鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

東アジア選手権 韓国戦 本山と小笠原満男(と本田)

2005年08月07日 | Weblog
戦時中の国で大会開いていいのか?
疑問の残る大会に刈り出された選手の気持ちは如何に。
大会の意義も目的も、チームとしての方向性も見えない。
さすがにサブ組では地力に劣るのが目に見えてわかる。
その中で孤軍奮闘する本山。
必要以上の頑張りが逆に批判のタネに向いてしまう。
そして満男と交代。
同時に使うから意味があるということに気が付いてもらえなかったようだ。
とも、思ったのだが、大車輪の活躍をする満男。
決勝弾のCKを蹴り、アシスト。
中盤の王様として君臨してしまった。
こんな無意味な大会で才能を光らせてしまうのは、彼の人間性か。
しかし、韓国の10番は本田に似てたなあ。
とりあえず、反日感情渦巻く戦中国で、怪我が無かったことだけがよかった。

さらば金古聖司

2005年08月07日 | Weblog

金古聖司選手の期限付き移籍について
金古聖司選手は2005年8月8日よりヴィッセル神戸に6ヶ月間の期限付き移籍が決定しましたのでお知らせいたします。
■期限付き移籍先:  ヴィッセル神戸
■期限付き移籍期間:  2005年8月8日 ~ 2006年1月31日
■プロフィール:  
氏名  金古 聖司(かねこ せいじ)
生年月日  1980年5月27日
身長/体重  180cm/75kg
ポジション  DF
出生地  福岡県
経歴  東福岡高校 ― 鹿島アントラーズ
■代表歴  1998年U-19アジアユース選手権出場(タイ)
■金古聖司選手コメント:

   「自分自身にとってレベルアップの為の挑戦と考えて移籍を決断しました。アントラーズで培った経験を活かして新天地ではベストを尽くして頑張ります。アントラーズサポーターの皆さんの今迄の応援に応える為にも選手として成長して再び戻って来たいと思います。」

彼ほど未来を期待され、鹿島のDFリーダーたる素質の片鱗を見せた選手はいなかった。
そして入団直前に受けた惨劇、左ヒザ十字靭帯断裂及び、左ヒザ半月板損傷。
その後も怪我と復帰を繰り返した。
2004年シーズンで完全復帰をし、秋田の背番号3を受け継いだ男。
しかし、彼のプレースタイルは、あまりにも諸刃の剣であった。
早めのラインブレイクから、前目でボールフォルダーへチェックに行く。
ここでボールを奪取できれば、ビッグチャンスに繋がるであろう。
だが、我々が見ることになるのは、易々とかわされピンチを招いていく。
その際たる試合が、アウェーのレッズ戦であろう。
レッズのいいところを潰し、鹿島ペースで進んでいたところを、エメルソンに金古が抜かれ0-1の敗戦。
そうは言っても、2ndステージ開幕戦ではチームの窮地を救うヘディングで勝利に導いている。
攻撃力は捨てがたいCBであった。
しかし、不安定な守備は信頼を得ることはなくスタメンから外れて行った。
味方CBの出場停止で巡ってきた起死回生のチャンス、アウェーの神戸戦。
2度の失点機を演出させ、信頼は失墜する。
2005年のスタメン、ベンチから姿を消し、ついに移籍へ。
やはり、鹿島の壁となるには、何か足りないものがあったといわざるを得ない。
華々しい実績を引き連れて入団した金古聖司。
手放すには惜しいとも思える。
しかし、それでは我が鹿島に前進はありえないのだ。
次に現れる時には、倒すべき敵としてということになる。
手堅い敵となるであろうが、倒して花を向けたい。