よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

九州オルレ平戸コース(長崎県平戸市)

2020-06-04 20:23:49 | 九州オルレ

6/2は、2か月ぶりに他県へ移動し「九州オルレ平戸コース」に行ってきました。

7時に自宅を出発し9時10分にオルレスタート地平戸港交流広場に到着しました。昨年平戸ツーデーマーチが中止になりましたので2年ぶりの平戸です。

 

平戸港交流広場スタート →  最教寺奥之院(1.2km) →  川内峠インフォメーションセンター(4.7km) →  川内峠デイキャンプ場(6.8km) → 平戸市総合運動公園(9.2km) → 赤坂野球場(9.7km) → シーライフ平戸(10.1km) →  平戸ザビエル記念教会(11.2km) →  正宗寺【宗陽公の墓】(11.3km)  → 寺院と教会の見える風景(11.4km) →  平戸オランダ商館(12.5km) → 平戸温泉うで湯・あし湯(13km)ゴール

9:25 オルレスタート。

  

交流広場の突き当りには、「じゃがたら娘像」があります。

1639年(寛永16)幕府は、平戸のオランダ商館長に対して、長崎平戸に居住するオランダ人子女を調査し、その氏名と両親の氏名を書き出すように命じ、蘭英両国人に嫁がして子女を産んだ

日本婦人とその子女はひとり残らず、この年出帆のオランダ船でバタビア(今のジャカルタ)に送り届けるよう申し渡された。 長崎平戸の婦女子40人余がこの年追放された。

これら追放された婦女子は、帰国は許されなかったが、切支丹信仰に関係ない手紙・進物等の文通は許された。ジャガタラ文は、ジャガタラ(バタビア)に追放された婦女子から

故郷に送られてきた手紙で、貴重な資料である。(ほっこり平戸より)

昭和14年(1939)に作られた歌謡曲「長崎物語」は、じゃがたらお春をモデルにしました。♬赤い花なら曼殊沙華・・・・三番には、♬平戸はなれて幾百里 つづる文さえつくものを・・・・・♬という歌詞があります。銅像の下には、「日本恋しや、行かしや、見たや、見たや見たや」と書かれています。

  

鄭成功(てい・せいこう)は、中国,明末~清初の人。明朝復興運動の中心人物。父は鄭芝龍,母は平戸の田川七左衛門の娘。幼名,福松。7歳のとき父に招かれて明に渡り,南安県学の員生となり

南京の大学に学んだ。父とともに福州で明朝復興運動に参加,大将軍となり,隆武帝 (→唐王朱聿鍵 ) から朱姓を賜わり,国姓爺 (こくせんや) と呼ばれた。

隆武2 (1646) 年父が清朝にくだったのちもこれに従わず,父の握っていた海上権を受継ぎ,金門,アモイ両島を根拠地に広東の明政府と連絡し,連年大陸沿岸を攻略した。

永暦 15 (61) 年台湾を占領,引続き清朝に抵抗し,清朝の中国統一を悩ませ,明朝復興と大陸反攻の強化をはかったが,翌年急死した。日本では,日中の混血児であることと,

明室への忠節のゆえに「和唐内」と愛称された。近松門左衛門の浄瑠璃『国姓爺合戦』はこれを素材としたもの。 (コトバンクより)

台湾・台南の赤崁楼(せきかんろう)には、鄭成功の像が建っています。

 

コースは「最教寺」に向かいます。最教寺は、806年空海が唐より帰国した際に、この地に立ち寄ったことから開かれた寺院。赤ん坊の泣き声が災いを退けるという

「子泣き相撲」が毎年節分に行われます。最教寺の横から山道に入ります。

  

途中何か所か山道の中へ入ります。

  

  

10:50川内峠に到着。ここまで4,7km。

川内峠には、始めてきましたが、素晴らしい光景です。標高200mの緩やかな峠に広がる30haの草原で、頂上は、360度のパノラマです。天気のいい日には、九十九島や対馬まで一望

できるそうですが、今日は天気はいいのですが、遠くが霞んでいるので見えませんでした。今日はコロナ感染防止でマスクを着けて歩きましたが、ここには他には誰もいません。

マスクを外してこの空気を独り占めします。(といっても家内も一緒ですが・・・)

  

生月島との間に小さな島「中江ノ島」があります。ここは、隠れキリシタンの島ということで世界遺産に指定されています。

詩人「吉井勇」の歌碑もありました。「山さよく 海うるわしとたたえつつ旅人われや 平戸よくみむ昭和32年(1957)7月5日建立されました。

塩上げ石」は、今から650年ほど前、大渡長者という商人がいた。もとは貧しい商人であったが、川内峠を通るときに石に塩を供え「願わくばたくさんの船を持つ大商人にしてください」と

祈願しつづけた。その甲斐あって後に大商人となったという。石の上に塩もしくはお賽銭を置くと願いが叶うということでしょうか、石の上にはお賽銭が置かれていました。

  

頂上の方に行きます。ここからは、360度の光景です。お昼も近づいてきましたのでここで家から持ってきたお握りをいただきます。おかずは、この景色です。

 

 

  

昼食の後、再びスタートします。こんもりとした丘の所が折り返し場所。

 

軽いアップダウンを繰り返し歩きます。

 

歩いていると平戸ツツジの父「熊沢三郎氏」の銅像がありました。銅像のある所から下りていくと一面平戸ツツジ園が広がっています。

今は、6月、きっと4月のつつじの花が満開の時にはきれいでしょうね。

 

ライフカントリー(平戸総合運動公園)が9,2km地点。

赤坂野球場、シーライフひらどの所が10km地点

 

このあたりから平戸市街地に入ります。

平戸ザビエル記念教会:海外交易と同時に、フランシスコ・ザビエルが平戸を訪れ、カトリック教が日本に広がります。1931年に建てられ、韓国からも信者らが多く訪れます。

宗陽公の墓:第26代平戸藩主、松浦隆信(宗陽公)の墓所。オランダ、イギリスとの交易に積極的で平戸が「西の都」と言われた時代の藩主です。

  

寺院と教会の見える道へ。平戸ザビエル記念教会を下り、振り返れば寺院の門からゴシック様式の教会の先端が見える平戸を代表する景観です。

 

瑞雲寺の中を通り、浦の町「大ソテツ」へ。樹齢400年の巨大なソテツは、この場所にあった貿易商の庭に植えられていたもの。このあたりは、江戸時代初期富裕な貿易商が

多く立ち並んでいました。

  

オルレコースも終盤に差し掛かりました。

  

平戸オランダ商館:長崎出島に貿易拠点が移るまでは、平戸が海外交易の窓口でした。1639年に実在したオランダ商館倉庫を2011年復元し、当時の資料などを展示しています。

 

 

詩人「藤浦洸」さんは、平戸市出身。多くの歌の作詞も手がけました。私たちの世代では、NHK「私の秘密」での解答者としてのイメージが強いです。

ゴールの平戸温泉うで湯あし湯の前には、藤浦洸さん生誕百周年で「平戸のうた」の歌碑が建てられています。

 紅のつつじは「きりしま」「ひらど」 昔懐かしカビタン様の国へたよりの押し花が 海の向こうのジャガタラ国の土にこぼれて咲いたげな ほんと咲いたげな

 

14:26 ゴールの平戸温泉うで湯あし湯に到着しました。約5時間のウォーキングでした。