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なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

親孝行の基本中の基本は...

2024年11月14日 | 認知症&介護

(親が逝ったら)

親孝行は出来ません

それ以外に何か?

 

 

こんばんはZUYAさんです

今夜は地元で、いつもの“お好み焼き居酒屋”へ

ご覧の通り、脂のノった「サバのひらき」と(この前に食べた)天然ブリの刺身で晩酌。これら以上に必要な物なんて...

お金かな~

※今夜もお好み焼きは食べませんでした

 

実は密かに(誰に対して?)、年内に何とかやりくりして1泊旅行が出来ないかと計画中...もちろん人の道から外れたものではございませんので、ファンの皆様はご安心を~

だって写真ブログの心の師である6x6さんが、まぁ(心をくすぐる)いやらしい写真ばかりブログに挙げるので、旅情に駆られてしまうわけです

 

~ここからは昨日UPしたものの、非公開にしたブログの焼き直しです~ 

 

昨夜は家に帰り着いて、2週間ぶりに大阪の母に電話をしますと、とても意気消沈していました。どうやら入院中の父に、酷い罵声を浴びせられたようです。ここ最近は(ZUYAさんが先月に訪れた時も...)認知症が安定していただけに、母のショックも大きかったようです

週に何度も何度も母に病院まで足を運ばせ、彼女に家に独りで淋しい思いをさせておきながら...まぁ(認知症を抜きにしても)ヤツがクズなのは息子たちは、何十年経とうが身体で覚えていますから...

子供の頃、理不尽な理由で幾度となくボコボコに殴られ、蹴とばされ(内、一人は水槽に投げつけられた...)それらは決して忘れてはいませんよ。今でいう虐待ですよね。ええ、ほぼ半殺しでしたからね

でも、我々は今は母のために行動しているのです。そう皆が母のためにやれる限りの行動しているのです。たとえ彼が一時的に病気でも何でも円くなったとしても、本性を知っていますからね

残念ながらそれでも母は、息子たちよりも伴侶を思う気持ちの方が強いのは悲しいことですが...

 

先月、一時帰宅した時の父

 

それでも兄弟皆、母を心配するわけです。何故かって?

親孝行は親が死んでからは出来ないのです

 

あ~しておけば良かった

こ~しておけば良かった

と言っても

後の血祭り

いや夜祭り

違う違うひな祭り

祭りですね

 

今夜も母がぐっすり眠れることを願ってブログを〆ますね

Have A Good Night,Folks!

 


歴史にはない大坂秋の陣... その肆

2024年10月24日 | 認知症&介護

実家にて①

 

こんばんはZUYAさんです

認知症の父と耳の遠い母をサポートするために今年4度目となった大阪の実家への帰省での経験を、なるべく面白可笑しく綴っております

 

今回の滞在中、認知症(要介護2)の父が度々妙なことを言っているのが気になっていました...

うちの子たち

厚生労働省から出向で来ているスタッフがいる

お局さんが会議中に手を振ってくる

あれ?

どうやら父は入院している病院を、“自分が働いている会社”だと思っているようです。そしてよくナース・ステーションに行き座って居ると(母を通して)聞いていましたが、会議に参加しているつもりだったようです  

母曰く、“老人たちが一杯いる施設よりも、若い人達が多い病院の方が合っているのかも”と…

 

いやいやいやいや...

 

母よ...病院は病院で、施設は施設なのですよ...何を言い出すのだよ~ 

 

まぁ確かにあれだけ食欲・体力が回復したとなると、「緩和ケア病棟」にいる必要があるのかどうかと考えさせられます。ただ、こちらとしてはこの病棟に入る際に(一切の医療行為はしなくて良いと)署名させられているわけだし、向こうもさせた手前いまさら“誤診だったかも...”とは言えないわけです

認知症と抗がん剤などの投薬による副作用の一つである“認知機能の低下”は、よく似ていて誤診が多いと言うのは以前から長兄と疑っていました。こうなったら、笑った転んだ)動いた方が「負け」の状態と言っても過言ではありません

あえて“誤診だったのでは?”と病院に問うことも止めておこうと思っています。なぜならお互いの利害関係が一致しているからです。こちら側は息子たちが全員、東京にいるから早々駆けつけることが出来ないし...(そんな中で長兄は一番頑張ってくれていますけどね)

 

実家にて②

 

さて5日目(父にとっては一時帰宅後7日目)

母が少し洒落た物を買いたいから電車に乗って隣町まで行ってくると言うので、また父と2人で留守番に。“ちゃんと見ているからゆっくりして来なよ~!”と言って送り出すも、驚異的な速さで母が戻って来た...しかもその帰って来る時間を、父は予想していたのだから凄い...って言うか、ホンマに認知症なんか~!

母が帰って来たので、前日の剪定のやり残しを少ししてから、ZUYAさんは(今年何度も帰省する内に見かけて)一度行ってみたいと思っていたうどん屋さんへ。ZUYAさんがこの町を出てから出来たのかな。意気揚々と店の前に立ち暖簾を見ると、うどん屋ではなく蕎麦屋であることに気がつき暫し茫然...

あれ?

俺、認知症予備軍?

 

ちなみに家系で認知症は父が初...癌家系ではあるのですがね

 

 

取りあえず暖簾をくぐるとランチタイムのお客さんははけた後で、店主が独りでテレビを観ていました。瓶ビールと一品料理を頼み店主から地元情報を貰いながら2本目のビールが終わると、何十年も口にしていない「チューハイ」を何杯か呑みましたが、これが酷く酔いましたわ。天ぷらの盛り合わせで〆。そう麺類まで到達せず~

さて最終日の夕飯は、又もや父が“魚が食べたい”と言うので母が買って来た秋刀魚を焼いて頂きましたよ

 

実家にて③

 

6日目(父は8日目)。今日は父は病院へ、ZUYAさんは東京に戻る日です。午前中はまったりと過ごし、ランチはどうしようかなと考えていたら母が、ピッツアを食べたいと(ちなみに母はZUYAさんと違い、日本人らしくピザと発音します)

何にもない廃れた町ですが、家から少し歩いた所にドミノ・ピザがあるので、ネットで注文してZUYAさんがピック・アップに行きました。最後のランチも父の食べっぷりは凄かった... 

 

実家にて④

 

午後2時半に母が予約していた介護タクシーがやって来ました。母はZUYAさんも乗れると思っていたらしいが、付添人が2人の場合は事前に申請しておかないといけなかったようです

急遽ZUYAさんは徒歩で病院へ(とは言っても15分ほど)。でもこの日もそうですが、今回の滞在中は涼しくなった東京と違い、大阪は厳しい残暑で東京に比べて3℃から5℃も高かったのです。ハーフパンツとサンダルを持参していて。本当に良かった...

ところが最終日なので、衣類も全てバッグに既に入れてしまったZUYAさん。ブーツカットのジーンズに革のショートブーツと言う出で立ちや、病院に着く頃には汗だく...

病院の玄関先で父母を送り届けてくれた介護タクシーの女性運転手に再び会い、

お兄ちゃん、ほんまごめんなぁ。でも後はお兄ちゃんおりはるから私はここで引き揚げますわ~

と言われました。そのために来たのだから別に良いんだけどさぁ。んなことより、おまえ俺より絶対に10以上は年下やろ...お兄ちゃんて...(まぁ若く見るのでしょう、ZUYAさんはね)

手続きを済ませると病棟へ。看護師やら病院の関係者から熱烈な“お帰りなさいコール”を受ける父...それに対して大統領のように手を挙げて応える父...どうなってるの?

 

再入院に際してコロナの検査が40~50分ほどかかると、看護師の1人から説明を受けました。これだけ父の帰還で皆が盛り上がっているのなら、もう息子の出番は終わったのだろうと判断して、このタイミングでお暇することに。母に声をかけ、一人で家に戻ってバッグを持ち、新大阪駅へ向かいました

 

 

 

帰りの新幹線は隣には誰も座らなかったので、気にせずに次々と開缶。名古屋からはほぼ満員だったのに、ZUYAさんの並びの席には誰も来ない...隣の3列シートが空いていたので、肘掛けを挙げて寝ころぼうかと真剣に考えました(その時の写真はこちら

東京に着いても一向に酔っぱらわず、自宅の最寄り駅までも帰って来て「お好み焼き居酒屋」で何杯か日本酒を煽り、ようやく現実(正気)に戻りました

 

          

 

以上で今年4度目の帰省の話(人呼んで、“大坂秋の陣”)は終焉です。拙い文章でしたが、ご家族がより重い認知症や病気等で苦しんでおられる方もいらっしゃる中、なるべく心にユトリが生まれるように書かせて頂きました

それでもこの5泊6日は疲労困憊、そのまま翌日から5連勤...まぁ長くツラい親孝行となりました。コメントを下さった方々、温かく見守ってくださった方々には感謝しかありません。そして語彙力乏しい方からのダイレクトメッセージには、反面教師で自分の文才を再確認させて頂きました

まだまだ公私ともに大変ですが、暫し休憩を頂き通常ブログを再開したいと思います

 

Have A Good Night,Folks!


歴史にはない大坂秋の陣... その参

2024年10月23日 | 認知症&介護

大和川の先に古からそびえる二上山を臨む

 

こんばんはZUYAさんです

 

今日は自身の通院日だと思い込んでいて、それが来週のことだとわかると急にへたれこんでしまいました。衆議院選挙の期日前投票には行きましたがテンションが上がらず、お昼には家にある(残る)物を食べ、夕方なけなしのお金を握りしめ行きつけの吞み屋で一杯(※正確には二杯...)。アテは鰤でござんす

給料日まで、あと2日...オカマ以外からのお誘い(都内23区限定)は心からお待ちしております

 

行きつけのお好み焼き居酒屋にて

 

          

 

さて今年4度目の帰省の話の続きを綴りますね

 

その4日目の朝食は、昨日頼まれて買って来たミスタードーナツが並びます。父母ともに昔からドーナツが大好物。ですから彼らの血を継ぐZUYAさんはカナダに渡った時も、ブレックファストとして「Dunkin' Donuts」や「Tim Hortons」によく行きましたね~

さて朝食後は、無駄に広い庭木の剪定。一般的に冬に備えて10月にしておかないといけませんからね。当ブログでよく話の出るグレープフルーツの木を始め、片っ端から切り落として行きます。実はZUYAさんは剪定が得意で、前勤務地で敷地内の剪定を勝手出るほどなんです

家庭の庭とは言え植木屋に頼むと数万から十数万取られますからね。だからと言って年老いた老夫婦ではもう脚立には登れないし、ましてや今は入院費を払っていますからね。いつもは正月三が日しか帰って来れないのですが、今回はまさに“Just On Time”...

で、いつやるの?

今でしょ~  

 

 

 

 

それを終えた後、ZUYAさんは普段の日課である“休日は2万歩”を達成するために、散歩に出掛けました。先ずは大和川の土手まで出て、昔と大きく変わらない風景を眺めてから、近鉄のローカル線を撮って見ました

この道明寺線は、起終点駅を含めて3駅しかない短い路線ですが、近鉄電車の中で一番古い歴史を持つ路線です。普段は2両編成の短い列車が走りますが、何年か前に何かの記念で特急車両を使った列車が走ったそうな。観てみたかったなぁ

以前にも書きましたが、関西人は「◯◯電車」と言います。近鉄電車、阪急電車、南海電車と言った具合いにね。東京では「◯◯線」ですよね。西武線、小田急線、東武線って風に~

 

 

ピントが少々...

 

天気も良いので大和川の土手を下流に向かって歩いて行くと、秋祭りの神輿やら野鳥やら気分転換にはもってこいです。そのまま堺の方まで歩くには流石に時間が足りないので、土手から下りて八尾空港へ向かいました~

 

 

 

ちょうど小型機が飛び立っていくところに出くわし、慌ててカメラを構えましたがちょっと残念なショットに

さてこちらの八尾空港は一般の定期便の運用はなく、新聞社や個人の小型機、自衛隊などが使う空港です。確かあの横山のやっさんもここから飛んでいたような...

普段、大空港に見慣れていると、何だかミニチュアのように見えますね 

 

管制塔も小さい...

 

 

 

滑走路の遠くに(中央ちょい左)あべのハルカスが見えます~

 

 

 

24,000歩ほど歩いて家に帰って来て夕食。今夜はZUYAさん特製のハッシュドポーク。一晩寝かせましたが...あら?父は洋食は食べたくなかったのかなぁ。あまり箸が(スプーンが)進みませんでした。今こそ“食えや!”と浜ちゃんばりに頭を叩くチャンスでしたが、日に寄り体調も食欲も変化があるの致し方ないです。現にこの後、応接間で独りでレコードを聴いていたら、父がやって来て先日とは打って変わってバタバタと音を立てて物を探し始める...

“おっさん!ジャズ喫茶、ちゃうんかいっ!静かにせんかいっ!”

と言いたくなりましたが、父が妙なモードに入っていたので、黙って母に断って外の空気を吸いに散歩に出ました。ちょうど秋祭りの最中、先述したようにこんな時期に実家に帰ってくることは珍しいので、祭囃子を聞きながら散歩するなんて不思議な感じでした。でも相も変わらず中河内は、ヤンキーが沢山いるんですね~

そんな感じで終わった4日目(父は一時帰宅6日目)でした

 

To Be Continued...

 

          

 

給料日前で“オケラ”と言うこともあり、ダラダラとした公休日を過ごしました。さて明日から通常営業です。色々考えていることもありますが、一先ず生活リズムを取り戻しますね~

Have A Good Night,Folks!


歴史にはない大坂秋の陣... その弐

2024年10月22日 | 認知症&介護

なんということだろうか

今日は通院日だと思っていたら

身支度を終え家を出る直前に

来週であることに気がついた

(3年以上通っているのに初めて)

 

あぁ~あ

昨日あんなに家事を頑張ったのに

 

これは認知症でも物忘れでもなく

ただの勘違い...

 

実家に庭にて①

 

おはようございますZUYAさんです

先日の今年4度目の帰省を綴っています。でも今回はたくさん食べ物の話が出て来るのに、料理の写真が少ないなぁと思われているそこの貴女(貴方)。その通りで、あまり父の前で(カメラを)パシャパシャしたくなかったんですよ。“自分(父)が有名人でフォーカスされている”と思われたら困るので~

 

滞在3日目。父、母、そしてZUYAさんが各々朝6時ぐらいに目を覚まし、台所兼食卓に集まって来るのは7時頃。前回掲載した写真でもわかる人にはわかると思いますが、昭和初期に建てられた実家。大掛かりなリフォームは施されることはなく今に至っています。お陰であちこち床がきしみます

両親は昔から朝はパン食。そしてZUYAさんもそれに追随しているので、朝から白米に味噌汁、焼いた魚に納豆や梅干しなんてことはほとんど記憶にありません。だから(岐阜県の)恵那の祖母の家に行くと、白米、味噌汁、漬け物...と言った具合いに、“ザ・日本の朝食”だったので不思議です。母方の祖母ですからね。農家だった祖母の作る茄子やミョウガ等が入った具だくさんの味噌汁は、子供ながらにスペシャルな思い出です

 

実家の庭にて②

 

朝食後、父に“お昼は何を食べたい?”と聞くと、間髪入れずに“たこ焼き”と言う返答。昨夜の魚と言い、病院食で提供されない物がリクエストとして次から次へと飛び出してきます。ちょっと認知症の定義がわからなくなってきました  

ZUYAさんが子供の頃には国鉄(現在のJR)の駅前に行くと「ダイエー」やら「ニチイ」と言ったスーパーがあり、マクド(マック)はなかったものの「ミスタードーナツ」や「餃子の王将」があった時期もあります。ですが今やすっかり廃れてしまった故郷の町... 

さて父のリクエストを受けてお昼前に、たこ焼きを買いにその駅前へ。チェーン店なのですが、なかなか大阪らしいたこ焼きを提供しているお店。東京にも何店舗かあるようですが、やはり味が微妙に違うようで。もちろん「築◯銀だこ」なんて言うインチキの塊に比べれば優秀ですがね(たこ焼きは揚げるんちゃうねん、焼くんや~!)

家に戻りテーブルに広げると、もう驚きませんが次から次へと口に放り込む父...おいおいたこ焼きは中は熱いんだぜ...

案の定、あしたのジョー

 

たこ焼きを買う序でに夕飯の材料の買い出し(すき焼き≒すき焼き風煮)も済ませましたので、ZUYAさんは散歩に出ることに。ちなみにすき焼きはリクエストではなく、普段は独りで食事をする母、そして病院食を黙って食べている父に対するプレゼントです

出掛け際に母にミスタードーナツを頼まれたので、今日も店舗のある隣町まで行くことに

近鉄電車に乗っていると進行方向右手に山々が見えます。幼少の頃から好きな景色ですね。ふと急に前日の見知らぬおっちゃんに、

“兄ちゃん、池島に行きや、池島!”

を思い出して行ってみることにしました(この話の詳細はこちら

 

 

 

 

 

行く予定だった駅の一つ手前で降りて、近鉄バスに乗り換えて、更に閑静な住宅地を歩くこと10数分。信貴山やら生駒山を眺めながら到達したのは水害対策の恩地川治水緑地。あのおっちゃんは何があるのかは教えてくれなかったけど、確かに水が溜まっていなければ野花やら鷺やら自然を満喫できると言うわけです

 

 

実家の方角を望む

 

旧池島高校かな

 

今年お初の彼岸花

 

 

生駒山方面を臨む

 

 

 

そして恩地川沿いを歩いていると、いきなりの「ヤギにさわるな」の看板。何故にこんな所に山羊?何処何処?と思っていたら、

御本人登場~

 

 

 

 

 

その後再びバスに乗り本来の目的地へ。まぁ漫画喫茶なんですけどね。ブログを更新し終え、頼まれたドーナツを買い家に帰ると母は庭掃除をしていました。父は何処にいるのかと思ったら、外に出ようと靴を履こうとしていてびっくりしましたよ。家の中に誰もいないことに、不安を感じたようです、危ない危ない...

夕飯を作る前に、先ずは翌日の夕食用にハッシュドポークを作りました。実家近くのスーパーをいくつか周りましたが、サワークリームが売ってなかったのは残念でしたね

 

さて夕食は「すき焼き風煮」。すき焼きと言っても過言ではないのですが、あえて卓上コンロは使わずに、煮込んだ物をテーブルに提供することにしましたので。前夜の経験を活かし、これでもかと言うぐらいの量を作りましたよ。そのおかげで予算を考えて牛肉ではなく良質な豚肉でね。そして父には、

今夜は奮発して高級な牛肉買うたったんやから、心して食べてや!

と言うZUYAさん(ちなみに買うは“こう”と読んでください)

 

しかしここでも恐るべし認知症...

父曰く、“いや、これは豚や...

と判別することが出来た父

 

いやいや何言うてんねん。めっちゃ高い牛肉やで~!

と更にカマをかけるZUYAさん

 

いや、これは豚や...

と繰り返す父

 

はい、三男坊、君の負けだよ

 

こんな感じで3日目の夜は過ぎて行きました。でもこの辺りからZUYAさんは2階の寝床に一升瓶を持ち込み、(東京にいる時と同じように)夜中に目が覚めると呑むようになり…

To Be Continued...

 

          

 

さぁ突然予定が無くなったので、先ずは散歩がてら期日前投票に行ってきます。給料日前でオケラだし~

Have A Good Day,Folks!


歴史にはない大坂秋の陣... その壱

2024年10月21日 | 認知症&介護

実家で伐採したグレープフルーツ

 

おはようございますZUYAさんです

久々の“完全オフ日”がやって来ました。今日だけは難しいことを考えたりしたりせず、ほんわかと過ごしたいものです(あ!でもパソコン何とかしないと...)。でも現実的には通常の家事に加えて一気に季節が変わりだしたので、衣替えをしたりタオルケットを洗ってクローゼット押入から掛け布団を出して風に当てたりと、することは山ほどあります。そう言えば実家に帰る時に使ったバッグもまだ風を通していません

さてZUYAさん如きが介護や認知症について語るのは烏滸がましいのですが、以前とあるブロ友さんに「貴方の経験談は必ず同じ境遇にある方の役に立ちますよ」と薦められて書くことにしたわけです

 

庭には葡萄の木も

 

昨年末の癌の手術に伴う入院をした頃から認知症が一気に進んでしまった父。今年2月頃には“食事をすると言う概念”が抜けてしまいました。そしてほとんど骨だけの身体になった上に、自力での排泄も出来なくなり余命1年と言われ「緩和ケア病棟」に移ったわけです。その際、延命処置を含む一切の医療行為は行われないと言うことを長兄と共に説明を受け、署名までしたわけです

3月は突然訪れた慣れない独り暮らしの母を支えるために、仕事を休んで2週間以上実家に滞在しましたね。そして可能な限り病院に足を運び、最後となるであろう父の容姿を焼き付けて東京に戻って来たわけです。もうこの時は会話はメチャクチャで兄も叔父もみんなごっちゃ混ぜで、母を除く誰の顔も覚えていませんでした  

 

ところてんが...

いや

ところが...

 

その後、食事を取ることを思い出し体力が回復。入院期間が長くなり過ぎたと言うことで「一時帰宅」が決まり、1週間だけ自宅に戻ることに。ZUYAさんは先述の状態しか記憶にないわけです。そして家には急なことなので被介護生活に必要な設備や改善はされていません(介護ベッドだけは手配されていました)

とても高齢の母一人では対応できないだろうと、急遽休暇を取り仕事終わりに新幹線に飛び乗った今年4度目の実家滞在記「大坂秋の陣」を綴っていこうと思います

※不自然かもしれませんが、ZUYAさんらしくあえて“大坂”と表記します

 

玄関を入り疲労困憊の母の顔を見た時、そりゃあこうなるわなと思いながら居間に向かうとソファに座ってパジャマを着たおっさんがいました...ええ父です

7ヶ月前に観た時とは打って変わって(もちろん何年も前の元気な頃ほどではないが)、肉もちゃんと付いている...目の前にいるのが息子かどうか判別出来ているかどうかはわかりませんが、会話のキャッチボールも出来ました。そしておそらくZUYAさんが帰って来る前に母に摺り込まれたと思われる名前も呼ばれました

母によるとトイレも自分で行って排泄物で汚すこともないと言う...いったいどう言う変化なのでしょう

 

病院やケアマネジャーからは、“最も警戒すべきは徘徊です”と言われたので、父の帰宅後2晩は母はほとんど眠れなかったようです。ZUYAさんが父と話している間に母にお風呂に行かせ2人きりになると急に目の前にいる人物か誰かわからなくなったのか、“寝ても良いですか?”と聞かれたので、“どうぞどうぞ”と答えました

以前にも書きましたが、父は生粋の大阪人ですから“本当に(病気で)ボケている”のか、“冗談でボケている”のかが息子であるZUYAさんでもわかりません

とりあえず初日(父母にとっては3日目)が終わりました

 

実家のレトロな玄関の小上がり

 

さて翌日からは母が銀行等で出掛ける間はZUYAさんが見張り役、そしてZUYAさんが息抜きで数時間出掛ける時は母が見張り役と言うことになり、介護する者の心身に負担がかからないようにしました(←これとても重要です)

父は久しぶりの自分の家。杖を突きながらあちこちウロウロするので姿が見えないとドキッとします。でもお気に入りの場所が自身の集めた(ほとんど価値のない)骨董品のある応接間が一番のお気に入りのようで、一日に何度も入り浸っていました

昨夜はZUYAさんを名前で呼んでくれていましたが、今日も息子なのか自分の兄妹なのかはわかっていないように感じました。母が午前中出掛けたついでにスーパーで鯖の棒寿司などを買って帰って来てランチタイム。不思議だったのが朝食もそうでしたが、“美味しい”とも“不味い”とも言わずに黙々とひたすら箸を動かし口に運ぶ父。食事時にこんなに寡黙な父だったかどうか、ZUYAさんもそれが認知症によるものなのかも思い出せないまま食べ終わり、今度はZUYAさんが散歩に出かけました

そう隣町にレコードを買いに行ったわけです(この詳細はこちら

 

無駄に広い庭...

 

夕飯は何か食べたい物があるかと父に聞くと、“魚”と答えたので5~6人前はある刺身を買って来ました。そしてブドウのピオーネ。前者は言うまでもなく後者に関してはZUYAさんはプロですからね。母に言われた廉価品ではなく、一番良い物を選び少々お値段が弾みました~

ZUYAさんが応接間にあったポータブルのレコードプレイヤーで「Ray Charles」のアルバムを聴いていると、父がやって来てジャズ喫茶のようだと喜んで本を読みながら一緒に聴いていました。よくよく考えてみると父と一緒に音楽を聴くのなんて初めてかもしれません

 

「The Genius Of Ray Charles」(1959)

 

夕飯はZUYAさんがおすまし等も準備して、テーブル一杯に刺身を並べますとランチ同様に黙々と食べ始める父。気に入ったのか満腹中枢がイカレているのかはわかりませんが、ひたすら食べ続ける父...ちょっと恐怖すら感じましたよ

ZUYAさんは買ってきた二階堂の一升瓶で晩酌をしながらチビチビと...

所ジョージ...

いや

ところが...

ひたすら食べ続ける父、負けずと食べる母。あの...ZUYAさん数切れしか食べてないのですが...まぁ親孝行しに来たのですから良しとしましょうかね

そんな感じで2日目(父にとっては一時帰宅4日目)が終わりました

 

To be Continued...

 

相変らずパソコンの調子が悪いので、続けてブログ更新できるかわかりませんが、また綴って行きますね。何方か治し方をご指南して頂きたい

再起動、パソコンの回復、WiFiの再設定、セキュリティ・ソフトのリアルタイムスキャンとファイアーウォールの一時解除等々などあらゆることを試してみたのですが、相変わらず「応答時間が長いので接続できません」(或いはそれに類似したメッセージ)と表示されます。写真のダウンロードもなかなか大変な状態です。どうもネットだけの問題のようなのですが...

 

さて財布も程よく「からっけつ」。今日は家事や音楽鑑賞に専念します。もちろんお酒は昨夜の内に用意してありますから、ご心配なく。アテは夏に伊豆で買って冷凍庫に入りっぱなしの干物かな~

 

Have A Good Day,Folks!