Conte Candoli Quartet
トローンボーンのフランクロソリーノは、トランペットのコンテカンドリとよくコンビを組んでいた。この2人は50年代から一緒にプレーをすることも多かった仲間同士。’70年代の後半にも一緒にヨーロッパに遠征していたが、長く付き合っていたのも気心をよく知り合っていた仲だったのであろう。
相方のカンドリもレコーディングセッションに参加した数は非常に多いが、実力者の割りにリーダーアルバムとなるとロソリーノと同じでそれほど数が多いわけではない。’50年代のアルバとなると、ロソリーノと同様、Modeのアルバムがある。ワンホーンでカンドリの若い頃のプレーをたっぷりと聴ける。
自分の所有盤はVSOPのCDなので、ライナーノーツに’発売当時’93年当時のインタービュー記事が載っている。
まずは、最初に’56年7月、あのクリフォードブラウンが急死した直後、マックスローチから後釜としての誘いがあった事の話から始まる。カンドリは西海岸でずっとプレーをしていたので、彼はウェストコースト派の代表格と見られているが、プレー振りはけっしてクールなウェストコーストサウンドではない。西海岸のプレーヤーは、それで損をしている事も多いのではないだろうか。この話はカンドリがたまたまライトハウスの長期の契約が決まった後だったので見送りになってしまったそうだが、もしクリフォードブラウンの後釜になっていたら、彼の人生も変わっていたかもしれない。
そして、このModeのレコーディングに関しても語られている。前の年から引続きカンドリはニューヨークに3、4ヶ月留まり、”Birdland All stars“に加わって10週間に渡ってプレーをしていた。他にもケニードーハムやアルコーン達とgigを重ねてロスに帰ってきたばかりのタイミングだったそうだ。彼自身が語っているように、ニューヨークでの熱気の籠もったプレーのイメージが冷めないまま、ニューヨークで演奏していた曲もとりあげてこのレコーディングに臨んだ。このアルバムはその影響が大きかったのではなかろうか。ワンホーンでのプレーが一際輝いている理由が分かった。
さらに、父も兄もトランペットを吹く家庭に生まれ、丁度発展途上の14歳の時、ガレスピーやパーカーのプレーに直接接したことなど。そして、ケニードーハムを尊敬し、新しいプレーヤーとしてはフィレディーハバードが好きな事なども。このような経歴を聴くと、彼のプレーにはイーストもウェストも無い事が良くわかる。
このカンドリも、70年代から’80年代にかけては、スヌーキーヤングなどと一緒にあの”Tonight Show”のオーケストラのメンバーに納まり、スーパーサックスにも加わったいあた。それで、よく見かける割りには個人的にスポットライトを浴びる機会は少なかったようだが、晩年まで活躍した名トランペッターの一人だ。
1. Something for Liza Cohn 4:04
2. Walkie Talkie Candoli 4:26
3. Flamingo Anderson, Grouya 3:13
4. Mediolistic Johnson 4:21
5. Tara Ferma Candoili 5:11
6. Diane Pollack, Rapee 3:43
7. No Moon at All Evans, Mann 2:37
8. Mambo Blues Candoli 3:48
Conte Candoli (tp)
Vince Guaraldi (p)
Monty Budwig (b)
Stan Levey (ds)
Red Clyde Producer
Bones Howe Engineer
Dayton Howe Engineer
Recorded in Jun 1957,at Radio Recording in Hollywood, California
トローンボーンのフランクロソリーノは、トランペットのコンテカンドリとよくコンビを組んでいた。この2人は50年代から一緒にプレーをすることも多かった仲間同士。’70年代の後半にも一緒にヨーロッパに遠征していたが、長く付き合っていたのも気心をよく知り合っていた仲だったのであろう。
相方のカンドリもレコーディングセッションに参加した数は非常に多いが、実力者の割りにリーダーアルバムとなるとロソリーノと同じでそれほど数が多いわけではない。’50年代のアルバとなると、ロソリーノと同様、Modeのアルバムがある。ワンホーンでカンドリの若い頃のプレーをたっぷりと聴ける。
自分の所有盤はVSOPのCDなので、ライナーノーツに’発売当時’93年当時のインタービュー記事が載っている。
まずは、最初に’56年7月、あのクリフォードブラウンが急死した直後、マックスローチから後釜としての誘いがあった事の話から始まる。カンドリは西海岸でずっとプレーをしていたので、彼はウェストコースト派の代表格と見られているが、プレー振りはけっしてクールなウェストコーストサウンドではない。西海岸のプレーヤーは、それで損をしている事も多いのではないだろうか。この話はカンドリがたまたまライトハウスの長期の契約が決まった後だったので見送りになってしまったそうだが、もしクリフォードブラウンの後釜になっていたら、彼の人生も変わっていたかもしれない。
そして、このModeのレコーディングに関しても語られている。前の年から引続きカンドリはニューヨークに3、4ヶ月留まり、”Birdland All stars“に加わって10週間に渡ってプレーをしていた。他にもケニードーハムやアルコーン達とgigを重ねてロスに帰ってきたばかりのタイミングだったそうだ。彼自身が語っているように、ニューヨークでの熱気の籠もったプレーのイメージが冷めないまま、ニューヨークで演奏していた曲もとりあげてこのレコーディングに臨んだ。このアルバムはその影響が大きかったのではなかろうか。ワンホーンでのプレーが一際輝いている理由が分かった。
さらに、父も兄もトランペットを吹く家庭に生まれ、丁度発展途上の14歳の時、ガレスピーやパーカーのプレーに直接接したことなど。そして、ケニードーハムを尊敬し、新しいプレーヤーとしてはフィレディーハバードが好きな事なども。このような経歴を聴くと、彼のプレーにはイーストもウェストも無い事が良くわかる。
このカンドリも、70年代から’80年代にかけては、スヌーキーヤングなどと一緒にあの”Tonight Show”のオーケストラのメンバーに納まり、スーパーサックスにも加わったいあた。それで、よく見かける割りには個人的にスポットライトを浴びる機会は少なかったようだが、晩年まで活躍した名トランペッターの一人だ。
1. Something for Liza Cohn 4:04
2. Walkie Talkie Candoli 4:26
3. Flamingo Anderson, Grouya 3:13
4. Mediolistic Johnson 4:21
5. Tara Ferma Candoili 5:11
6. Diane Pollack, Rapee 3:43
7. No Moon at All Evans, Mann 2:37
8. Mambo Blues Candoli 3:48
Conte Candoli (tp)
Vince Guaraldi (p)
Monty Budwig (b)
Stan Levey (ds)
Red Clyde Producer
Bones Howe Engineer
Dayton Howe Engineer
Recorded in Jun 1957,at Radio Recording in Hollywood, California
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