2015.8.9 金峰米
鹿児島県金峰町・・いまは合併して南さつま市金峰町・・のS氏からの依頼で、2004年、住宅マスタープラン策定委員長を務めた。最初に訪ねたとき、町内をくまなく見て回った。印象に残った一つが、金峰山の裾野に広がる水田だった。埼玉の稲穂の伸び具合とずいぶん違う。S氏曰く、薩摩半島は台風がよく上陸し、かなりの被害になる。とりわけ、収穫前の稲が壊滅的な被害を何度も受けた。薩摩人の知恵はすごい。少しずつ早く収穫できるように品種改良を重ね、8月盆前に収穫できる米を作り出した。
当然、田植えも早く、稲穂も埼玉より育っていたのである。さっそくその年の8月早々に新米を贈っていただいた。以来、律儀なS氏は毎年8月早々に金峰米を贈ってきてくれる。だから我が家は早くも新米コシヒカリを食べている。新米だから美味だが、私には新米を通して薩摩人の知恵が吸収できたような気がする。
TPPが世界の流れであっても、薩摩人の知恵は揺るぎない。これからも魅力的な米づくりを応援したい。
イタリア紀行2004-43 イタリア6日目 ミラノ中央駅 ドゥオーモ ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガッレリア スカラ座 /2015.7記
スフォルツァ城の次はミラノ中央駅の見学だった。完成は1931年、駅舎の外観は重厚な城郭を思わせたが、プラットフォームは鉄骨アーチ+ガラスの現代的なデザインである。プラットフォームは340mもの長さがあり、いまやTGVも発着する。1931年当時はTGVはまだ無かったが、プラットフォームに限っては未来を予見したといえる。
ちなみに最初の計画案はイタリア王国時代だったが計画自体がまとまらず、ムッソリーニ時代に建設された。フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅もムッソリーニ時代だが、フィレンツェの駅舎は現代デザインで評判がいい。ムッソリーニは気まぐれだったのか?。
次にドゥオーモ広場でバスを降りた。今日は外観だけの見学・・明日の自由時間に見る予定・・。ドゥオーモ広場の北側にヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガッレリアのみごとな門構えが立つ。門構えは古典的な外観だが、ガッレリアは鉄骨アーチにガラス屋根で軽快である。
1877年の完成で、初代イタリア王にちなんでヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガッレリアと呼ばれた。
ガッレリアの総延長は180mほどもあり、両側には3階建ての建物がびっしり並んでいるが、鉄骨アーチ+ガラス屋根でとても明るい。
1階は有名ブランド店やレストランで人通りが絶えないにぎやかさである。
ガッレリアを抜けるとスカラ座になる。このスカラ座はイタリアオペラの最高峰といわれる。かつて別の場所にオペラ座があったが焼失し、サンタ・マリア・アラ・スカラ教会のあった場所に建て替えられたのでスカラ座と呼ばれることになった。
再建のころはオーストリア支配下だったので、女帝マリア・テレジアの認可を受けて建てたそうだ。もしかすると外観はマリア・テレジア好みかも知れない。
ミラノの歴史建築からも激動の歴史がうかがえる。
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