よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「自然と歴史の町須恵町を歩く」(福岡県粕屋郡須恵町~宇美町~志免町)

2022-07-22 12:19:48 | ふくおかウォーキング協会

7/20(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「自然と歴史の町須恵町を歩く」でした。

集合場所は、JR須恵中央駅、参加者は、36人。

須恵町は、古墳時代に須恵器が当地で生産されていたことに由来します。江戸時代1764年には、福岡藩の御用窯が設置されましたが、明治時代に廃止されました。

明治から昭和にかけては、海軍炭鉱がありました。

また、江戸時代から現在に至るまで、須恵には岡(高場)眼科(須恵区)と田原眼科(上須恵区)という2つの眼科の家系があります。

江戸時代には、ともに福岡藩の御典医となり、名声を得ました。田原眼科は江戸時代には日本四大眼科の一つに数えられ、全国に名をとどろかせました。岡家と田原家は、天草出身の

高場順世(たかば じゅんせい)から医術を学びました。

 江戸時代の田原眼科の治療記録『眼目療治帳』が現存します。この資料によると、患者の出身地は、北は北海道から南は鹿児島まで、年間1,000人以上もの患者がこの地に治療(目養生)に

訪れたことが記されています。

 「眼病人宿」は、眼病の治療のために岡眼科や田原眼科を訪れた患者が宿泊した宿です。上須恵村や須恵村は、もともとは農村でしたが、全国各地から訪れる患者のために宿屋を営み、

後に職業化して屋号を持つようになりました。上須恵では、「肥後屋」「唐津屋」「日田屋」など地名にちなむ屋号、「桝屋」「焼酎屋」など生業に関する屋号が今も残っています。

後に、製薬・売薬業を営む家も生まれました。しかし、明治末に田原眼科が移転すると、眼病人宿も衰退し、現在では当時の面影を残すものはごくわずかとなっています。

 高場順世が考案したとされる目薬「正明膏(しょうめいこう)」は、須恵の目薬として昭和20年代まで盛んに作られました。紅絹に包まれ、蛤に包まれた目薬は、須恵町以外でも広く使われました。大正時代の正明膏の調合を基に復元した近年の研究成果によると、正明膏が抗菌作用、ドライアイに効果があることが明らかになっており、その効能が実証されました。(須恵町HPより)

現在、田原眼科の系統を組む眼科は、志免町にあります。

コースは、JR須恵中央駅をスタートして宇美公園~宇美八幡宮~光正寺古墳公園~七夕池古墳~志免シーメイト~須恵中央駅ゴールの約10km。

今日も暑く、予想気温は、34度です。

 

長めのミーティングの後、9:40スタート。

最初の休憩は、宇美公園。

 

宇美公園内には、「神領(しんりょう)古墳群」があります。調査で6基の円墳が確認されましたが、2基は消滅し、現在は、1号墳~4号墳の4基が残っています。

 

 

宇美八幡宮

宇美八幡宮は、三韓征伐から帰還された神功皇后が、応神天皇を出産したといわれる地で、敏達天皇の時代(572年~586年)に創建されたといわれています。

境内には、助産師の始祖が祭られている「湯方社」、応神天皇の産湯に使ったとされる「産湯の水」、神功皇后が出産された際につかまったとされる「子安の木」など安産に関する言い伝えが

数多く残っており、多くの方が安産祈願に訪れています。(宇美町HP)

  

 

 

宇美八幡宮で休憩後再スタート。

  

宇美川を渡り旧勝田線の遊歩道を通ります。

 

光正寺古墳(こうしょうじこふん)

光正寺古墳の築造年代は、第1主体部から出土した古式の土師器甕の制作年代から3世紀中頃から後半と考えられ、県内の前期古墳の中でも最古期の古墳に位置づけられます。

また、光正寺古墳は糟屋郡内最大の前方後円墳であることから古墳の被葬者は、当時糟屋地域を支配した豪族(王?)の墓と考えられます。
中国の「魏志倭人伝」には3世紀中ごろの日本が「倭国」として紹介されています。その倭国には色々な国があったことが記されています。その中で福岡市域(奴国=なこく)の隣にあったと

される「不彌国=ふみこく」の王墓ではないかと考えられます。不彌国の所在地は「嘉穂説」と「宇美説(粕屋)」に分かれていますが、光正寺古墳の調査で「宇美説=粕屋平野説」が有力な地域として考えられるようになりました。(宇美町HP)

 

光正寺古墳を先に行くと「七夕池古墳」があります。光正寺古墳は、宇美町でしたが、七夕池古墳は、志免町にあります。

光正寺古墳の北方、狭い谷をへだてて300メートルほどの所にある円墳である。墳丘は径29メートル、高さ約3メートルで、周囲に幅3.5メートルの濠をめぐらす。

3段築成で葺石もよく残っている。主体部は川原石小石積の竪穴式石室で、長さは1.8メートルほどしかない。石室内には木棺を納めた痕跡があり、木棺の短辺の側抜は地中に

さしこまれた特色あるものである。この内には、4、50代の女性が葬られており、遺体の周囲には小型の〓(*1)製鏡や[[琴柱]ことじ]形石製品等の副葬品が発見されている。

この古墳は、光正寺古墳とともに、宇美川流域における主要な古墳群を形成しているものである。

 

志免町の住宅街を歩きます。

 

志免シーメイトでトイレ休憩

 

気温も高くなってきました。今日は、高速道を潜り、旅石橋、天満宮を通ってゴールする予定でしたが、暑さの為、高速道横の県道91号線を通るルートに変更しました。

 

ふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、7/21~8/19まで夏休みに入ります。(8/20の例会より再開)

新型コロナの感染者も福岡県では、1万人に迫るくらいに感染者が増えています。8月の再開後は、コロナも落ち着いてくれるよう祈っています。

コロナの4回目の接種券がきていましたので、休みの間、接種に行ってみようと思っています。