2004-34 イタリア5日 サン・マルコ大聖堂・正面ファサード 堂内 エンリコ・ダンドロ ホテル・ダニエリ/2015.6記
ヴェネツィア商人がアレキサンドリアから聖マルコの遺骸を盗み出し、無事、ヴェネツィアに到着した。
いそぎ、聖マルコの遺骸を安置する仮の教会堂が建てられた。
832年、現在の場所にサン・マルコ聖堂の建設が始まった。ヴェネツィアは海外交易しか生きる道はなく、いろいろな国と衝突することも少なくなかったから、建設はときどき中断した。260年後の1090年代にビザンティン様式・クロスドーム形式のいまの聖堂が完成した。
話は変わって、ヴェネツィアの元首=総督ドージェは終身で、貴族議員の中から選ばれる。
一方、1096~1099年の第1回十字軍がエルサレムを奪還したものの、その後イスラム勢力が巻き返し、第2回、第3回十字軍が結成されたが結果的にはイスラム勢力を打倒できなかった。第4回十字軍は1202~1204年で、ヴェネツィア海軍とフランス陸軍が主力となった。この時のドージェがエンリコ・ダンドロである。
優れた戦略家のダンドロは戦費を調達するためヴェネツィアと海外交易で敵対していたザラ(現クロアチアのザダル、なんとローマ・カトリック!!)を攻め落とす。さらにヴェネツィアの交易国であるエジプトを避け(イスラム教国!!)、東ローマ帝国(キリスト教正教会)=ビザンティン帝国を攻略する。
ビザンティン帝国の攻略で大量の戦利品を手に入れ、これをサン・マルコ聖堂の豪華な装飾にあてたのである。交易しか生きる道がないための戦略とはいえ、宗教的同胞を攻め落とすのだからダンドロの決断力はすごみを感じる。
サン・マルコ聖堂のファサードのモザイクや金箔、色大理石を組み合わせた床仕上げ、まばゆいばかりの金をふんだんに使ったドーム天井画などなど、目を見張る。言い換えれば、ビザンティン帝国がそれほど豊かであり、その豊かさに埋没していたことが想像できる。
話を飛ばして、サン・マルコ大聖堂(ヴェネツィア共和国時代は司教座がおかれていなかったのでサン・マルコ聖堂)を出て、運河沿いを左に歩くと5星のホテル・ダニエリが建っている。ゴシック様式の外壁はサーモン・ピンク色で、サン・マルコの埠頭を目指す船はホテル・ダにリガ先に目に入るはず。このホテル・ダニエリこそ、ダンドロ一族の居館である。建設は14世紀後半だから、エンリコ・ダンドロの数代あとにつくられたことになる。ダンドロ家はドージェを何人か輩出した名門だから、ドージェの館のつくり方が見学できる。
まさに豪華絢爛、部屋は最安値が6万円~、スイートは55万円~だそうだ。
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