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植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

お不動さま

2005年10月25日 22時07分52秒 | 天音、玉音、ハープ
 いつも往診にはハープを持っていくのだが今日は患者さんのため以外に持参した初めての機会だったかもしれない。
 神奈川県K区の駅から歩いて10分ほどの高台のマンションにWさんは住んでいて、今日は往診2回目だった。実は前回帰りがけにそのマンションから見ると裏手にある階段を降りて駅に向かう途中で寒気に襲われた。往きにそこに小さな赤い社があることは見かけていたのだけれども、どうもあまりいい感じがしなかった。

 患者さんのマンションはちょうどお不動さまの裏手の山を全部開発した形で建っているようだった。たぶんそのあたりはお不動さんの神域だったと思う。だって結構な樹齢と思われる木が何本も残っているから。そこを開墾してしまったようなのだ。

 八甲田神社の創立者であり宮司であった小笠原壽久氏の『神考記』や『見知らぬ世界』(いずれも八甲田神社発行)を縁あって読むことができ、そこから昔の社や塚、池、井戸などを無造作に開墾したり埋めたりすることでいかに様々な災厄が近隣の人々に降り懸かるかを学んでいたから、どうもWさんの病気も関連するのでは、という考えは頭の中にあった。

 なので土地の神さまを軽んじて挨拶なしでその上の神域と思しきところに建ててしまったマンションに住む患者さんを治療に行っても、うまくいかないんじゃないかと考え、今日はお不動さまに挨拶もするためにハープを往診に持参した。

 車道の脇にいきなり不動尊と書かれた鳥居が立っていてそこからお不動さまの参道と思しき舗装された小道が続いている。そこからお不動さまの背後の山に立っているマンションが見える。そしてさらに今日気付いたのだがちょうど祠のあるあたりの上を高圧架線まで架かっている。これはまずいだろう、ご立腹されてもしょうがないのではないか・・・。

 参道の入り口で史跡調査をしているような風体の方がいたので彼に奇異に思われるかもしれないなぁとも考えたが今日の目的はお不動さまにご挨拶してご機嫌を直して頂いて患者さんの治療の許しを得ることだからしかたがない、彼の真横で帽子を脱いで参道の奥のお不動さんに向かって合掌と礼をした。「知らぬこととはいえあなた様の大事な地に人の住居を立ててしまったことについてお詫び申し上げます。今日はその地に住む人を治療させていただきたく存じます。これから微力ながらお腹立ちを慰撫させて頂きたく楽の音を奏上したいと存じます。どうぞお許し下さい」と。

 治療約束の時間に遅れそうなのでそう祈ってから急いで参道に入っていくと後からその初老の人が「あの・・・お急ぎの所を引き止めてすみませんが、あなた今挨拶されていましたよね、でもお不動さんはそこにはないのですが・・・」とのたまう。

 うーん、確かに物としてのお不動さまはないかもしれないけれどぼくにはあきらかになにものかがおわす感じがするので、「いや、たぶんいらっしゃいますよ」と言って彼を無視してそのまま奥へ急ぎ足で向かった。何しろ患者さん宅へ行く前にハープの楽の音を奏上しないといけないから時間的余裕がない。

 すると彼はぼくの後を追ってきてぼくが奥のちいさい祠にお賽銭を差し上げて祈っているのを後で見届けていてこれからハープを弾こうとする時に声を掛けてくる。流れを止められてしまうと困るので「ちょっと待って!」と制してからハープを弾く。

 しばらくして無事弾き終ってから彼の方に振り向き先ほどの制止の無礼を詫びてからやむを得ず少し説明する。ぼくが治療師であり患者さんの治療の前に土地の神様に許しを得るために楽の音を奏上したことを。するとようやく納得したようで去っていった。その後急いでWさん宅へ向かった。

 Wさんの治療の際には娘さんが同席していた。きょうは足のむくみを取るオイルマッサージを見て覚えて頂く予定だった。治療に入る前に場を清める方がいい感じがしたのでハープを弾くことにする。「場を清めますから」とぼくが言うと娘さんが「やっぱりここは場が悪いんですか?」と聞いてくる。言うべきか言わぬべきか・・・2~3秒迷ったが意を決して「えぇ、もしかしたらそうかもしれないです」
と言うと「実は前にも占い師の方からここはそういうところだから気をつけた方がいいと言われたことがあります」と。

 実はWさんのうちは今年になってからひどい運続きで、まずWさん本人の症状が急に進展してしまったこと、長女の摂食障害、うつ病の発症、そして極め付けが先月、まだ20歳代の三女を急性くも膜下出血で突然亡くすという不運にも見舞われてしまったのだ。そしてここへ越してきたのが3年前とのことだった。

 それを知っていたのでお不動さまに関わる存在たとえば眷属などによる災いがあるのではないかと考えたのだった。さらに驚いたことについ先ほどぼくがハープを弾く際に腰掛けていた祠横にある建物の土台と思しきコンクリブロックは、最近不審火で消失したお堂の跡だったという・・・。社を焼失してしまったのでお不動さんは移築されたのか。それで往きに袖擦り合った男性の「そこにお不動さんはないですよ」という話が繋がっていく。

 しかし神域は開発され、祠は省みられず、社は焼失ではそこにおわす方はお怒りになるのもごもっとも、という状態ではないだろうか?もちろんぼくには霊感がないからもしかしたら神様は引越しされてまったくそこにはいらっしゃらず怒ってもいないかもしれない。でも流れからするとここは詫びの一つも入れるべきところだと思ったのだ。

 幸いWさんの次女の娘さんはこういう話を理解してくれて帰りにはぼくの見落としていた祠脇にあるこれも裡捨てられているお地蔵様のような像とその下から湧き出している竜神を象った吐水口までわざわざ案内してくれた。そこで再度ハープを奏上した。併せて彼女に清酒を買ってきて竜神様に奉げると良いと思うと伝えておいた。

 もしかしたら霊能力者の人からみたらまったくとんちんかんなことをしているかもしれない。しかしそれでも自分の中ではこれまで霊的に学んできたこと、知りえた事から類推して取れるべき対策、すべきことはしてけじめを通せたのではないかと思っており、多少は心が落ち着いて往診から帰ってきたのだった。 
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山上でハープを弾く

2005年10月19日 22時34分34秒 | 天音、玉音、ハープ
 山に行ってきた。北八ヶ岳のシラビソの森に浸ってきたと言ったほうが正しいかな。森林浴で充足しお返しにハープの調べを返してきた。

 山の頂に着くまでは濃いガスに囲まれていたのに目的の場所でハープを取り出した途端、視界が急に開け南の八ヶ岳連峰が眼に飛び込んでくる。15分くらい天上の楽園から心を広げる。終わると同時にまたガスが帳を下ろす・・・。自然の妙なるタイミングには驚かざるを得ない。

 森林のへりで緑に浸り緑を楽の音で寿ぐ。幸福な休日。天気は決して良くはなかったがそれなりに充実した日々だった。
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横笛を習おうかと・・・

2005年06月14日 21時45分13秒 | 天音、玉音、ハープ
 
 最近知ったことだが、この国には多くの古戦場が残されておりその跡地近辺の家では今でも不思議な病や災いが起こることが多いそうだ。そしてその近辺にある祠や神社を近郷の人が祭るとしばらくはそれらの災厄がおとなしくなるそうである。しかし災いが起こらなくなったり祠や社が朽ちてくるとまた災いが起こるそうな。

 霊視ができる人が見ると何百年前の合戦後では今も毎晩肉体を失った人たちが合戦を続けているらしい。哀れとしかいいようがない。

 僕は治療を学ぶことを通して人の死後にも霊としての存在があるのではないかと思うようになった。そして霊界の下層つまり幽界では人々が己の悪想念に囚われて苦しんでいることも学んだ。そういう苦しんでいる人々を癒してより高い霊界に進んで頂く手助けをこの世の私たちが出来ることも知った。

 だから今も苦しんでいる人々をお慰めするために楽の音を奏上したいと思うようになった。今は手元にアイリッシュハープがありこの世の人々にはそれなりのお慰めの道具になっているのだけれども日本全国に持ち運ぶにはちょっと大きいことと、古い時代の普通の人々の心に訴えるにはやはり篠笛などの古来から日本にあった簡素なものが良いのではないかと思ったのだ。

 そういえば昔勤めていた病院の鍼灸師の同僚は篠笛を吹いていた。それをしてみたいと思っている。今は能管、篠笛、篳篥の区別もつかないのだが鎮魂のための音を吹けるものが適当だ。ハープもそうだが初めだけ少し吹き方を習ってあとは独学でいくだろう。
 
 邦楽家になるわけではないし、この世の人に聞かせるためのものでもない。演奏技術を高めるほうに向かうのではなく、目の前の空間にいるはずの方達に心を届けられればよい。静かな野辺に立って古の時代に無念の思いで他界された方々を思い起こし笛を奏でる。できればその方達に僕の笛の音で光に変わっていって頂けるきっかけをお届けできればと思うのだ。

 私たちはこの世だけで良くなっていくのではないそうだ。霊界の事を良く学び、想念の威力を知っている人々があの世に向けて愛情を注ぐことで霊界の下層である幽界に留まっている人々を助け得るのだそうだ。

 だから微力ながらできるところから始めようと思い、横笛の類を学ぼうと思っている。また聞くところによるとあの世ではこの世で学んだ技術をそのまま継承していくそうだ。だから笛も良いかもしれない。幸い僕は来世も治療家らしいので来世では笛を吹いて感情、魂を癒しているのかもしれない。
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病院での言葉による御霊送り

2005年05月21日 23時10分07秒 | 天音、玉音、ハープ
 現代医学的治療を受けるため入院された患者さんから往診の以来があり、ハープを携え病院に往診に行く。

 その方へ鍼灸とレイキによる治療を終えて話をしていると、その病室のそのベッドは奇しくも亡くなった知人が使っていたとのことで、「もしかしたら彼が何かを伝えたがっているのかもしれません」と言われた。

 となるとその彼への語りかけも必要かと感じ、再びハープと言霊によるレイキを行った。場所が病院なので他の方々へもお話申し上げた。僕には霊耳がないので語り掛けに対する反応は聞こえず一方的ではあるのだけれども、失礼のないようにお話申し上げた。

 現界、霊界ともに手を携えて神界へ歩んでいく。行、言、念の一致が自分の身魂を向上させるというので、時と場所が合致した言葉による想念の御霊送りは相手側にも私たちにも良かったのではないかと思う。

 「私はここにおります。どうぞ私を使ってください。御心のままになさってください。」

 インスピレーションの赴くままに行動して全託していくしか道はないと信じている。

 今日買った本
 『驚異の引き受け気功』池田弘志著、木楽舎、
 ふらっと立ち寄った書店で前にサラリータさんが言っていたのを思い出して。この本も役に立ちそう・・・
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ハープのCDを頂いた

2005年03月28日 23時00分39秒 | 天音、玉音、ハープ
 Mさんは私がご自宅に往診した時に弾いたハープを録音してくださっていたのだが、今日入院先の広尾日赤の緩和ケア病棟に往診に行ったら、CDにしあげたものを下さった。私の似顔絵が音符が踊る中にあしらわれている素敵なもので感激である。

 中身は私が弾いているので恥ずかしい気がするが、なんか嬉しい。Mさんほんとうにありがとうございました。

 今何とか自分のホームページ上にハープの音色をアップしようと模索中だ。アップした暁にはぜひ拙い私の弾く曲をお聞き頂ければ幸いです。
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新曲・テーゼの祈り

2005年03月17日 20時37分23秒 | 天音、玉音、ハープ
 体調は良くないけれども嬉しいことがあると身体は動く。
 久しく体調を崩していたハープの師匠からレッスンOKの連絡が届き、うきうきとご自宅へ向かう。

 Song No1とCANONしか弾けないので、Davidの弾いたテープを聴いてUbi Caritus(テーゼ#3)のコードを教えてもらう。(僕はコードも聴き取ることができない)今年の課題はこの曲だ。これを弾けるようになり、また戸外に出てゆこう。

 テーゼ#49のJesus,Remember Meや、テーゼ#4のAdoramus te O Christeも美しい曲で将来は弾けるようになりたいと思う。すべて祈りに通じる。
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井の頭公園池を癒してきた

2005年03月08日 22時00分32秒 | 天音、玉音、ハープ
 吉祥寺の往診の帰り、井の頭公園池に寄る。今日は晴れて暖かくなり平日だというのに人手がすごい。特にベビーカーを押した若い母親の姿が多かった。

 鴨たちはまだたくさんいた。もうすぐ北帰行が始まるだろう。いつまでいてくれることか。

 池のほとりのベンチでハープを弾く。始めは人が多くて弾きづらくてためらっていたのだが、初老の方が私の足元のキャンパス地に包まれたハープを指差して「これは何の楽器ですか?」と聞いてくれた。それが背中を押してくれて雑踏の中で弾き始めることができた。

 その時は公園池を癒す気持ちと人々の心を慰める二つの意図で弾いた。風に音が唸って伸びていくのがわかる。ゆっくり、自分も気持ちよく奏でて静かに終わる。隣で車椅子の年老いた父と思われる方を世話していた男性が小さく拍手をした後、勢い良く感想や音楽の話をしだす。

 ごめんなさい、私はその方面は疎いんですよ。だから申し訳なかったけど適当にお茶を濁す対応をしてしまった。

 そこから離れて計3箇所で奏でる。一つは弁天様を慰労するために。神様だって疲れてるはず。人間の勝手な欲望を頼まれるから。お堂の横で弁天様に聞こえるだけの大きさで奏でた。弾いている最中、弁天様をいだいているイメージが湧いてしようがなかった。私は欲求不満なのだろうか・・・

 最後に公園駅よりの池畔で弾く。この時はざわめいていた喧騒がピタッと止む瞬間が何回かあって少しは受け入れられているようで嬉しかった。

 池を充分癒した感じがした。

 今日は午前の往診先、公園、そして夜の往診先でとハープばかり弾いていた一日だった。
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ハープ

2005年02月20日 18時42分02秒 | 天音、玉音、ハープ
 寺山心一翁さんのブログから飛んでこられたオランダ在住のTさんから、今日の朝ハープの番組(題名のない音楽会)があると教えていただいたので見てみた。

 アルパという種類のハープをあでやかな女性達が同時に大人数で弾くのは圧巻だったし、僕の弾く青山ハープ製のサウルハープも紹介されていた。師匠のdavidと同じようにハープを携えて弾いていた。いい番組だった。妻の実家で見たのだが皆で聴き入っていた。オランダのTさん、本当に有難うございました。

 今は祈りの為の数曲しか弾けないが、やはりもう少しレパートリーを増やさなくてはいけないな。そう思った。
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ハープによる治療

2005年01月10日 21時19分40秒 | 天音、玉音、ハープ
 音霊は恐ろしい。すべてを晒してしまう気がする。

 祈りをハープの調べに乗せて目の前の方に届けているけれども、その際にうまく弾こうと思うともうだめである。心が音に乗っていないとなると自分で何をやっているのかと混乱してくる。そして間違えるのだ。

 ただひたすらその人を思う心で奏でれば必ず力が作用している。決してミスをしない。奏でる際には自分を通してマリアの愛情が注がれることに思いを致し、ただ自分は道具となった時に人の心に深く達するようだ。

 ただひたすら「貴女にお会いできて良かった。共に霊的向上の道を歩んでいきましょう。神様感謝します」と弦を見ながら弾き終わって顔を上げると、そこには溢れる涙を拭おうともしない美しい顔があったこともある。

 作為は不要だ。失礼だ。そんな人間の醜い意図は捨てないとこの聖なる楽器は弾けない。
 「ハープの音色を過小評価すべからず」。師のDavidの残した言葉の意味の深さは時と共に重くなって私の心に染み込んで来る。
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