鹿沼市に吸収された粟野町。鉄道も国道も通っていない数少ない自治体であった。
粟野高校の源流は、鹿沼農商定時制粟野分校と変則的な形でスタート。
昭和34年に全日制となり昭和42年に独立。
しかし平成21年に地域の過疎化に伴い生徒数が減少し鹿沼農と統合となった。
ややこしいが、鹿沼農商は、鹿沼商工、鹿沼農、粟野と3校に分裂していたことになる。
3分裂したがそのうち鹿沼農と粟野が再度くっついた形だ。
平成成績 3勝19敗 .136 (61位相当)
通算成績 28勝42敗 .400 (37位相当)
平成最高成績 初戦突破(H1、H11、H13)
ライバル校! 鹿沼農
最後の白星は、後に統合することになる鹿沼農との対戦で勝ったもの。
ちなみに2回戦で対戦したのは同じく閉校となった喜連川高校だった。
ちなみに源流の鹿沼農商とは分校時代に対戦。そのときは、敗れ
粟野高校として昭和44年に対戦した時は4-3で勝利した。
真っ青のユニフォームは、割と似通ったユニフォームが多い栃木県内において入場行進では
一際目立っていた。昭和54年にベスト4と躍進。ブルー旋風を巻き起こした。
ただそこから先は、生徒数の減少で部員も集めるのが苦しくなり平成に入ってからは
わずか3勝に終わった。平成でだいぶ負けが込んだが廃校した高校の中で勝率4割は粟野高校だけ。
地理的なハンデを、団結力でカバーする好チームだった。