毎週土曜日の朝早く、阿川佐和子のトーク番組「サワコの朝」がある。何気なくスイッチを入れたある日、そこでおしゃべりする阿川佐和子の話術に引き込まれてなんとかく見て以来、癖になってしまって、時々気になるゲストの時は見ることが多い。
その番組の最初に阿川が求めるのが、「記憶の中で今もきらめく1曲」だ。
僕だったら何を撰ぶのだろうか。ゲストの会話を聞きながらあれこれ思い描いて楽しむ。候補はもちろん60年代末から70年代初めだ。
岡林信康「山谷ブルース」、フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」、そして藤圭子の「圭子の夢は夜開く」
もちろんどれもが学生達とカラオケに行った時に歌う唄なのだが、誰も聞いてはくれない。
「今日の仕事は辛かった、後は焼酎をあびるだけ・・・」
「おらは死んじまっただー、おらは死んじまっただー・・・・」
「昨日マー坊、今日トミー、明日はジョージかケン坊か・・・・」
何ともバラバラな選曲だ。いずれも19~21歳頃に口ずさみ、何時しか覚えてしまった歌ばかりだ。中でも藤圭子のあのハスキーな声はたまらなく心にしみた。
それだけに、何とも言えない宇多田ヒカルの「不安定な明るさ」が、藤圭子のハスキーな声とも重なってお気に入りとなった。その宇多田も今は休眠中。そして母の死。ひょっとしたらもうこのまま出てこないのかも・・・。
青春の原動力がまた一つ消えた。やはり我々も消える時が近づいているのだろう。ま、いいか・・・!
反戦の時代が終わりつつある。戦争を求めて若者が叫ぶ時、民は無意味に殺され、国は滅びる。こんな時代を余り永くは見たくはないと思う人はこいつをポチッと押して下さいね→こいつをポチッと押して下さいね→![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/banner_22.gif)
ランキングなどどうでもいいのだが、これを利用して大声で戦争を叫び、在留外国人を「殺せ」と叫び、核開発をお国のためだという者がいる。それが人類の道とはとても思えない。ほんの少しでも、それに抵抗する人に火種が残せればと書いてきた。しかし、こうまでショッキングなことが起こると、果たしてその気力がいつまで続くやら。
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もちろんどれもが学生達とカラオケに行った時に歌う唄なのだが、誰も聞いてはくれない。
「今日の仕事は辛かった、後は焼酎をあびるだけ・・・」
「おらは死んじまっただー、おらは死んじまっただー・・・・」
「昨日マー坊、今日トミー、明日はジョージかケン坊か・・・・」
何ともバラバラな選曲だ。いずれも19~21歳頃に口ずさみ、何時しか覚えてしまった歌ばかりだ。中でも藤圭子のあのハスキーな声はたまらなく心にしみた。
それだけに、何とも言えない宇多田ヒカルの「不安定な明るさ」が、藤圭子のハスキーな声とも重なってお気に入りとなった。その宇多田も今は休眠中。そして母の死。ひょっとしたらもうこのまま出てこないのかも・・・。
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