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ゴヤはスペイン衰退期に宮廷画家となるが独立戦争が起き、「マドリッド1808年」でその悲劇を描く

2015年12月15日 | 旅行

2015.12.15  スペインを行く7 プラド美術館 ゴヤ 「マドリッド1808年5月3日」 「裸のマハ」「着衣のマハ」 「カルロス4世の家族」 ムリーリョ 「無原罪の御宿り」 「貝殻を持つ子どもたち」  /2015.12記
 スペインを代表する画家の一人がゴヤで、プラド美術館の入口の名前にも使われている。
 ゴヤは1746年生まれ・1828年没で、もう一人のスペインを代表する画家ベラスケスよりも150年後に活躍した。
 ベラスケスは、まだスペイン黄金時代の名残が残るハプスブルク家フェリペ3世、フェリペ4世に仕えたが、ゴヤは、ハプスブルク家が断絶したあとのボルボン朝カルロス3世、カルロス4世のときに宮廷画家となった。

 カルロス4世は政治に向かない王で、息子からも見放される。父に嫌気がさした息子はナポレオンに助力を頼み王位を狙うが、ナポレオンが進軍し自分の兄ジョゼフを王に就け、カルロス4世も息子のフェルナンド皇子も捕らえてしまう。・・息子から見放される父も父なら、ナポレオンを呼び込む息子も息子だ。やれやれ。
 当然、スペイン国民の怒りが爆発し、スペイン独立戦争が起きるが、フランス軍の鎮圧で大勢の犠牲が出る。「マドリッド 1808年5月3日」はフランス軍によるマドリッド市民の銃殺を描いた作品である。ゴヤは怒りすぎたのか、絵に緻密さがなく、ピカソの「ゲルニカ」のような圧倒する緊迫感に欠けているように感じた。

 話を戻して愚弄なる王カルロス4世の家族を描いたのが「カルロス4世の家族」であるが、中央に堂々と立つのは王妃で、カルロス4世は侍従のように見える。10余人の家族が描かれているが、目線はまちまちで、スペインの行く末の不安を表しているようだ。

 カルロス4世の代わりに政治を取りしきったのが首相のゴドイで、ゴドイの愛人?をモデルにした絵がかの有名な「裸のマハ」「着衣のマハ」である。スペインは敬虔なカトリックの国であるから、裸の女を描くのは常識では考えられない。そこで、普段は「着衣のマハ」を飾り、限られた人だけが集まったときに「着衣のマハ」の下に隠してあった「裸のマハ」を楽しんだとか。ここからも政治の乱れがうかがえるが、ゴヤの描くマハはなかなか官能的で、裸にしろ着衣にしろマハは生き生きしている。ついでながらマハは、小粋な娘といった意味である。

 ムリーリョは1617年生まれ、1682年没で、ベラスケスとゴヤのあいだぐらいに活躍した。セビーリャ生まれで、生涯、セビーリャとその周辺の聖堂、修道院、病院の依頼で絵を描き続けた。
 画風は穏やかで、見る者の気持ちを静めてくれる。時代が下り、ボルボン朝フェリペ5世の王妃イサベルがセビーリャに滞在したとき、ムリーリョの作品を気に入り、何点も買い上げて王室に持ち帰ったそうだ。王妃も気に入ったほど穏やかな表現はスペイン人の気質に通じたのか、プラド博物館の入口名になったほどである。

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