『転生の秘密』(ジナ・サーミナラ著、多賀瑛訳、たま出版)より
「歴史の周期的進歩は20世紀をちょうどそのような時期にしたのである。それゆえケイシーのリーディングによれば、アトランティスの人間が非常に数多くいるのである。したがって現代の驚くべきテクロノロジーは、二つの局面に置いて理解されるであろう。
第一はアトランティス時代の業績の記憶を持っている大胆な発明の才ある天才的能力の結果として。第二はその間の世紀に彼らが利己主義や文明の仮面を付けた蛮行への新たな誘惑に耐えうるだけの素質を獲得したかどうかを判定する試験場として」
私は人は輪廻転成していく永遠のエネルギー体だと考えています。この間、学んできたこととして「輪廻転生は劇団のようにグループを組んで行われる。お互いに舞台上での役を出し物が変わるたびに変えて、様々な役柄を経験して魂を磨いて行く」ということがありました。その際のグループの人数は20~30人くらいかと考えていました。
今回、『転生の秘密』を読んでいて、「停止中のカルマ」という章がありました。カルマの解説は省きますが、「ある行為のカルマの結果は時とすると一つの生涯またはそれ以上の間をおいてからあらわれる」ということです。古代ローマ時代に生きていたときに蒔いたカルマを償うにふさわしい時と所を待つためにある時には数世紀の時を要するかもしれないということです。
大西洋の海底に大昔アトランティスと呼ばれた大陸が沈んでいる、という説があります。ケイシーはライフ・リーディングの中で繰り返し「アトランティスはその巨大な力を濫用したために破滅した」と言っており、「アトランティスでは電気エネルギーや心霊エネルギーに関し、また特にある種の催眠術を性欲の満足や他人を強制労働に追いやるために利用した、そのため人間は極度の堕落に陥った」と言っています。
「これを事実として受け入れ得るならば、当時の人格の堕落は、電気や心霊学や心理学の知識が利用できない時代には完全に償われ得るものではないことが理解されよう。大食を克服し得たかどうかの最終的判定は、当人をもう一度美食で囲んで彼が節制を守り得るや否やを見て決定するものだ。(中略)アトランティスの科学がその絶頂にあったときにその巨大な力を濫用した者たちは、それと同じ機会が提供されたときにそれを建設的に使うことができないならば、その利己主義と権力欲を克服したとは言えないであろう」
現代は文明の発達度合いからすると及ばずながらもアトランティスの時代に近くなっていると思われます。電気エネルギーが使われその生産には原子力をも利用しています。アトランティスはこれらテクノロジーを自分の現世利益や享楽のために多く使ってしまい滅んでしまったのではないでしょうか。そして今この世に生まれてきている私たちは、実はアトランティスの時代に生まれたことのある(=前世にアトランティス人だったことがある、という意味)魂たちではないか、そしてその時の失敗を克服するためにここにきているのではないか、ということです。
人間も自然の一部ということを常時わきまえ、人間の幸せのために動植物などの自然を支配、蹂躙することはなく、工学、テクノロジーによって得られた時間で静かに人生を思惟し、反省し、神に帰る時間的余裕を持つこと、これが文明を進めた人類の日常のような気がします。
ですので冒頭の節の赤字で書かれた文章の通りとなるのでしょう。
「文明の仮面を付けた蛮行」というのは、「原子力発電所という文明の利器を地震多発地域に多数設置してしまうこと」とか「日本統治下の台湾で1930年に起きた原住民の反乱という霧社事件時に日本軍によりびらん性の毒ガス兵器が蒔かれたこと」あるいは「広島・長崎への原爆投下」などなど、枚挙にいとまがありません。
もし今生の私たちの多くがアトランティスからの転生組としたならば、私たちは文明の発達により得られる様々なテクノロジーの誘惑に耐えうるだけの素質を獲得してきているでしょうか?そして試験を通過できるでしょうか?
私見ですがこのまま行くと試験を通過するのは困難な感じがしています。私事ですが幼い頃から「どうしてどんどん自然を壊して町にしてしまうの?」といつも思っていました。原生自然が大好きで経済の発展を好ましく思えませんでした。もしかしたらやはりアトランティスのリベンジ組かもしれません。その覚悟で今生にやってきたような気が強くしてます。
でも私は今はどっぷり現代生活の便利さに嵌っています。iPhone,iMacを使いインターネットでFacebookで遊んでいます。まさにテクノロジーを享受しその誘惑に負けてしまっています。
今日、この『転生の秘密』を読んでちょっと思い出しました。よりシンプルな生活に戻り、利己主義に陥らないように、いつも試されている事を頭の隅に置きながら生活して行こうと思います。