大正に創立時は小山町立小山農商ともともとは実業系の学校。
その後小山公民実業→小山農に。戦後は現校名となり普通科の高校となった。
県立普通科で甲子園を狙える高校として県南で人気を集めるています。
OBに広沢克己氏がいます。
平成成績 59勝29敗 .670 63校中9位
通算成績 142勝75敗1分 .651 63校中9位
平成最高成績 優勝(H6、H15)
ライバル校! 国学院栃木
H15の優勝時は、準決勝で国栃、決勝で作新を破るという圧巻の優勝だった。
平成の対戦成績は3勝2敗。通算でも5勝3敗と勝ち越し。
ちなみに作新とは平成では1度のみの対戦だった。通算でも7勝4敗と勝ち越し。
佐野日大とは相性が悪く通算3勝6敗。平成は1回しか勝てなかった。
平成15年の優勝時は、打ち勝つ野球を標榜した故・小森監督から守備重視の中田監督(現・鹿沼監督)が
就任し、上手く戦術が融合しての優勝だった。
今では、珍しくなくなった打のチームとして他校から恐れられてきた。
ただ守備重視となったことで平成後半は、他の県立高校との差異がなくなり同じ市内の県立校
小山西や小山南にも実力的に迫られてきた。
令和は、宇都宮清陵高校を指揮していた斎藤監督が就任。
データ重視の野球で新時代を築けるか立て直しの手腕に期待がかかる。