。
ただ賀茂氏と三輪山の祭祀には大いなるつながりがある。
大物主命の後裔といわれ三輪山祭祀をするために呼ばれた
太田田根子の子の大鴨積命が大鴨=賀茂と繋がり
これを祖とする地祇系の賀茂氏の系統が存続しているからである。
※伏見稲荷 藤森神社 城南宮 真幡寸神社の関係については
神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てられた三光紋の軍旗を
最初に現在の伏見稲荷の有る稲荷山の三つの峯に奉斎したという伝承もあるので
三光紋の調査記として別途記載したい。
『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応 No387』
『咤枳尼天の日本仏教への影響 No388』
二つの記事を書いてきたが
咤枳尼天については『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応 No387』で
野生動物ジャッカルの神聖化されたものと記載しているが、
ジャッカルの図柄といえば天川弁財天曼荼羅図が思い出される。
左右の蛇は首に五十鈴を付けられており
まるで鵜飼の鵜のような蛇を従えるジャッカルが
中心となる天川弁財天曼荼羅図であるが
この信仰では弁財天の本当の姿はジャッカル=咤枳尼天ということになる。
追記
品様から以下のような質問があったので少し内容を補足したい。
『教えて下さい。ジャッカル=白蛇という事でしょうか?
それとも、ごく限られた弁財天社のみジャッカルなのでしょうか?』
ジャッカル⇒咤枳尼天ということは記載した通りだが
ジャッカル⇒咤枳尼天=蛇 あるいは咤枳尼天と蛇が
三位一体の関係にあるのかについては
十分な検証が必要だと思われる。
さらに天河以外の弁財天社で咤枳尼天=弁財天とされた例があるのかだ。
まずジャッカルという動物が日本や中国にいない以上
ジャッカルが狐に模されたことはなるほどと思える。
最上位経王大菩薩や荼枳尼天がまたがる動物が
ジャッカルでなく狐になっていることも仕方ないものであろう。
さて蛇についてであるが
これは縄文信仰や出雲の神の信仰に繋がるのだが
この蛇信仰は日本人だけでなく人類の深層心理に刻み込まれたものである。
この蛇神を邪神として怖れ封じようとすることは
新しく生み出された信仰形態においては必須とされてきたように感じる。
日本においては例えば出雲において
今なお龍蛇神として深く信仰されているが、
日本神道の主祭神として龍蛇神が祀られることは表立っては無くなっている。
下の写真は伏見稲荷神社の靈符である。
伏見稲荷で狛犬の代わりの狐が
銜えているものは鍵や稲穂や験(しるし)の杉であるが
この写真では俵の上に乗る蛇が銜えていている。
三個の宝珠は三位一体の霊徳の象徴であり
この秘密を本当に守っているのは蛇神であることを
この靈符は伝えている。
簾 ( すだれ ) があるのは一般人はそのことを知る必要がないということだ。
※米俵の上の蛇は宇賀神とされる。
次の写真は空海に由来する第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺の
三面大黒天の靈符である。
大黒天 毘沙門天 弁財天?が三位一体となり
その頭には霊徳の象徴である宝珠を乗せている。
しかし俵の上に乗るのは三天であり蛇ではない。
蛇はというと俵の下にいて俵に抑えつけられている。
この焼山寺の伝承では空海が虚空蔵菩薩の力を借りて
大蛇を岩窟に封じ込めたという事であるが
これは蛇神が守る宝珠を真言密教が奪い取ったという事を意味する。
※稲荷神社の白狐信仰は真言密教由来という話もある。
さて縄文信仰や出雲の信仰では龍蛇神は祀られているが
動物神は祀られていないようである。
ジャッカル⇒咤枳尼天
蛇⇒宇賀神⇒弁財天
という習合の流れは確かにあり
咤枳尼天=弁財天という錯誤も天河であるのだが
ジャッカルと蛇とは別の存在であり
例えばジャッカル⇒狐と蛇の間で
狐=蛇とするような錯誤の例は知らない。
結論としては天川弁財天曼荼羅図が示すように
咤枳尼天はどこにでも紛れ込むということである。
追記2
さらに品様から以下のような情報が寄せられたので本文中で紹介しておく。
『伏見稲荷霊符なのですが、とても面白い高察がございます。
草野俊子様の著作の「古代からの暗号」の中で
霊符の下部右側の黒い狐の実の姿が鼠ではないかと記されています。
黒い狐の手足の形象を、よくよく拝見すると狐のそれと違うとの事。』
この草野俊子女史の考察は以下の点にある。
①稲荷社の祭神=宇迦之御魂大神=穀霊=蛇=宇賀耶=宇賀神=大國主命
②出雲の大國主命にまで繋がる理由として杉と蛇の組み合わせの例が
大國主命を祀る大神神社にあるとしている。
また白鳥は新羅との関係を
白い餅とは杵でつく餅であることより杵築大社を現している。
③鼠については大黒天の絵像には
頭巾をかぶり左肩に大袋を背負い右手に小槌を持ち米俵を踏まえた大黒天と
その傍らに鼠が描かれる。
また『古事記』には大國主命が須佐之男命の射た鏑矢を探しに行った野で
火を放たれる試練にあうがその時に鼠が助けてくれるという話がある。
大國主命は根の國を訪問するが
根の国の根は十二支の子=鼠を暗示している。
④秦氏が伏見の稲荷社で祀ったのは滅ぼされた出雲の宇賀神こと大國主命
であり幽界=根の国への入口である出雲の宇賀に祀られているからこそ
宇迦之御魂神ともされた。
⑤狐は木つ根であり古今伝授の三木三鳥の三木を指していると考えられる。
さて黒い狐が鼠の暗示なのかは
それぞれの読者の判断にゆだねるが
宇迦之御魂大神と豊受大神と宇賀神とのつながりは
古来から複数の方の指摘する通り無視できないものがあることは
事実である。
ただ秦氏創建の伏見稲荷が創建時より秦氏由来で
出雲神とつながりがあるかについては、疑問を投げかけたい。
私のブログの『初期のコメント集』を魚拓しているが
そこの 「80 龍蛇神について追記 吉田一氣 - 2008/02/11 16:55 」 で以下のように考察している。
『伏見稲荷の場所はもともとは藤森神社があり
藤森神社は紀氏・賀茂氏が祭祀していたと思われます。
賀茂氏は出雲の風土記では意宇郡舎人郷 賀茂神戸と記載され
島根県安来市には賀茂神社もあるなど
葛城の前に出雲を本貫としたのではないかとも云われています。
葛城一言主神と出雲の事代主命の混同も
出雲に縁がある賀茂氏が葛城に住んだからだと思われます。
その後に賀茂氏は京都にも進出して来たのだろうと思います。
ところで出雲では神在祭にてまず最初に稲佐の浜に上がったセグロウミヘビを
龍蛇神としてお迎えすることから始まります。
出雲大社の分霊を祀る「常陸国 出雲大社」では
祭神に大国主命だけでなく龍蛇神も祭っているようです。』
つまり秦氏が祀った宇迦之御魂大神と大國主命は直接関係が無いのだが
奪い取った伏見稲荷のもともとの祭神が龍蛇神であり
その由来は紀氏・賀茂氏が祭祀した藤森神社にあり
霊的感応者は伏見稲荷でどうしても出雲神である龍蛇神に感応してしまうことにある。
これは私自身の伏見稲荷での体験にも重なっている。
また賀茂氏=秦氏説もあるのだが
これについての考察は別項でしたいと思う。
ただ賀茂氏と三輪山の祭祀には大いなるつながりがある。
大物主命の後裔といわれ三輪山祭祀をするために呼ばれた
太田田根子の子の大鴨積命が大鴨=賀茂と繋がり
これを祖とする地祇系の賀茂氏の系統が存続しているからである。
※伏見稲荷 藤森神社 城南宮 真幡寸神社の関係については
神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てられた三光紋の軍旗を
最初に現在の伏見稲荷の有る稲荷山の三つの峯に奉斎したという伝承もあるので
三光紋の調査記として別途記載したい。