きのきのTimeees!

スポーツ・音楽・趣味の旅行ネタなど自己満足的に更新してます、少し頭の隅に覚えて頂ければ幸いです。わくのい通信から改名!

F1 C級チーム列伝番外編!!  アンドレア・デ・チェザリス氏 事故により死去・・・

2014-10-06 23:38:20 | F1・C級チーム列伝!

久々にF1ネタを。今年の日本GPは、終盤に下位チームのマルシャ・フェラーリに所属するビアンキが不運な事故により生死に関わるような大事故に遭ってしまい現在世界でもトップクラスの日本の医療チームが必死の治療を行っているとのことです。何とか、元気な姿で戻ってくるのを切に祈るばかりです。小林可夢偉君は、走るので精一杯といった感じでした。是非来年は、もっとまともなチームで走ってほしい!

 

さて、そんな中私が好きな90年代を代表するドライバーがまたひとりこの世を去ってしまいました。

イタリア人ドライバーのアンドレア・デ・チェザリス氏55歳の若さで二輪車事故により亡くなったとのことです。この人がすごいのは、リタイア率の高さ・・・25戦以上完走したドライバーの中では、ワーストの34.1%となっています。

また今のF1は、だいぶ完走率が高くなっているので恐らく破られないであろうリタイア数歴代NO1の134戦という記録が残っています。ちなみに2位はパトレーゼの130。現役では、バトンの49が最高なのでまず破られないと思われます。それでも歴代11位の208レースに出走出来たのは一発の早さがあり「壊し屋」の異名を持つように愛されるドライバーであったからでしょう。ご冥福をお祈りします。

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F1B級チームならぬC級チーム列伝 第13話 アンドレア・モーダ(イタリア)

2013-11-22 22:02:10 | F1・C級チーム列伝!

 

久々に帰ってきたF1B級チームならぬC級チーム列伝!!

13回目の今回は、F1界に汚点だけを残したアンドレア・モーダを取り上げます。このチームをきっかけにF1は、参戦するということ自体審査や金銭的に厳しくなり新参チームには厳しくなることになりました。

基本データ

予備予選出走 14台(16位)

予選出走     4台(116位)

決勝出走    1台(131位)

チーム歴史

参戦は1992年の1年のうち第3戦から12戦という実質9戦のみ。エントリーから、前年のコローニチームの買収を巡ってFISAと対立。開幕2戦はそれや、マシンが間に合わず参戦を見送る。3戦目にようやく予備予選出走にこぎつけるも15秒近く遅いタイムであった。オーナーは、サセッティ彼は、プレイボーイでも知られたがF1でもマシンは真っ黒でまさに真っ黒の歴史。モナコGPで初の予備予選通過!何と本予選も最下位の26番手ながら通過し決勝にも出走を果たす!さすがは、C級チームの救世主ロベルト・モレノ!オーナーのサセッティは、セカンドドライバーマッカーシーに様々な嫌がらせをしたことでも有名。ドライコンディションに中古のウエットタイヤで送りだしたなんて出来事もあった。やがて、資金難や愛想をつかせたスタッフが次々に流出。また、オーナーの不渡り等も発覚し参戦台数が減りだしたシーズン中盤は予備予選免除となったがFISA追放に近い形で短すぎる歴史に幕を閉じた。セレブの遊びに弄ばれた気の毒なチームでもあった。

なお、この年を最後に現在まで予備予選は行われておりません・・・

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およそ1年ぶりの新規投稿!  F1C級チーム列伝!!第12話ライフチーム(イタリア)

2011-03-02 23:33:22 | F1・C級チーム列伝!
かなーり久々の、F1C級チーム列伝!!1年2カ月ぶりに帰って参りました。今日取り上げるのは、史上最弱チームとの呼び声高いライフ(イタリア)です。



チームの歴史


1990年の1年のみの参戦。全て予備予選落ちでした。

参戦は、計14戦各レース1台のみの参加でした。ドライバーは、1戦2戦が、ゲーリー・ブラバム。こちらは、2戦目で走れないままチームに嫌気がさし逃げるようにしてチームを去りました。オーナーのコネでやってきたのが、引退して7年を経ていたブルーノ・ジャコメリです

しかしながら、ドライバーの技量の問題をはるかに超えたチームで弱小チームが並ぶ予備予選の中にあっても弱さは、際立っていた

実際に毎レース予備予選ダントツの最下位。ブービーとの差も20秒~30秒程度とまさに異次元の遅さ。F3000よりも実際遅かったようです。ドライバージャコメリは、常にあまりにもの遅さで毎レース追突されるのでは?と恐怖心との戦いだったとか!?

エンジンは、フェラーリのエンジニアを経験しているフランコ・ロッキ。W12型エンジンを考案するもどのチームも相手にされずならば自らシャーシを作ろうと参戦した。シャーシは、前年参戦するはずだったファーストレーシングのシャーシを流用。しかし、そのシャーシも何年も型落ち。なおかつ巨大で重量の重いW12型エンジンはトラブルも頻発。まともに周回を重ねることもままならなかった

13戦、14戦では、さすがにジャッドV8エンジンに変更も大きく状況が変わることなく遠征費のかさむ第15戦日本GPを前に撤退した。

今では、こんなチームが参戦することは考えられず後にも先にもこれ以上弱いチームが出てくることはないでしょう。
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F1・C級チーム列伝  第11話  コローニ(イタリア)

2009-11-07 20:29:47 | F1・C級チーム列伝!
F1界では、トヨタの撤退が先日発表されBMWに続き大手メーカーが撤退することに。さらに、ルノーの撤退も噂されています。ブリヂストンも来年限りで撤退とのことでF1は、新時代に向けて今分岐点に差し掛かっているようです。全チームがコスト削減に向けて真剣に考えなくてはならないでしょうね。弱小チームあってこそF1は、成り立っていると管理人は考えております

来年は、新規チームが4チーム加わる予定。果たしてどんなC級チームが登場するか密かに楽しみにしております


今日は、かつて行われていた予備予選の常連!このチームなくしては、予備予選は語れないでしょう。コローニチームです


データアラカルト

予備予選出走   52回  歴代3位

予備予選通過   6回  歴代12位

予選出走     34回  歴代68位

予選通過     14回  歴代81位

予選最上位    15位

決勝最上位    8位



チームの歴史

F3での華麗なる実力を持って鳴り物入りでF1デビュー。87年から参戦開始。この年は、イタリアとスペインGPのみの参戦。13戦スペインGPでは、予選通過も完走ならず。ドライバーは、N・ラリーニ。

88年は、タルクイーニ一人の参戦。16戦中8戦で予選落ちという結果。第5戦カナダGPでチーム最高の8位を記録。予選は、第2戦のサンマリノでの17位が最高。

89年は、このチーム唯一の2台体制での参戦。ドライバーは、R・モレノとP・ラファネルとE・ベルタッジア。下位チームで驚異的な走りを時折見せるR・モレノが13戦ポルトガルでチーム最高順位の予選15位を記録。しかしながら予備予選を通過できたのはわずか5回で、完走も一度もなし。

90年は、大勝負に出て、日本のスバルとモトーリモデルニ共同開発というV12エンジンを引っ提げて参戦するも基本的な設計に欠陥があり状況は悪化。B・ガショー一人体制であったが予選通過は一度もなく、結局参戦中止への道へ向かうことに。

最終的には91年にP・チャべス最後の日本GPとオーストラリアGPで日本の服部尚樹がスポット参戦。一口2万でスポンサーを募集するくらい状況は悪くこの年限りで撤退した。

5年間であったがほとんど日の目を見ないままF3の名門チームはF1を去ることになりました。






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F1 C級チーム列伝!  第10話  オニックス(イギリス)

2009-06-07 22:48:29 | F1・C級チーム列伝!
さて、今日お届けする懐かしのC級チームは予備予選が大賑わいだった89年に参戦を開始したオニックスチームです。


基本データ

獲得ポイント   6ポイント(歴代47位)

入賞       2回(表彰台1回含む)歴代61位

予備予選出走  32回(歴代7位)

予備予選通過  16回(歴代8位)

決勝出走    23回(歴代69位)



チームの歴史

あの有名な、アラン・ジェンキンスの設計したマシンでF3000の強豪からF1の舞台に移った強豪チームであったが、初年度から資金難にあえいでいた。しかしながらもともとマシンのポテンシャルは高かったと見られ、89年からの参戦で4戦目に初めて決勝にコマを進めると、予備予選の狭き門を度々通過。

第7戦フランスGPでかつて、マクラーレン・フェラーリをドライブした実力の持ち主、ヨハンソンが初入賞!さらに、第13戦ポルトガルGPで3位表彰台を獲得。この活躍によりコンストラクター10位と新興チームの中では最上位となり翌年は、予備予選免除となった。マシンのポテンシャルは高かったのでエンジンもフォードでなければもっと上位を狙えた可能性もあった。

ドライバーは、前述のヨハンソンと下位チームを渡り歩いた悲運の実力派ドライバー、ガショーと終盤3戦は、期待の新人JJレートがドライブ。

2年目は、決勝からの参戦となり期待されたが早くも資金不足が表面化。ヨハンソンがシーズン序盤でブラバムへ移籍してしまったため、レートがエースに昇格。セカンドドライバーにフォイテクという陣容。2年目は、序盤から予選落ちも喫するなど資金不足から1年目のようなパフォーマンスが見せられず予選でも20位台と低迷。第8戦で資金が底をつき地元イギリスGPを最後にあえなく撤退となった。


マシンの完成度自体は高かったものの、優秀なマネージメント能力があれば今でも十分に戦えていた可能性もあった。F1ではマネージメント能力が重要であるという見本のようなチームであった。わずか1年半で終えるには勿体無かったチームであったと思います。
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F1 C級チーム列伝!  第9話  フォルティ・コルセ(ブラジル)

2009-05-31 16:31:02 | F1・C級チーム列伝!
今日は、95年から96年にかけて参戦したフォルティチームをご紹介します。


基本データ

予選出走回数   54台  155位

予選不通過数   9台    32位

完走率      39.5%  89位




チームの歴史

95年から参戦。ブラジルの富豪ペドロ・ディニスの持込み資金により参戦を果たす。F3000では、トップクラスのチームであったようだ。

当時は、C級チームが他にシムテック、パシフィックといったところで下位争いをしていたがさすがに参戦年数の上で先輩格の2チームより予選では下位に沈んでいた。マシンは、型落ちでパワステすら付いてなく当時のF1レベルには追い付いていなかった。

しかしながら豊富な資金で次第に上記の2チームに匹敵するスピードに追い付きだした。

第2戦アルゼンチンGPでは、完走しながらも規定周回数に及ばず完走扱いにならないという珍記録も作った。

ドライバーは、新人のディニスをベテランドライバーで下位チームだと速さを見せたモレノがさながらコーチのように走っていた。モレノは、ディニスより劣ったマシンながらも粘り強く走った。シーズン後半になるとディニスも力をつけ最終オーストラリアGPで予選20位、7位完走と好記録。

しかしながらこの豊富な資金力に他の中堅チームが目をつけないはずも無く、ディニスは翌年リジェに移籍。結果的に、翌年フォルティチームは資金力に困ることになる。


96年、トップから107%以内のタイムでないと予選通過できずその影響で度々予選落ち。第2戦ブラジルGPでバドエル(チームメイトは、モンテルミーニ)がチーム最高予選順位の19位を記録。しかしながら確実性に乏しく資金不足からパーツ不足も顕著に。結局第10戦のイギリスGPで撤退となった。

結局、ディニスのステップアップのためだけのチームということになった。


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F1 C級チーム列伝! 第8話 モデナ(イタリア)ランボルギーニ

2008-12-04 22:46:41 | F1・C級チーム列伝!
今日のF1C級チーム列伝は、ランボルギーニエンジンのワークスチームとして期待されていた!?モデナチームです。


チーム戦跡

決勝出走   6台(歴代93位)

予選出走  18台(歴代78位)

予選最高位 17位

決勝最高位  7位

チームの歴史

わずか1年で撤退してしまったチーム。その命運はある意味最初で決まっていたのかもしれない


1991年実業家ルナという人物が、チームの資金を持ち逃げして失踪。その後イタリア人実業家バトルッコと組んでどうにか参戦にこぎつけた。V12ランボルギーニエンジンでの果敢な挑戦であったがいきなりデビュー戦のアメリカGPでNラリーニが予選17位から決勝7位の好走を見せる

しかしながらその後は当時激戦だった予備予選通過がなかなかままならない状態。サンマリノGPでEヴァンデポールが決勝一時5位の好走残念ながらガス欠でポイントならず完走扱いの9位になったが見せ場を作ったのもここまで。


後半戦は、前半での7位完走やサンマリノでの活躍で予備予選を免除されるも資金が続かず半分以上は予選落ちという状態であった

ブルーメタリックのカラーリングは今では幻だったのではないか?と言われるほど走っているシーンは貴重なもの参戦わずか1年で幕を閉じた

前述したようにこのチームの命運は活動資金を持ち逃げされた時点で終わっていたのかもしれない

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F1C級チーム列伝 第7話 ダラーラ (イタリア)

2008-11-15 15:02:24 | F1・C級チーム列伝!
今日のF1C級チーム列伝取り上げるのは、イタリアのダラーラです。

本来は、ここで取り上げるような実力のコンストラクターではないのですがF1でのい戦歴はいまひとつ冴えないままとなっています。

何度か近年でも参戦のうわさは出るものの参戦には至っていない状況です。

基本データ

出走回数・・・138台(歴代33位)

ポイント・・・15p(歴代41位)

決勝最高位・・・3位

予選最高位・・・3位

入賞回数・・・7回(歴代45位)


チームの歴史

1年目・・・間に合わせでF3000のマシンをレギュレーションに合わせて参戦。当然成績は残せずドライバーはA・カフィ一人のみ。

2年目・・・総ポイントの半分はこの年のもの。チェザリスが、カナダGPで3位表彰台。また予選でもカフィが最高3位となるなど入賞3回で8ポイント。躍進を果たす。

3年目・・・チェザリスが初戦アメリカGPでいきなり予選3位を記録するもこの年は信頼性に欠け完走もままならない状態。結局ノーポイントに終わる。この年は、チェザリスとピロのコンビ。1戦と2戦はモルビデリが参戦。

4年目・・・3年間フォードエンジンだったがこの年はジャッドエンジンに。この年からハンドルを握ったJJレートがサンマリノで2年ぶりの3位表彰台。モナコではピロが6位入賞も。入賞はこの2回のみだった。

5年目・・・エンジンはフェラーリに変更。しかしシャーシに致命的な欠陥がありエンジンメーカーの信用を失いこの年限りでF1撤退。そんなマシンでもイタリア人ドライバー・マルティ二が2回6位入賞を果たしている。


F1では、パッとしないダラーラではあるが、現在インディーカーとF3のカテゴリーではほぼダラーラシャーシのワンメイク状態。違った方向でモータースポーツ界に貢献している。

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F1・C級チーム列伝 番外編 過去の日本人ドライバーを徹底比較してみる

2008-11-08 22:42:37 | F1・C級チーム列伝!
さて、今年のF1の最終戦は長いF1の歴史の中でも初めてと言っても過言ではない実に劇的な幕切れでハミルトンのチャンピオンで終了しましたあれだけすごい幕切れは誰も予想できなかったでしょう

やらせなどは、一切なかったと信じたいところですがさて、今日は特別企画。久々のF1ネタですが、過去の日本人フル参戦ドライバーは8人その8人を懐かしむと同時にもしタイムスリップして同時にレースしたら誰が勝つかを徹底検証します


過去の日本人ドライバーデータ(スポット参戦除く)
※ポイント数の多いドライバー順

①佐藤 琢磨   44P   91戦 予選最高 2位  決勝最高 3位
②中嶋 悟    16P   80戦      6位       4位
③中嶋 一貴    9P   19戦     10位       6位
④鈴木 亜久里   8P   88戦      6位       3位
⑤片山 右京    5P   97戦      5位       5位
⑥中野 信二    2P   33戦     12位       6位
⑦高木 虎之介   0P   32戦     13位       7位
⑧井上 隆智穂   0P   18戦     18位       8位


成績はあまり残せていないドライバーが多いのですが実に個性的な面々が揃っていますね。一人一人を詳しく取り上げるのはまたの機会にいたします。

さて、予選一発の速さで比較するとおそらくこうなります。

虎之助>右京>琢磨>亜久里>一貴>中野>井上>悟

高木は、あまり予選ではチームメイトに負けていなかった記憶があります。ただ決勝になるとどうも安定感に欠けていました。右京や琢磨も型にはまれば非常に速かったのですが、やはりレースでの安定感がいまひとつ。悲運な面もありましたが。鈴木より下に位置するドライバーはチームメイトに対してあまり勝てていなかった感があります。特に中嶋悟はセナとチームメイトの時代は余計に目立っちゃったかな。

続いて決勝での安定性

一貴>琢磨>悟>中野>右京>亜久里>虎之助>井上

今年の、中嶋一貴を見ていると決勝でのペースコントロールが上手く気がつけば上位というのがしばしばありました。いままでの日本人にないタイプではないでしょうか。一発の速さが加わるといいのですが。正直過去の日本人選手は決勝で安定して走れるドライバーが少なくそれに泣かされてきました。


また参考に、雨のときは

悟>右京>亜久里>琢磨>一貴>虎之助>中野>井上

ですかね。もともと体格で不利な日本人は雨が降るとそのハンデが減るため雨を得意としてきました。また、日本のサーキットは比較的雨が多いのでそういったことも影響していると思われます。日本人唯一のファステストラップは雨の中、中嶋悟が記録しています。

ちなみに、リーダーラップも日本人で達成したのは佐藤琢磨一人だけとなっています。

予断ですが、1年間に2回レース中に轢かれるという前人未到の非公式記録を持っているのが井上隆智穂です。音沙汰ないですが最近何してるのでしょうか・・・・


さて、それらを踏まえて総合的に考えると

琢磨>一貴>右京>悟>亜久里>虎之助>中野>井上

となるのではないでしょうか。以上勝手に検証してみました


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F1 C級チーム列伝  第6話 AGSチーム

2008-08-14 20:08:19 | F1・C級チーム列伝!
さて、北島金メダルで沸き立つ一方、野球や柔道でがっかりな結果も聞こえていますがダメ出しなどは後日ゆっくりお話したいと思います。

今日は、久々のF1C級列伝です。究極のビンボーチームだったAGSチームです。


基本データ

予備予選出走台数・・・63台(歴代1位)

総ポイント・・・2ポイント(歴代55位)

予備予選不通過・・・歴代2位

予選出走・・・78台(歴代44位)

完走・・・22回(歴代44位)


歴史

常に資金難に悩まされながらも6年も参戦した、予備予選常連の伝説のチーム。1年目は、13戦・14戦のみのスポット参戦。いずれもリタイアでした。

2年目からフル参戦。フォードエンジンを載せての参戦。1台体制でドライバーは途中でファブルからモレノに交代。そのモレノが遅いマシンで粘って最終オーストラリアGPで6位入賞を果たした。予選ではほとんどが最後列だった。

3年目は、速さが向上。予選でも時折中団グループにつけカナダGPでチーム最高の10位を記録。しかしながら信頼性が乏しく決勝最高は日本GPでの15位にとどまった。ドライバーは、ストレイフ。そのストレイフは、翌年も参戦予定もシーズン前のクラッシュで下半身不随となり残念ながら引退となった。

4年目は、初の2台体制で挑むも、ビンケルホック、ダルマスはすべてのレースで予備予選不通過。タルキー二がチーム2度目の6位入賞をこの年に記録。


5年目は、負債がかなり膨らみマシン開発にも影響が出る。予備予選不通過が増加。

6年目、参戦を断念するかと思われたがこの年も出走し周囲を驚かせた。借金は150億程度あった模様。そんな状態ではタルキーニが3回予備予選通過がやっと。残り2戦というところで撤退となった。

6年間の参戦でほとんどが予備予選との戦い。出走は、歴代1位。不通過も歴代2位とまさに伝説の下位チームと言えると思います。




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F1C級チーム列伝  第5話  シムテックチーム

2008-07-06 20:51:32 | F1・C級チーム列伝!
なんだか蒸し暑くてクーラー使用中も、体に悪いですよね冷風扇って効果あるのかな買うか検討中

今日は、不定期連載のF1・C級チーム列伝です


チーム名・・・シムテック・フォード


基本データ

予選出走台数・・・40台(歴代60位)

予選最高位・・・14位(1995年アルゼンチンGP・Jフェルスタッペン)

決勝最高位・・・9位(94年フランスGP・J-Mグーノン、95年アルゼンチンGP、スキャッタレーラ)

完走・・・13回(完走率63.5㌫)


歴史

実力はありながらも不運の連続でわずか参戦は1年半程度だった。なんと言っても94年のイモラの悲劇でのラッツェンバーガーの事故死がスポンサーがつかなくなってしまった一因ともみられる。その後セナもレース中に亡くなったわけだが、現代F1において安全性向上が図られるきっかけになったのは、間違いない。94年は、トップドライバーはD・ブラバム、セカンドドライバーは、ラッツェンバーガーの後釜のモンテルミーニが一度も予選通過することなく事故で両足を骨折わずか2戦でドライバーは、グーノンに交替。後々取り上げたいと思っている、謎の日本人ドライバー井上隆智穂が日本GPのみスポット参戦。計4回のドライバー交替が行われた。

なお当時同時に、パシフィックチーム(こちらも後に取り上げます)も参戦していたが、当時は28台が参戦していて2台が予選落ちする形でしたが、ほとんどパシフィックを上回るポテンシャルを発揮していた。そのポテンシャルをいよいよ2年目にさらに向上。

アルゼンチンGPで予選最高位の14位を記録。非力なフォードエンジンで中位グループに食い込む活躍だったが、その矢先にまたも不幸が・・・参戦予定だった日本人ドライバー野田英樹が、持ち込むはずだった資金が阪神大震災の影響で入らず参戦資金の目処が立たなくなり残念ながらそのポテンシャルを発揮することが出来ないまま撤退を余儀無くされた。

個人的には、紫を基調とした落ち着いたカラーリングが結構好きでした。若きオーナー、ニック・ワースはデザイナーとしてはかなり優れておりその後ベネトンへ移籍してシューマッハをチャンピオンに導きました。それだけに、資金集めに長けたGMなんかがいたらこのチームの行く末も少し違っていたのかもしれません。



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F1C級チーム列伝 第4章 フォンドメタル

2008-07-02 23:11:26 | F1・C級チーム列伝!
さて、再び産地偽装の問題が再燃してきたようですが、経営者は皆バレないだろうと。思っているんでしょうけど、以前の記事でもご紹介しましたが、今の流通のしくみだと内部告発でもされない限り偽装しているかどうかなんてなかなかわかりません!したがって社員を大事にしない会社はいずれ大変な目にあうという事ですね・・・今日は、久々のF1C級列伝です。


フォンドメタル(イタリア)

基本データ

決勝出走台数  25台(歴代67位)

予選最高位   10位

決勝最高位   10位

通算完走回数  6回


歴史

前身は、オゼッラチーム。買収により、91年から本格参戦。もともとは、イタリアのタイヤホイールメーカーである。エンジンは、当時小チーム向けに多数供給さてていたフォードエンジン。91年、予備予選初通過のメキシコGPで予選最高位10位を獲得。決勝においては、ベルギーGPと相性が良く決勝最高位10位はいずれもここで達成されている。

初年度は、1台のみのエントリー。初代ドライバーは、O・グレイヤール。また2年目で決勝最高位の10位を記録したのは、エリック・ヴァン・デ・ポールであった。資金難からわずか2年のみの参戦であったが、チームオーナーの「ガブリエル・ルミ」のF1にかける情熱は素晴らしかった。前身のオゼッラ時代から、オリジナルチーム消滅後もティレル・ベネトン・ミナルディなどに主にシャシーの素材技術と空力面で大きく貢献した。

しかしながら、ミナルディチーム在籍中に癌に侵され、株式をポール・スタッタード氏に売却。翌年逝去された。あまり大きく取り上げられることはないが、こういったF1に賭けてきた人生に悔いはなかったであろう。




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F1・C級チーム列伝!  第3話 「レイトンハウス」チーム

2008-06-14 11:37:45 | F1・C級チーム列伝!
今日取り上げるのは、オールドファンの方には印象深いチーム独特のレイトンのカラーリングで人気だったレイトンハウスチームを取り上げますチームの国籍登録は、イギリスなのですが実質的には日本の実業家・赤城氏が資本を持つチームでした


基本データ


予選通過   58台(歴代48位)

総ポイント   8ポイント

予選最高位   7位

決勝最高位   2位

参戦年数    2年



歴史

もともとは、F1での老舗中堅チーム「マーチ」とのジョイントから始まったチーム。次第に繋がりを深めていって、1990年に完全に買収した形で「レイトンハウス」としてスタート。

1年目は、ジャッドエンジンでの参戦。しかしながら、非常に神経質なマシンで路面がバンピーなコースではサッパリ。さらには、信頼性も低く完走率は3割程度だった。唯一脚光を浴びたのが、フランスGPのこと。フラットな路面のため、車にマッチして予選は最高の7位。決勝でも途中までタイヤ交換を行わず1位を快走。最終的には2位表彰台を果たす。しかし、ほかに入賞は6位1ポイントのみであった。

2年目になっても、相変わらず信頼性は回復せず予選は次第に速くなっていたもののリタイヤを繰り返しハンガリーGPでの6位入賞1回のみとなった。その後、オーナーの赤城氏が汚職事件で逮捕されたのに伴い資金繰りが急激に悪化しレイトンハウスの歴史はわずか2年で幕を下ろすこととなりました。

成績もパッとしませんでしたが、奇抜なカラーリングなどから記憶に残るチームでした。ちなみにドライバーは、イワン・カペリとマウリシオ・グージェルミンのコンビ。こちらも個性派の2人でした。

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F1・C級チーム列伝 第2話 「ザクスピード」チーム

2008-05-31 01:50:10 | F1・C級チーム列伝!
さて、今日もF1新コーナーF1・C級チーム列伝をお送りします

今日は、全戦予備予選落ちというおそらく破られないであろう記録を作ったザクスピードチームを取り上げます

(基本データ)

参戦年数  5年

決勝出走台数 84台(歴代39位)

総ポイント  2ポイント(歴代55位)

予選最上位  13位

決勝最上位   5位

(歴史)

本来は、1984年からの出走予定でしたが資金の関係で1年遅れでの参戦。結局85年は、1年落ちのマシンで戦うことになり苦戦を強いられた。この年は1台のみの参戦。続く86年も苦戦が続き常に下位グループ。

しかしながら、エンジン・シャーシともにオリジナルでこれは当時ではかなり珍しかった。

87年は、ターボエンジン効果で序盤は健闘。M・ブランドルが最初で最後の入賞となる5位フィニッシュを果たす。また、予選最上位13位もこの年。

88年、再びたびたび予選落ちを繰り返すようになり、

89年は、鈴木亜久里が参戦。ターボエンジンが使えなくなりヤマハエンジンを採用も、F1経験不足のヤマハエンジンはトラブル頻発。鈴木は、全戦予備予選落ちという金字塔を打ち立てた。同僚ドライバー、シュナイダーも予備予選を通過したのはわずか2戦であった。この年を最後にF1撤退となった。



87年によくなりかけたものの、レギュレーション変更のあおりも食らって不遇のままF1を去ってしまいました。違う意味で89年のヤマハエンジンで全戦予備予選落ちがこのチーム最大の勲章でしょう。



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今日からの新企画!F1・C級チーム列伝!! 第1話 「ミナルディ」チーム

2008-05-29 22:37:56 | F1・C級チーム列伝!
話が、旅行の話ばかりに偏ってしまいそうなので今日から新企画を立ち上げます名づけて「F1C級チーム列伝!」F1の世界には毎年のように果敢に巨大チームに対して資本の弱い小チームが対決を挑んでいますがことごとく厚い壁に跳ね返され多くのチームが参戦撤退を余儀なくされましたそこで、このコーナーではそんなあまり日の目を見なかった、下位の小チームにスポットライトを当ててそれぞれの歴史を振り返ってみるというコーナーです


さて、第1話の今日は管理人的には偉大なる小チーム21年間も参戦し続けたミナルディチームをとりあげさせていただきます。


(基本データ)

予選出走台数   636台(歴代7位)

予選最高順位     2位

決勝最高順位     4位



(歴史)

チームは、1985年から参戦。当初は、1台のみのエントリー。2年目から2台体制も予選落ちがしばしばあった。このチームの創成期を語る上で欠かせないのが、P-L・マルティ二である。4年目にチーム初入賞を果たすと、5年目の後半には予選でも速さを見せ度々上位に進出。最高3位になる。さらに、6年目開幕戦にはチームの歴史で最上位の予選2位で世界を驚かせたが信頼性不足もありなかなかポイント獲得ならず。また、マルティ二以外のセカンドドライバーは、予選不通過もしばしばであった。

そんなチームの功績が認められたのか7年目には、フェラーリエンジンを獲得。チーム最高タイの年間7ポイントを獲得。8年目はランボルギーニエンジン搭載もこれが期待はずれで1ポイントに終わる。9年目マルティ二の参戦で再び7ポイントを獲得したがその後は下位グループに定着することに。13年目は、初の日本人ドライバー片山右京、14年目は中野信二が参戦するもポイント獲得には至らなかった。

17年目には、ワールドチャンピオンに輝いたアロンソが参戦。18年目は、現レッドブルのウェバーが参戦し若い才能を数多く発掘してきた。21年目、アメリカGPでミシュランタイヤ勢が参戦中止で6台しか走行しなかったレースできっちり5位6位アベック入賞で、久々のポイント7ポイントを獲得。この年で参戦終了となり、このポイントは今考えると21年間頑張り続けたチームへのささやかな天からのプレゼントだっただったのかもしれませんね。

少ない資金で毎年のように参戦の危機にさらされながらも参戦し続けたこのチームは、歴代の大チームに肩を並べる参戦数歴代7位となっています。このような情熱あふれるチームは今後なかなか見られなくなってしまうでしょうね。

では、不定期なこのコーナーですが次回をお楽しみに

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