ウィーンの国立オペラ座は、モーツアルト没後約百年の1869年に建設されました。オーストリアが世界に誇るオペラ座です。毎年ここで挙行されるオペラ座舞踏会は、世界の女性の憧れの的になっています。オペラ座のこけら落しが、なんと晩年ウィーンで冷たく扱われながら逝ったモーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」だったのです。
1770年頃、イギリスで産業革命が興り、1800年頃にはヨーロッパにも波及してゆきます。産 . . . 本文を読む
4月21日、ブタペストからオーストリア・ウィーンへバスで移動しました。国境地帯は起伏のある農業地域です。森林に囲まれた家畜の放牧地が主体のようです。草地には時々鹿が草を食んでいる姿が散見できます。
高速道路を植生橋がしばしば横断します。高速道路で分断された野生動物のための横断橋と思われます。国境地帯は野生動物の保護地区なのでしょう。私はこれまでイタリア・スペインを旅行しましたが、高速道路は無料でし . . . 本文を読む
ドナウベント地方のセンテンドレは、ブダペストから北へ約20キロに位置します。トルコ占領時のセルビア人難民がその起源とのことです。中央広場には民族団結の拠り所、ローマ正教の十字架の記念碑が立っています。
ここは、芸術家のコロニーとして世界的に有名だだったとは知りませんでした。旧市街には14もの美術館・博物館等がひしめいております。著名な芸術家の美術館、ゴブラン織り博物館、製菓博物館、ペスト県民芸 . . . 本文を読む
ドナウベントにある古都、エステルゴムはハンガリー発祥の地です。初代王イシュトヴァーンはここに王宮や大聖堂を建設しましたが、王宮も大聖堂も侵略者トルコに破壊されてしまいました。現在の大聖堂は47年間をかけて1869年に完成した大聖堂で、1万人を収容できるハンガリーのカトリック総本山になっています。王宮の方は存在が忘れられていましたが、最近になって遺跡が発掘されて存在が知られたとのことです。
十字架 . . . 本文を読む
漁夫の砦に隣接する形で、高さ88メートルの美しい尖塔を持つマーチャーシュ教会があります。1015年に建国の父・イシュトバン王がこの地に建設しました。その後1241年にハンガリーを侵略したタタール人によって破壊されましたが、1269年ベラ4世によりゴシック様式で再建されます。
1541年から1686年までの145年間、侵略してきたトルコがモスクに改造してしまいます。トルコが撤退して再びカトリック教会 . . . 本文を読む
資料やガイドに当たった限りでは、ブダペストにはモーツアルトの足跡は無いようです。ブダペスト・ウィーン・ザルツベルグ・プラハの観光は東欧ツアーの典型で、今回はこのコースにホーヘンザルツベルグ城でのコンサート、モーツアルトの生家、魔笛の家、ベルトラムカ荘などモーツアルト縁の観光スポットを強化して、モーツアルト生誕250周年記念ツアーに仕立てたもののようです。
2日目、ブダペストの観光の目玉はドナウ川右 . . . 本文を読む
ドナウ川に浮かぶマルギット島は面積70㌶、周囲5キロくらいの比較的大きな中島です。私達が宿泊した近代的なダニュービス・サーマル・マルギットシゲの他にもう一軒、古風なグランドホテル・マルギットシゲの二軒のホテルが建っています。島全体が市民公園として整備されており、散策路、ジョギングコースが島を巡っており、朝夕ジョガーが汗をかいています。
時間がなくホテルの周囲を散歩しただけですが、大木がゆったりと枝 . . . 本文を読む
4月24日、成田国際空港を発ち、ブタペストへ向かいました。ウィーンでの乗換えを入れ14時間の我慢の空の旅です。前日添乗員から電話連絡があり、現地の日中気温は15℃位ですが、明け方は3℃位の日が続いているので、防寒対策が必要とのことでした。
オーストリア航空機内のテレビには、旅客機に取り付けられてカメラによる地上の様子が実況されていました。シベリア上空では、地上は一面の雪景色です。更に白海上空に差し . . . 本文を読む
明日から8日間の「モーツアルト生誕250周年記念ツアー」に、中野雄著「モーツアルト 天才の秘密」(文春新書487、2006年1月20日発行)を旅の道連れに、妻と連れ立って参加することになりました。増水し洪水騒ぎとなっているドナウ川の流域を巡るのですが、心配でもあり興味津々でもあります。
妻がモーツアルトのファンで、生誕地ザルツベルグの古城・ホーヘンザルツベルグ城内でのコンサート鑑賞を楽しみにしてお . . . 本文を読む