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アラゴン王とカステーリャ女王の娘フアナがいなければスペイン王+神聖ローマ皇帝カール5世は生まれない

2015年12月09日 | 旅行

2015.12.9  スペインを行く6 聖ヘロニモ教会 プラド美術館 「狂女フアナ」 /2015.12記
 マドリッドのプラド美術館は、世界三大美術館といわれるメトロポリタン美術館、ルーブル美術館、エルミタージュ美術館に次いで高い評価を得ている。
 プラドは牧草地、牧場といった意味合いで、かつては緑豊かな牧草地だったいまの場所に馬を利用する名士たちのサロンがつくられたらしい。1785年、ボルボン朝カルロス3世がここに自然史博物館を建てた。設計はスペイン人のビリャヌエバである。
 19世紀初頭、ナポレオン軍がスペインに侵攻し、略奪が横行した。王室の美術品もかなり略奪されてしまった。ナポレオン軍撤退のあと、フェルナンド7世は、王室の美術品を一括管理しようと自然史博物館を改修して王立美術館とし、美術品を一般公開した。当時の収蔵品は300点ほどだったそうだ。
 革命後、プラド美術館と改称された。略奪された美術品の返還や買い戻し、新たな美術品の購入が続けられ、いまや2万点を誇るそうだ。芸術文化の振興は賞賛に値しよう。
 収蔵数が増えたため増築され、もともとのプラド美術館は設計者の名前からビリャヌエバ館、増築部分は隣接する聖ヘロニモ教会にちなんでヘロニモ館と呼ばれた。
 聖ヘロニモ教会の歴史は古い。加えて、1582年にローマ教皇に派遣された天正遣欧使節団がスペイン王フェリペ2世の謁見を受けたのが聖ヘロニモ教会で、日本ともゆかりがある。
 プラド美術館は、ゴヤの扉、ベラスケスの扉、ムリーリョの扉、そしてヘロニモの扉と呼ばれる入口がある。1994年ツアーでは増築はまだされていなくて、グループも個人もゴヤの扉から入場したが、いまはグループはヘロニモの扉、個人はゴヤの扉に分けられていた。
 最初に見た作品が「狂女フアナ」である。340×500cmの大作で、中央に喪服姿のフアナが立ち、その左にハプスブルク家の紋章をつけた棺が置かれている。なんと場所は荒野のただ中で、フアナは何かに取りつかれた眼差し、お付きの者たちは疲れきって座り込んでいる。気が違ってしまったフアナは鬼気迫る雰囲気だが、実は歴史の重要な一コマなのである。
 フアナは、レコンキスタを完了させるアラゴン王フェルナンド2世とカステーリャ女王イサベル1世の娘で、ハプスブルク家のフィリップと結婚し、カルロスを出産する。フェルナンド2世とイサベル1世の子どもたち、さらにその子どもが次々と亡くなり、イサベル1世も亡くなったため、フアナはカステーリャ女王になる。間もなく、フィリップが急死する。やがて、フェルナンド2世もなくなる。となれば、フアナの跡継ぎはカルロスとなり、カルロスはアラゴン+カステーリャ=スペインとオーストリア・ハプスブルクの広大な領土を支配することになる。このカルロスが、スペイン王カルロス1世であり、神聖ローマ皇帝カール5世である。
 フアナはストレスが高じ、狂女とされてフェルナンド2世により幽閉されてしまい、76才で息を引き取った。
 「狂女フアナ」は鬼気迫るが、彼女がいなければカルロスは生まれず、ヨーロッパ史が大きく変わってしまう。そうした見方をすると、フアナは政治に翻弄された悲劇の女性に見えてくる。

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