植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

祈りの被曝ヒーリング2回目参加

2012年02月13日 14時19分47秒 | 癌・病気の意味

昨日、西東京市田無の市民会館で「祈りの被曝ヒーリング」ワークショップがあったので参加してきた。12月4日に行ってから2か月ぶりである。

参加者は22人くらいだったかな?講師はいつもの白鳥澄江さん、中山孔壹先生、サトケンさん。

白鳥澄江さんの話から僕が印象に残ったもの。


「私はかつて子供のころ急性腎炎になりました。なんでも糸球体○○腎炎とかで学会発表されるくらい珍しい症例で長くは生きられないと言われてきました。
2~3年に一回腎生検といって太い注射を背中に刺して腎臓の組織を取って調べるんだけれどもこれがとっても痛いのです。
私はもともと夜が怖い子だったのでよく眠る前には怖いお化けが出ないようにとか神様にお祈りをしていた子でした。なのでこの生検の時も神様に「どうか痛くありませんように」と祈りました。すると生検をするためうつぶせに寝ているのに部屋の中が光り輝いていて自分の体がベッドから浮かび上がった感じがしたのです。その時、なぜかわからないんだけど『あ、治った』と思いました。

腎生検ではとってきた細胞を調べるんですが私はいつも20個細胞と採ったとしたらそのうち16個くらいは悪いという状態が続いていました。それがその時の検査結果が二週間後に出たんだけど『医学的にはあり得ない』と先生に言われたくらい正常に戻っていたんです。そしてその後私は急激に回復しました。これが1回目の奇跡体験。

2回目は子供が生まれてきてその子がアトピーになったとき。当時あまりよく知らなくて患部の左手にステロイドをよく塗っていたんだけど一時的によくなるんだけどやめるとよけいひどくなる。それを繰り返していたとき直感で「あ、これは違うな」と思えてやめたんです。(お母さんの直感って大事だよ)
小学校に上がる前の子だったんだけど夜子供が寝ているときに子供の横で座って手をかざして祈りました。そうしたら次の日の朝、子供の左手のアトピーが面積が半分になっていて、さらに炎症の程度も軽くなっていたんです。それから毎晩祈り続けたら一週間後には完治してしまってつるつるの肌に治っちゃったんです。

 

「ヒーリングで治りやすい人と治りにくい人がいる。治りにくい人は足りないこと、満たされないことに意識がいっている。例えて言えばペットボトルに半分くらい水が入っていて『あぁもう半分しかない』と見る人。要は問題に目を向けている。これに対して治りやすい人は『まだ半分ある』と見る人。

心と体はすごく密接に関係している。問題に焦点を当てる人は治りにくかったり再発を繰り返す。ヒーリング直後はいいんだけど家に帰るといつものパターンで問題点を意識してしまう。

私は人の体の中の状態が見えるというか感じてしまう体質で、去年の4月に知り合いの子供さんを見たらその子の体内に放射性物質があるのが見えてしまった。
放射性物質は通常の病気のエネルギーとは全然異質の気配だった。私がこれまで見てきたものとはまったく違っていた。

しかしその放射性物質でさえも祈ることで変わるし治る。

ネガティブに物事を見る人は免疫が落ちている。あるいは落ちやすい。気持ちと免疫力はリンクしていて、被曝の症状も気持ち、マインドとリンクする。

たとえば人が誰かのことを祈っても祈られた人がもともとネガティブに考えている場合は次の日にはまた元に戻ってしまう。思考のネガティブパターンから脱出することが大事です。

被曝ヒーリングは誰にでもできるので、これをみんなができるようになったらいいなと思い始めました。たまたま私が気が付いたけど、誰にでもできることがわかったので、皆にお伝えしたいと思って始めました。

なぜ皆さんがヒーリングができるのでしょう?
もともと私たちにはそういう力があった、本来持っていて使わなかった能力なんだと思います。気が付けばスイッチが入ってできるようになる。

子どもは素直なので教えるとすぐに祈りの力を発揮します。


祈りってなんだろう?
私が言っている祈りというのは宗教ではないかもしれない。もっと普遍的で根源的な祈りは私たちが太古の時代、海に夫が漁に出かける時に無事に帰ってきてねと家族が祈る、そのような祈りが原点だと思う。

また、祈りは感謝に近い。命に対する尊敬、感謝。と考えると祈りは日常にあふれている。日常生活を大事にしていったらそれは祈りに通じる。日々の日常の心持のほうが大事で、これが純度の高い、通じる祈りになる。だから子供の祈りのほうがえてして通じる。

⇒大人はいろいろ考えるから純度の高い祈りにならないかもしれないけれども、大人の強みは理屈でわかることでそれを「あぁそうか!」と腑に落として修正、変えていけること。

「人が祈る時は自然界にして純粋に感動したときです」

→うん。だからそういう感動できる美しい自然を残す必要があると思って僕はずっと自然保護運動をやってきていたんだよね。僕たちの文明は野放図に自然を開拓してしまい自然でなくしてしまった。そこには純粋に感動できるものはないんだよ。だから人間の経済行為を無限にこの星の上に展開することにぼくは昔から違和感を持ち反対してきた。大学の仲間はみなこぞって経済学を学んでいたけど僕は経済を学んで人間が幸せになるのか?人間だけが良ければいいのか?という感覚がずっとあってそっちへは興味がわかなかった。あ、自分の話になっているな。脱線失礼

祈る時の注意点
祈りには結果を求めない。結果にフォーカスしない。

「願い」は結果にフォーカスしている。我が入っている。我は悪いものではないけれども願には必ず我がある。祈りはそこにフォーカスしていない。
いま、あることにフォーカスいているのが祈り。願iいは「絶対、○○になれ、しろ」となる。

「行ってらっしゃい」と送るときには我はなく天に結果をお任せしている。

祈りはゴールは設定するけれども①あとはおまかせ、②あとは信じる。
言ってみれば自動操縦に近いかな。→では「願い」はマニュアル運転か?(そうてつ)

ネガティブな気持ちがあると自動操縦でもそちらに行ってしまう。結果を求めず温かい気持ちであとはおまかせでいれば温かい自動操縦となる。

今の自分の置かれている状況や周りのもの、ことに対して「ありがとう」と言う。


祈りが届くかどうかは自分の気持ちをOKしているかが大事だ。

被曝は人類最大のピンチと見てもとれるが最大のチャンスでもある。
私たちの先祖の縄文人は大陸の端っこまできた勇敢な人たちだ。この国の人はその勇敢な人たちの末裔なんだよね。厳しい状況の中で生き抜いてきた人たち、順応してこれた、生き延びてこれた人たちなんだ。だから今回のピンチも切り抜けられる。私たちの体の中にはそのようなピンチを切り抜けてきたご先祖たちのDNAが宿っているのだから、あとはスイッチオンにするだけなんだよ。とにかく立ち上がれ。あとは体の細胞の中に答えが眠っている。

とりあえず今日はここまで。


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