『 切ない 』
あるいは
『 虚しい 』
と言った具合ではなかろうかと
正直、もう“怒り”も“馬鹿らしさ”も通り過ぎてしまっている。すっかり連日寝不足になっていることや、(ゴタゴタする前は毎日節約も兼ねて弁当を持って行ってたのに)“対立派”と顔を合わせるのが嫌で無駄に高くて不味い外食で済ませていることや、退職届の一件はうやむやにされそうなこと、少ない意見の合う仲間とも顔を合わせる度にため息をついていること...
なんて充実した日々なのであろうか
ZUYAが愛する黒人音楽。当然ながらアメリカ南部の黒人文化の中で育まれてきた訳である。先ほど黒人の方々が(今もなお残る)“白人との確執”に何か通じるものがあるとふと夢の中で思い立った
60年代にマーティン・ルーサー・キング・Jr等を中心とした 『 公民権運動 』 。アメリカ史、いや世界史における“一大ムーヴメント”の一つであるが、今改めてもの凄いことだと考えさせられる(それに匹敵するのがオバマ氏つまり黒人が大統領になった時である)
もう白人と黒人は別の生き物であるとある意味“洗脳されていた”わけだから、黒人の中にも“何で白人の方々に歯向かうの?”と考えた人もいたろうし、“白人と平等な地位だぁ? 馬鹿なこと言ってんじゃねぇよぉ!”と思った人もいたわけだ。これらの凝り固められた“概念”を振り払い(取り除き)、真にあるべき姿を導くことは並々ならぬことであったに違いない
でも正直、この“真”と言うのも怪しい。この公民権運動も結局はキリスト教的な考えがもちろん入っているわけで“人は神の下に皆平等”だとね。もちろんブラック・ムスリムと言われる“イスラム的”な考えも交錯していたが、まぁ結果的に自分達の存在すべき場所を確立する大きな大一歩となったことは間違いないわけである。それでも80年代にもロス等で大きな暴動がありましたよねぇ。テレビで観た事をを子供心に覚えております。
話が随分“ワールド・ワイド”になりましたが、人が“自分の位置を求めようとする時”は不安や緊張、そしてゴタゴタは付き物なのかもしれない。つまりそれらを取り除くあるいは上手くすり抜けないと達成できないことなのであろう。それがまた“少数派”と言う言葉を伴うものであるならなおさらかも知れない
でも、世の中は上手く出来ていて何にもしない人はその人である意味自分を確立しているのだ。ZUYAの周りのいるのだが、“何の意見も発言しない。ただ言われた事をするだけ。未来の自分を想像することすらしない”...。まぁこのタイプの人はZUYAさんの友達にはなれないですな
唯一つの真実とは、“前に進もうが後ろに進もうがそれが自分自身である”と言うことではなかろうか。よく“私は変わったわ~”とか“もう昔の私じゃないの~”等と言った実にクサ~いセリフを耳にするが(笑)、これは大きな勘違いなのであろう
『 過去のない現在はないし、現在のない未来はない 』
さぁ、みなさま~!
『 崖っぷち教 』 に入信ください。教祖は最高に怪しいZUYAさんであります
話が硬くなったので写真でも載せておきますね~(笑)
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