こんばんはZUYAさんです
8月は日本の歴史上、原爆が投下されその後終戦になったりとネガティヴな出来事が多いように感じます
でも戦争を経験していないZUYAさん世代にとっては、35年前の1985年8月12日に起きた『日航ジャンボ機機墜落事故』(犠牲者は520名)が1番記憶に残っている方が多いかもしれません
ZUYAさんの父親は日本航空関連の職場でしたから、日帰り出張で(日航機を利用しての)東京・大阪間の移動が多々ありました。ですから行く前に敢えて「今日は東京に...」なんて言葉が母親にはなかったらしく、事後報告が多かったようです
ですからこの事故の一報がテレビのニュース速報で流れた時の母親の取り乱し方は、当時小学生だったZUYAさんですが、今でも脳裏に焼き付いています(現在のように携帯電話なんぞ普及前の話ですから...)
そんなこともあってか、小生はこの時期になると必ずこの事故に関して本やネット等で忘れていた事実や新しい事実を調べる習慣を持っています。今はネットのお陰で映像も数多くあり、特にブラックボックスに残された圧力隔壁の損傷から墜落までの機長の壮絶な肉声は...(これ以上は勘弁してください)
昨日は久々に4名の生存者の内の何人かの証言(インタビュー)を読み返しました。名前はあえて出しませんが、5人家族で搭乗し母親と長女だけが生き残った方です。いわゆるダッチロールが始まった時にご主人が「子供たちの前だ。うろたえるな!」と励ましてくれたと言うセリフ。小生は熱いモノが込み上げました。特にこのご主人は次々と失神する周囲の人達を、自身は(スチュワーデスに許可をもらって)ベルトを外して励まして回ったそうな
※便宜上、当時の名称を使っております
母親はその後時々メディアのインタヴューを受けているそうですが、長女はネット等のメディアのデマ情報にうんざりしているそうな。でもきっと父親の勇敢な行動・最期は心に刻まれていると思います。ZUYAさんは残念ながら父親になることは叶いませんでしたが、でもこの父親の取った自身の家族だけでなく、この状況下での周囲の人達への気配りは畏敬の念を持っています
被害者全員のご冥福をお祈りします
さて昨日は例のしょうもない講習会に一日参加しました。場所は毎年、銀座です。本年は新型コロナウィルスの影響で参加日を選ぶことが出来ず、公休日に行くことに...
毎度、困るのがランチ。ええ、銀座です。探せばお得なランチの店もあるのですが、昨日のような酷暑では探し回る気も失せます。で、パッと目に付いた『なか卯』に入りました。ZUYAさんはこの手のチェーン店は値段相応であり、それ以上の味は一切期待しません。ところが昨日のはそれ以下でした...もう怖くて2度入れない
ちなみにかつ丼セットをチョイス...
その後、会場近くにある図書館で時間をつぶし午後の部に参加。予定時刻より早く終わってしまいました。職場には“一日”と言うことになっているので、タイムカードを押しに戻るには少し早いので、
まさかの「銀ブラ」
※諸説ありますが、この場合は“銀座でぶらぶらする”の意
痩せたのでもうアンダー・ウェア以外は買わないと決めていた某衣類チェーン店で、型落ちのポロシャツを500円で買ったり、日本で最も有名な宝くじ売り場の一つである『有楽町の宝くじ売り場』へ。サマー・ジャンボは明日(14日)までの発売なので、ラッキーなことにガラガラでサッと買えました。ええ億万長者に片手がかかりましたよ~
※コメント欄での愛人申請は削除させて頂きます
職場に戻り雑務をこなして、タイムアウト
18時過ぎには地元に帰って来れましたので、寡黙な店主のいる居酒屋へ。ええそうです、“前祝い”ですよ。当たったら何処に住もうかなぁって考えながらね
さぁ明日(木曜日)は振替休日。今から映画を観ます~
Have A Good Night,Folks!
〈おまけ〉
数日前に職場で(スマホで)撮った向日葵
あ...コピーライト大き過ぎましたね
この時期になると毎年、御巣鷹山のニュースが流れますが、若くして、こんな亡くなり方をした人のことは、いつまでたっても忘れられません。
実は今回の更新、公開してからやはり削除しようかと思っていたのです。2つの話題の組み合わせは正しいかったのか。「銀ブラ」の話ももし職場の人の目に入ったらと、ちょっと考えてしまったのです
ですが明け方まで観ていたPaul Newmanの「Cool Hand Luke」(邦題=暴力脱獄)を見て忘れかけていた大事な物を思い出したような気になって、このまま公開することにしたのです
にゃんにゃんさんのお目にとまって良かったです
さてこの事故に関しては、生存者の身内の方が仰るように、まあ酷い解釈や適当なことを書いている文献が目に付きます
私はなるべく正しいチョイスをし、自分の人生に役立つようにしていますが、やはり当時の資料を見直したりすると、決して気持ちが良い物ではありません。本文の中で“私たちの世代では~”と太平洋戦争と並べて書きましたが、実際の現場は戦争さながらだったとか
今日は代休です。どうしてももう一度キツツキの音が聞きたいので、今日も文京区の旅です~
写真週刊誌には、黒焦げになった遺体やがれき化した機体など、センセーショナルな画像が載っていました。
でも、この事故を題材にした山崎豊子氏の『沈まぬ太陽』を読んで見方が変わりました。
日航関係者のお詫び行脚を遺族は決して許しません。
父を失った幼児のささやかな夢を表現した詩には涙がこぼれてきました。
二度と起きてほしくない事故のひとつですね。
あの圧力隔壁がぶっ飛んでから御巣鷹山への墜落までの時間は想像しただけでも涙が込み上げてきます。とてもとても筆舌に尽くしがたい時間であったと思われます