よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「カエル寺と“恋人の聖地”小郡を漫歩」(福岡県小郡市)

2021-07-08 17:19:03 | ウォーキング

7/7(水)今日は、七夕。

ふくおかウォーキング楽しいウォークの7月最初の教室は、「カエル寺と“恋人の聖地”小郡を漫歩」です。

集合場所は、西鉄三国が丘駅。今日は蒸し暑くいつ雨が降ってもおかしくないくらいの天気です。一応、ポンチョと傘を用意します。参加者40名。

集合場所の天井には、燕の雛が・・・・・

 

9:38ウォーキング開始です。

 

約20分で「カエル寺(如意輪寺)」に到着。

このカエル寺(如意輪寺)は、創建が奈良時代の天平元年(729)歴史のあるお寺です。ご住職が中国を訪れた際、小さなカエルの置物を買って帰ったのがコレクションの始まり、

そこから増え続け今では、5000点以上のカエルの石像や置物があります。また、6月から9月までは「風鈴祭り」として数千個の風鈴が飾られ美しい音色を奏でています。

 

  

  

  

 

 

 

10:06 再スタート。途中右側には、「竈門神社」があります。アニメ「鬼滅の刃」で有名になった神社です。

遠くに「小郡球場」が見えてきました。高校野球福岡県予選も7/6から始まり、ここ小郡球場でも試合が行われます。

 

御勢大霊石神社(みせたいれいせき)・・・延喜式神名帳えんぎしきじんみょうちょうに記載がある由緒正しい神社(延喜式内社筑後四社の一つ)。主祭神は第14代仲哀天皇。伝承によると仲哀天皇が熊組征伐にあたり

行宮あんぐうをここに設けたという。ところが天皇が戦線を巡視した際、毒矢に当たってこの地で崩御。妻の神功皇后じんぐうこうごうは、兵士の士気の衰えを恐れたため喪を秘し、熊襲征伐の後、香椎の宮で発喪。

その後、朝鮮出兵にあたって御魂代(みたましろ)の石を軍船に乗せ、仲哀天皇の鎧と兜を着せて征途についた。戦勝後に凱旋すると、その石を天皇の御魂代として、また朝鮮半島を守る不動石として祀ったと伝えられています。この石は、御勢大霊石みせたいれいせきとして社前に祀られ、立石の場所が天皇殯葬ひんそうの地と言われています。(小郡市観光協会より)

なるほど、仲哀天皇は、香椎宮(福岡市東区)で崩御されたと思ってましたが、実際は、ここ小郡の地だったのですね。初めて知りました。

 

二回目の休憩は、イオン小郡店です。イオン小郡店は、2018年7月、2019年7月の集中豪雨で2年連続冠水しました。

現在、イオン入口には、止水版が設けられています。

  

雨は、何とか持っています。然し、高速道路ガード下を通行したころからポツリポツリと雨が降ってきました。

今日は、7月7日七夕です。ここ小郡には、七夕神社(媛社神社)があります。

 

七夕神社の正式名は「媛社(ひめこそ)神社」です。地元の人は、親しみを込めて「七夕(たなばた)さん」と呼んでいます。

神社の歴史は古く。和銅6年(713)に各国で作られるように命じられた風土記(肥前国風土記)の中にその由来が出てきます。以来、1300年にわたって地元の氏神として信仰されてきました。

「肥前風土記」より   山道川の西岸に荒ぶる神がおり、道行く人のうち半分を殺していました。そこで荒ぶる神が祟る理由を占うと「我が社を造って筑前国宗像郡の人である珂是古(かぜこ)に

祭祀を行わせよ。そうすれば、荒ぶる心は起こさない」という結果がでました。珂是古は幡を掲げて祈祷し、「神が私の祭祀を望むならば、この幡は風に飛ばされてその神のそばに落ちよ」と

いいました。すると、幡が飛んで筑後国御原郡の姫社(ひめこそ)の杜に落下し、再び飛んで山道川のほとりに戻ってきました。また珂是古は機織りの道具に押さえつけられる夢をみました。

これで神の場所と、神が女神であることを知った珂是古が祭祀を行い、人々が当地を安全に通れるようになりました。ここからこの地を姫社(ひめこそ)と呼んでいます。(パンフより)

また、今から千年以上前の書物には各地から差し出す献上品の一覧表が残っています。それによると、小郡を含む筑後国の献上品は米と織物になっており、この地方は、織物が大変盛んであった

ことが伺えます。また、古来織物に携わってきた人々は織物の神として「棚機津女(たなばたつめ)」という女神を信仰していました。この棚機津女の信仰と中国より伝わった織姫・彦星の

物語が混然同化して、織物の神を祀る棚機(七夕)神社として親しまれるようになったと思われます。

古老の話によれば、この神社は「七夕さん」として親しまれ、八月六日の早朝から翌七日の朝にかけて、筑前、筑後、肥前一帯から技芸上達のお詣りで大崎に通じる道路は、参拝者が列をなした

と語っています。

また、宝満川を挟んでこの織姫を祀る七夕神社と相対して老松(おいまつ)神社があり、ここに大正12年の圃場整備の際に合祀された牽牛社があります。天の川と同じく南北に流れる宝満川と

その両岸にまつられた織姫と牽牛(彦星)は、天上の物語を地上に配したようになっており、そこには、昔の人々の信仰とロマンが感じられます。(境内案内文より)

 

 

七夕伝説は子供の頃覚えましたが、もう一度復習してみます。

七夕伝説】昔々、天帝という神様が星空を支配していたころ、天の川の西の岸に織女という天帝の娘が住んでいました。織女は、機織りが大変上手で、彼女の織った布は雲錦と呼ばれ、色も柄も

美しく、上部で着心地も軽い素晴らしいものでした。一方天の川の東の岸には、牛飼いの青年、牽牛が住んでいました。牽牛は毎日天の川で牛を洗ったり、美味しい草を食べさせたりとよく牛の

面倒を見る働き者でした。天帝は来る日も来る日も働いてばかりいる娘を心配して、娘の結婚相手を探すことにしました。そして天の川の向こう岸に住む牽牛を見つけると、二人を引き合わせて

めでたく夫婦となりました。ところが、一緒に暮らすようになると二人は朝から晩まで天の川のほとりでおしゃべりばかりして、いつになっても仕事を始める様子がありません。

織女が布を織らなくなってしまったため、機織り機には、埃が積り、天界には何時になっても新しい布が届きません。また、牽牛が世話していた牛たちもやせ細って次々に倒れてしまいました。

業を煮やした天帝はとうとう二人を引き離し、1年に1度7月7日の夜にだけ、天の川を渡って会うことを許しました。織女と牽牛は心を入れ替えてまじめに働きました。1年に1度、そう7月7日の

夜に会えることを楽しみにして・・・・・。

そして織女は前にもまして美しい布を織るようになったので皆はとても喜びました。牽牛も一生懸命に牛を世話し畑を耕したので牛はすっかり元気になり、畑も豊かな作物が実りました。

やがて待ちに待った7月7日になると、織女と牽牛は天の川を渡り1年に1度のデートを楽しみます。然し、その日に雨が降ると川の水かさが増して川を渡ることが出来ません。

すると、どこからかカササギという鳥の群れがやってきて天の川の中に翼を連ねて橋となり、2人を会わせてくれるのでした。(パンフより)

今日は、七夕ということで、スイカのお守りが販売されていました。(この地方では、子が7歳になる歳の月遅れの七夕の日に大きなスイカを供える習慣があります)

尚、今年の8月6日~7日の七夕祭りは、コロナの影響で中止となっています。

 

七夕神社に着くころから雨が降ってきました。予定では、次の駅「端間駅」がゴールの予定でしたが、雨の影響で近くの「小郡駅」がゴールに変更されました。

11:59西鉄小郡駅にゴール。

 

今日のGPSです。