100 Hearts / Michel Petrucciani
Concordのアルバムにジョージウェインの名前が登場したのは、ニューポートオールスターズのアルバムであった。1984年の春、このオールスターズがアリゾナ州立大学での演奏を収めたものだ。
ニューポ―トといえば、ジョージウェインが1956年に最初に手掛けたジャズフェスティバル。発祥の地ニューポートでの開催は一時中断した時期もあったが、1981年装いも新たにニューポートの町に戻ってきた。
このフェスティバルには毎回、時の大物ミュージシャンが参加していたが、その中で変わらなかったニューポートオールスターズ。ウェイン自らがピアノで参加し、スイング、ディキシー系のベテラン勢がメンバーを務めた。
81年に再開された時、9年のブランクの間に他界したメンバーも多く、メンバーが一新された。その時新たに参加したのが、中間派の若手代表、スコットハミルトンとウォーレンバシェであった。このオールスターズは、本番のニューポートのステージだけでなく、全米の大学周りのツアーを行い、それに2人も参加していた。当時コンコルドレーベルの看板であった2人が、一時ウェインの元にレンタル移籍をしたような形だった。
ジェファーソンとウェインの仕事でのジョイントはこれがきっかけになったのであろう。
ジェファーソンは言わずと知れた大のスイング好き、一方のウェインは、ピアノの演奏はスイングスタイルだが、プロデューサーとしてはスイングには拘らず時代の先端となる演奏にも興味を示していた。
80年代の初めは、メインストリームとフュージョンが鎬を削っていた頃だったが、ウェインはあくまでもジャズはスイングする物に軸足を置いていた。という意味で、新伝承派と言われた若手達にもウェインは注目していた。
ウェインは、ニューポートを手掛ける前は地元ボストンで、ストリーヴィルという名でクラブやレーベルを運営していた。ジャズフェスティバルの企画・運営が中心になってからは、アルバム作りやレーベルのプロデュースは積極的に行ってこなかった。しかし、アルバム作りの情熱も残っていたようだ。
ジェファーソンの看板スターの貸し出しのお返しという訳でもないとは思うが、今度はウェインがジェファーソンにアルバム作りを手伝うことになる。
当時、ジェファーソンは自分の好みの領域を超えてアルバム作りを拡大してきた。その為に、自らプロデュースする以外に、東海岸で他のプロデューサーを起用したり、ミュージシャンの自己プロデュースしたアルバムを数多く手掛けるようになっていた。そんな時に、ジョージウェインをアルバム作りの総合監修に迎えるのは好都合だったのかもしれない。
コンコルドはそれまで、ラテン系のシリーズとしてConcord Picanteをサブレーベルとして設けていたが、カタログナンバーは両者共通化してきた。
新たにジョージウェインを迎え、今度はConcordというレーベルの中にGeorge Wein Collectionという、これまでのCJではなく、GWという別ナンバーシリーズを設けた。
このシリーズは結果的に10枚足らずの短命に終わったが、中に何枚か注目されたアルバムがあった。
そのシリーズの最初のアルバムがこのアルバムとなる。
当時、話題になっていたピアノのミシェルペトルチアーニ。ビルエバンスを源流とするピアノのスタイルも、この頃になると多くの後継者によって更にいくつかの個性あるスタイルに分かれていった。このペトルチアーニもその一人であったが、出身がヨーロッパであったこと、そして身体的なハンディキャップがあることが、演奏そのものよりも注目され、語られてしまっていたかもしれない。
ヨーロッパ出身であるペトルチアーニはモントルーにチャールスロイドのグループに加わり出演し、徐々にアメリカでも注目され始めていた。本格的なアメリカデビューは1983年、ニューヨークのクールジャズフェスティバルへの出演。これを段取りしたのがジョージウェインだった。
このペトルチアーニのソロが余程気に入ったのだろう、ニューヨークに滞在中、ステージでの演奏とは別にスタジオでも彼の演奏を録音した。スタジオライブの形式をとったようだが、自由奔放な彼のソロをステージ上の演奏をそのままの形で残したかったのかもしれない。ピアノの場合、ソロの方が、個性がはっきり出るように思うが、ペトルチアーニ自身、ソロの方が表現力を増すことができるとコメントしている。これが、ペトルチアーニのアメリカでの初録音となった。
コールマン、ヘイデン、ロリンズなどの曲に混じってペトルチアーニのオリジナルもあるが、Pot Pourriとタイトルされたメドレーでは、サムデイマイプリンスカム・・、オールザシングスユアーといったスタンダード曲が次々と続く。エバンスから始まるペトルチアーニの自らのジャズピアノの歴史かもしれない。
1. Turn Around Ornette Coleman 9:20
2. Three Forgotten Magic Words Michel Petrucciani 5:26
3, Silence Charlie Haden 5:57
4. St. Thomas Sonny Rollins 6:41
5. Pot Pouri (Medley): Someday My Prince Will Come/All the Things You Are/Child Is Born
Frank Churchill / Oscar Hammerstein II / Thad Jones / Jerome Kern / 14:21
6. 100 Hearts Michel Petrucciani 11:59
Michel Petrucciani (p)
Produced by Gabreal Franklin
Live recording at RCA Studio A, New York, 1983
Originally released on Concord GW-3001 (George Wein Collection)
Concordのアルバムにジョージウェインの名前が登場したのは、ニューポートオールスターズのアルバムであった。1984年の春、このオールスターズがアリゾナ州立大学での演奏を収めたものだ。
ニューポ―トといえば、ジョージウェインが1956年に最初に手掛けたジャズフェスティバル。発祥の地ニューポートでの開催は一時中断した時期もあったが、1981年装いも新たにニューポートの町に戻ってきた。
このフェスティバルには毎回、時の大物ミュージシャンが参加していたが、その中で変わらなかったニューポートオールスターズ。ウェイン自らがピアノで参加し、スイング、ディキシー系のベテラン勢がメンバーを務めた。
81年に再開された時、9年のブランクの間に他界したメンバーも多く、メンバーが一新された。その時新たに参加したのが、中間派の若手代表、スコットハミルトンとウォーレンバシェであった。このオールスターズは、本番のニューポートのステージだけでなく、全米の大学周りのツアーを行い、それに2人も参加していた。当時コンコルドレーベルの看板であった2人が、一時ウェインの元にレンタル移籍をしたような形だった。
ジェファーソンとウェインの仕事でのジョイントはこれがきっかけになったのであろう。
ジェファーソンは言わずと知れた大のスイング好き、一方のウェインは、ピアノの演奏はスイングスタイルだが、プロデューサーとしてはスイングには拘らず時代の先端となる演奏にも興味を示していた。
80年代の初めは、メインストリームとフュージョンが鎬を削っていた頃だったが、ウェインはあくまでもジャズはスイングする物に軸足を置いていた。という意味で、新伝承派と言われた若手達にもウェインは注目していた。
ウェインは、ニューポートを手掛ける前は地元ボストンで、ストリーヴィルという名でクラブやレーベルを運営していた。ジャズフェスティバルの企画・運営が中心になってからは、アルバム作りやレーベルのプロデュースは積極的に行ってこなかった。しかし、アルバム作りの情熱も残っていたようだ。
ジェファーソンの看板スターの貸し出しのお返しという訳でもないとは思うが、今度はウェインがジェファーソンにアルバム作りを手伝うことになる。
当時、ジェファーソンは自分の好みの領域を超えてアルバム作りを拡大してきた。その為に、自らプロデュースする以外に、東海岸で他のプロデューサーを起用したり、ミュージシャンの自己プロデュースしたアルバムを数多く手掛けるようになっていた。そんな時に、ジョージウェインをアルバム作りの総合監修に迎えるのは好都合だったのかもしれない。
コンコルドはそれまで、ラテン系のシリーズとしてConcord Picanteをサブレーベルとして設けていたが、カタログナンバーは両者共通化してきた。
新たにジョージウェインを迎え、今度はConcordというレーベルの中にGeorge Wein Collectionという、これまでのCJではなく、GWという別ナンバーシリーズを設けた。
このシリーズは結果的に10枚足らずの短命に終わったが、中に何枚か注目されたアルバムがあった。
そのシリーズの最初のアルバムがこのアルバムとなる。
当時、話題になっていたピアノのミシェルペトルチアーニ。ビルエバンスを源流とするピアノのスタイルも、この頃になると多くの後継者によって更にいくつかの個性あるスタイルに分かれていった。このペトルチアーニもその一人であったが、出身がヨーロッパであったこと、そして身体的なハンディキャップがあることが、演奏そのものよりも注目され、語られてしまっていたかもしれない。
ヨーロッパ出身であるペトルチアーニはモントルーにチャールスロイドのグループに加わり出演し、徐々にアメリカでも注目され始めていた。本格的なアメリカデビューは1983年、ニューヨークのクールジャズフェスティバルへの出演。これを段取りしたのがジョージウェインだった。
このペトルチアーニのソロが余程気に入ったのだろう、ニューヨークに滞在中、ステージでの演奏とは別にスタジオでも彼の演奏を録音した。スタジオライブの形式をとったようだが、自由奔放な彼のソロをステージ上の演奏をそのままの形で残したかったのかもしれない。ピアノの場合、ソロの方が、個性がはっきり出るように思うが、ペトルチアーニ自身、ソロの方が表現力を増すことができるとコメントしている。これが、ペトルチアーニのアメリカでの初録音となった。
コールマン、ヘイデン、ロリンズなどの曲に混じってペトルチアーニのオリジナルもあるが、Pot Pourriとタイトルされたメドレーでは、サムデイマイプリンスカム・・、オールザシングスユアーといったスタンダード曲が次々と続く。エバンスから始まるペトルチアーニの自らのジャズピアノの歴史かもしれない。
1. Turn Around Ornette Coleman 9:20
2. Three Forgotten Magic Words Michel Petrucciani 5:26
3, Silence Charlie Haden 5:57
4. St. Thomas Sonny Rollins 6:41
5. Pot Pouri (Medley): Someday My Prince Will Come/All the Things You Are/Child Is Born
Frank Churchill / Oscar Hammerstein II / Thad Jones / Jerome Kern / 14:21
6. 100 Hearts Michel Petrucciani 11:59
Michel Petrucciani (p)
Produced by Gabreal Franklin
Live recording at RCA Studio A, New York, 1983
Originally released on Concord GW-3001 (George Wein Collection)
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