yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

王室宮廷画家のベラスケスは外交官も兼ねながら「ラス・メニーナス」などを残す

2015年12月24日 | 旅行

2015.12.24  スペインを行く8 プラド美術館 「ヘロデ王の饗宴と洗礼者ヨハネの斬首」 ベラスケス「バッコスの勝利」「ブレダ開城」「王妃イサベル・デ・ボルボンの騎馬像」「ラス・メニーナス」「アラクネの寓話」 /2015.12記
 2015年のプラド美術館はヘロニモ館が増築され、カフェが拡張されるなどの整備が進んだが、写真撮影は全面的に禁止になった。1994年に訪れたときは、増築前だったが、写真撮影ができた。セキュリティは大事だから若干の制限は致し方ないが、写真は行動・観察の記録も兼ねているから、撮影が禁止になると行動・観察の記憶があやふやになる。
 メモを頼りにプラド美術館を思い出す。
 ベラスケスは、プラド美術館の入口名になるほど、スペインを代表する画家である。生まれはセビーリャで、子どものころから画才が認められていたようだ。24才のころ、主席大臣の紹介でフェリペ4世の肖像画を描いたところ、フェリペ4世はたいへん気に入ったようで、フェリペ4世付き宮廷画家として召し抱えられた。
 29才のとき、そのころはスペイン領であったネーデルラントからルーベンスが外交官として派遣されてきて、ベラスケスとの交流が始まる。このころに描かれたのが「バッコスの勝利」で、ルーベンスの影響が見られるそうだ。
 30才のとき、ルーベンスの勧めで、美術品収集を兼ねてイタリアの旅に出る。このとき、あとで描かれた「ブレダ開城」のスピノラ将軍と同船する。イタリアからの帰国後に描かれたのが「キリストの磔刑」で、ティツィアーノ、ティントレットの影響がうかがえるそうだ。
 話が前後するが、スピノラ将軍は独立を目指すネーデルラントと戦い、要塞ブレダ城を開城させ、勝利した。フェリペ4世の戦勝記念として、35才のころに「ブレダ開城」が描かれた。集団肖像画ともいえるこの絵は躍動感が感じられる。
 さらに話が前後するが、ブレダ開城でネーデルラントはスペイン領となり、ルーベンスが外交官としてスペインに来て、ベラスケスと出会うといった順序になる。
 36才のころに「王妃イサベル・デ・ボルボンの騎馬像」が描かれる。イサベルはフランス王アンリ4世の娘で、フランス語ブルボン朝はスペインではボルボンとなる。
 残念ながら王妃はこの絵の10年後、42才で亡くなる。フェリペ4世は自分の妹とオーストリア・ハプスブルク家フェルデナント3世のあいだに生まれた・・つまり姪にあたる・・マリアナと再婚し、生まれた王女がマルガリータで、マルガリータを主人公とした絵が50代後半に描かれた「ラス・メニーナス」である。舞台設定は立体的で、登場人物がいまにも動き出しそうな臨場感にあふれている。
 続いて、「アラクネの寓話」が描かれる。立体的な舞台構成もあるが、神話が隠されていて、絵を解くおもしろみもある。
 ベラスケスは、王妃イサベル・デ・ボルボンの末娘とフランス王ルイ14世の婚礼の準備を終え、帰国後に61才で没す。多忙が命を縮めたのかも知れない。

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