山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

演出ノート【2】

2015-11-04 23:13:07 | 声優A子の犯罪
「声優A子の犯罪」演出ノート【2】11月4日(水)

 余談だが、
 私は何故、演劇を「伝える」或いは「コミュニケーション」の方法として強調されるようになったのか疑問だった。違うだろう。それが方法や目的にはならないだろう。常々、思っていたことだ。
 最近、ある美術の男とお会いしてやっていることと言っていることが何も伝わってこないことに愕然としてしまったことがある。コミュニケーションが成立しないのだ。小説家志望然り。作品を読んでも「私の身のまわり」しか見えない。
 そんなに「私」を見て見て?なのだろうか。「私」を理解して欲しいための表現なのか。
 何か寂しさを感じると同時に「伝える」或いは「コミュニケーション」の強調を否定することも出来ない時代が今現在だと思うようにもなった。

 今日の稽古では、ここに登場する人物は「一体何者たちであろうか?」と考えることになった。
 ある男に言った。「チョビひげを生やしたらどうだろうか。」と提案した。つまり、落書きである。ヒトラーを想像出来ると提案した。
 ここに登場する人物たちは「ある男であり、ある女である。」という匿名ばかりだ。
 台詞は「本心」と「虚言」で構成されている。いかにも葛藤である。
 現実、支配層は「嘘つき」だとミエミエの恐ろしい政策を打ち出している。真実を隠そうとするのです。権力を握った少数派が多数を支配するために「嘘」を送り出す。ここで言う「嘘」とは「悪者」を想定すること。敵ですね。
 劇では「悪者」をデッチアゲル妄想の世界を浮かび上がらせることになる。
 台本にはこう書かれている。
 「暗闇の中、パソコンのディスプレーだけが青い光をはなっている。」と。
 肉体がない。・・・不在とは何だろうか。

 悩みや葛藤だけでは終わらないよ。
 台本の行間にはお笑いが隠されている。見える、見える。
 不幸な時代にも希望はあるのだ。
 今月の稽古は俳優たちの肉体探しに明け暮れることにしよう。

(注)ここに添付しているチラシ裏は只今製作中につきレイアウトなど変更はあります。今月の中旬には仕上がります。

 この演出ノートは途中経過を公開するためにあります。変化、進化、稽古での混沌を記録します。