アイ・ラブ みどり

逆境にもめげず、けなげに生きるみどり達がいとおしくてなりません。

モーツアルトを歓迎したプラハ

2006年05月17日 | 東欧3カ国周遊
ウィーンで冷遇されたモーツアルトは、プラハでは高い評価を得て至福の時を過ごしました。居心地が良かったのかモーツアルトはプラハを度々訪れ、歌劇「ドン・ジョヴァンに」などを作曲し、大成功をおさめます。プラハの貴族階層は文化水準が高いのでしょうか。晩年モーツアルトは宮廷楽士としてウィーンで淋しい生涯を終えるのですが、どうしてプラハに定住しなかったのでしょうか。
ウィーンの華やかな明るさに比べ、プラハの町はどっしりした落ち着きがあります。建造物の装飾が金色に輝いているのは金箔を張っているようです。写真は旧市街の建物の間に見えるプラハ城です。10世紀初頭に着工し1929年に完成、即ち実に千年がかりで建造された聖ヴィート大聖堂を守るように、王宮などの建物が取り囲んでいます。

プラハ城を出てモルダウ川を渡る地点に、延長500m、両端を要塞を兼ねた頑丈なタワーゲートに守られ、幅10mの歩行者専用のカレル橋が架けられています。橋の上は観光客や、自分の絵並べる画家、アクセサリー類を売る小店で賑わっていました。私の想像では、窓から捨てられる汚物やゴミで汚い市街を逃れて、中世の市民達はゴミの無い風が吹き抜ける気持ちの良い橋に集まったのではないでしょうか。人が集まれば商売も繁盛する理です。イタリア・フィレンツェのヴィッキオ橋も、観光客と店で賑わっていました。

カレル橋を渡って旧市街を進みますと、旧市街広場に出ます。荘厳な建造物に目が眩みます。ティーン教会の美しい尖塔が天を突きます。有名な旧シティーホールの天文時計のパーフォーマンスの時刻には大勢の観光客が集まってきます。古き良き物を大切に蓄積してゆくヨーロッパの都市計画に畏敬を感じます。そして、スクラップ&ビルトを繰り返す軽薄な日本都市計画には大きな疑問を抱かざるを得ません。

郊外にモーツアルトが何回も好んで訪れたベルトラムカ荘があります。そこは現在モーツアルト記念館として、彼が演奏したピアノなど楽器類や譜面が展示されています。モーツアルトが散策しながら曲想を練った庭園が今も当時の面影を残して保存されています。ここに佇めばモーツアルトの名曲が流れてくるようではありませんか。
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