吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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血の繁栄と魂の繁栄 No081

2010-01-12 01:10:33 | 日記
血の繁栄というのは、血縁による子孫繁栄と考えていただきたい。
つまりはミトコンドリアの繁栄、
あるいはDNA遺伝子の繁栄と考えれば分かりやすい。
魂の繁栄というものは生まれ変わりの中で
複数に分かれた魂が繁栄していくものと思っていただきたい。
我々人間はそういうわけで肉体と魂の2系統の祖先を持つことになる。
一般に魂の先祖は神霊に繋がり、
血における先祖は100代も下がれば無数の過去に生きた先祖に繋がっている。
前世というものは同じ自我では無いわけで
魂は分裂して二つに生まれ変わることもあることを考えると
前世も御先祖とも言ってよかろう。
さて儒教を広めた孔子は葬儀屋の息子だったと言われている。
従って先祖祭祀についての思想が儒教の根底にあることが良く分かる。
儒教では兄弟では早く生まれた兄が偉い。
これを序列というが、長く生きているから偉いというわけではない。
先祖に近いから偉いという考えである。
その根底にあるものは「招魂再生」である。
子孫が先祖を祀る招魂再生の儀式を行えば、
天と地から死んだ人間の魂(こん)と魄(はく)がそれぞれ戻ってきて
再生すると儒教では考えている。
そのために祖先の祭祀と子孫の繁栄が何よりも重んじられている。
全ては「招魂再生」をうまく行うための理論といってもいい。
子孫がいないと招魂再生出来ないのだ。
そのためにまずは忠孝の道があってそれを適える為に仁義を重視している。
ところが葬儀屋だけあって「怪、力、乱、神を語らず」と言っている。
これはどういうことかというと
つまり「怪」とは理屈に合わない理論で「力」とは戦争で
「乱」とは反乱で「神」とは神霊のことである。
葬儀屋としてのわきまえであろう。
孔子は「鬼神を敬してこれを遠ざく」と言っているが
ここに端的表されていることがある。
つまり血縁の繁栄には強く関与しているが
魂の縁の関与は切り捨てている。
魂の縁を祭祀するためには神霊界の祭祀が必要となる。
ところが葬儀屋としては魂魄でいえば魂は天から戻るので
ほっておいてもとりあえず大丈夫だが、
魄は地に降り白骨から戻る必要があるので墓の準備ほか
保管に関しての木主製作などいるいろと儀式が大変なのだ。
それで祭祀が偏ってしまった。
中国では歴史上これの修正のために道教がその後に生じている。
道教では魂に繋がる神霊界の祭祀を行っている。
これで陰=魄と陽=魂の祭祀のバランスが取れた訳だ。
我々は日常において先祖祭祀と神霊祭祀のバランスをとる必要がある。
どちらかに傾くと陰陽のバランスが崩れどこかにほころびが生じてしまう。
そのことを心してもらいたい。
生まれ変わりをたどっていくと神にたどり着く。
我々は神の分魂をいただいているのだ。
その御魂を磨く為に何度かの再生をしているわけだ。
血の流れが畑なら魂の流れは種だといえよう。
目的は種を育てることにある。
神人合一という神道用語があるが、
これは魂の先祖たる神と同一になることだと思ってもらいたい。
分魂は分れるごとに小粒になるが
それを育てて元の大きさにするとイメージしてもらいたい。
御魂が成長すると神となり神は増えることになる。
神霊界においても繁栄の法則がそこにある。






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偶像崇拝と芸術 No080

2010-01-12 00:24:50 | 日記
偶像崇拝は副産物として
芸術的なレベルを高めているといえる。
縄文の遮光器土器は偶像であろうし
そこから派生した火炎土器にも
すばらしい芸術性を感じる。
それはまさしく文明であろう。
そしてヨーロッパ含め世界各国の宗教画の
芸術性も偶像崇拝の副産物といえる。
神を称える事は人間の本質的な根源に由来するものであって
可否を判断出来るようなものではない。
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