植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

宗教と霊性の違い

2006年03月23日 11時04分11秒 | 癌・病気の意味
 「宗教と霊性の違いもはっきりさせておこう。山がある。山には道がいくつもある。ジグザグの道、まっすぐに登るタフな道、眺めの良い尾根の道、沢沿いの森の道、ロッククライミングルート・・・など。
 宗教とはそのさまざまな道のことだ。そして霊性とは山に登ること、あるいは登った高さのことである。
 
 ところが、多くの人は入り口の門のところにたむろして、「この道だけは頂上に通じるが、他の道は邪道であってみな地獄に通じる」などと言い争っているばかりで、なかなか山へ登ろうとはしない。宗教的になることはたやすいことである。手に数珠をかけ、首に十字架をさげればだれでもすぐに宗教的になれる。数珠や十字架は門のところでいくらでも売っている。

 だが霊的であるためには人は山に分け入らなければならない。群集を離れて、ひとり、自分の足で、山道を登らなければならない。霊性とは登った高さであり、そこから見る世界の認識なのだ。

 よく本末を転倒して、宗教が目的であるかのように考えられることがある。だが、宗教は手段であって目的ではない。目的は霊性にある。山に登ることだ。道は自分の傾向や縁によって選ばれるだろう。しかしどの道を選ぶかはさして重要な問題ではない。大切なのは登ること。登らなければ道なんて意味はない。

 だから人は宗教によって成長したり救われたりすることはないといえる。心は霊性によってのみ清められ、高められる。山に登りさえすれば、美しい霊性の森を楽しむこともできる。そして頂上にたどりつけば、すべての道がおなじところに通じていることがわかるだろう」 『出アメリカ記』(正木高志、雲母書房、2003年)より

 →美輪明宏氏がオーラの泉の中で「宗教は問屋さん。この道がいいでっせ、こんなグッズも取り揃えてまっせ、と勧誘している」と表現しているのと言っていることはおなじように思う。

 自分自身の拙い経験を述べると癌治療を通して人の生死というものを考え『シルバーバーチの霊訓』という書籍に出あってこの世に生きる意味などを考えるようになり、人は霊的存在でこの世に学びに来るという“スピリチュアリズム”という考えが人生、死生観のベースになってきた。しかしその後『シルバーバーチの霊訓』以外の書籍からの学びで今ではスピリチュアリズムだけを至上のものとは思わなくなっている。

 前にスピリチュアリズムのサークルに入っていたとき、初めて読書会に訪れた方が「シルバーバーチも確かに素晴らしいことを言っているが彼自身が言うように『自分も間違うことがある』わけだから、霊訓に述べられていることが正しい唯一の真理と考えずに批判的に見ることも大切だと思う」と感想を述べられた。

 そのときは私は苦笑して「こんな素晴らしいものの価値がわからないなんて」と思った(今考えれば“シルバーバーチ教”信者だったんだね(笑))のだが、当時の私はそれこそ正木氏の言われる“宗教的”だったのだろう。

 今はとにかくどんどん経験すること。それがこの世の意味かなぁと思っている段階だ。
コメント (2)
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