今日は、表参道のI病院に行き、亜急性甲状腺炎の経過を判定してもらった。まずは血液検査、結果はおよそ1時間かかるし、担当医はまさに行列ができ、診察までかなり時間がかかる。
ぶらっと散歩に出た。適当に歩いていたら、懐かしい建物に再会した。
東孝光設計「塔の家」である。1966年竣工のこの建物は都心居住への挑戦として話題を集めた。
神宮前のわずか20㎡足らずの敷地に、地上5階、地下1階のアトリエ付き住まいを建てて、都心居住を実践しようという試みである。
東氏を慕うM君がそのアトリエに務めていたので、何度か訪ねた。仕切り壁はない。生活空間は縦に重ねて機能分離してある。刺激的な空間にもかかわらず、居心地が良かった。
外観をしばらく眺めながら、40年ほど前の光景を懐かしく思い出した。
東氏も先年他界され、M君も数年前、病に勝てず他界している。
思い出はほろ苦いね。
・・・診察の結果はまったくの正常、経過観察も必要なし、メデタシメデタシとなった。表参道=神宮前に来る機会もなくなったから、思い出はそのまま忘却の彼方かな。
1982 生活空間再考11「場の必要性」 建築とまちづくり誌
書き出しは農民作家山下惣一著「一寸の村にも五分の意地」である。山下氏の本は何冊か読んだ。ユーモアを織り込みながら真実を突いているので、しばしば絶句、涙したこともあった。
・・「わが家の隣りの公民館の広場にある、火の見に据えられた有線のスピーカーから、村と村民をつなぐ放送が流れてくる、これを聞いていると、村の人間は都会でなら当然行政がやっていることを、自分の暇をつぶしてずいぶんやっている、下水掃除やら薬剤散布、消防団、農道の草刈り、村有林の植林、さらには公民館の修繕費、小・中学校への寄附まである云々」・・。
これを読んで、私は、・・自分が暮すところであるから、自分の子どもが暮すところであるから、家をつくり守ると同じように、貴重な時間をさいて労力を出し、乏しい資金をつぎこんで村をつくり、守ろうとするのではないだろうか。こうした行為を通して人々はまた、村への愛着の情を育て、自然への畏敬の念を深め、力を出しあい結束することの意義を学んでいくはずである・・と感じた。
そう書きながらも、忙しいときは時間も関心もさくことができず、いつの間にかまちづくりから遠いポジションになってしまった。反省・・。私の二の舞にならないように。
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