ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

鎌倉ハイキング(葛原岡・大仏コース)

2016年03月26日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年3月26日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27度第35回(2016年第11回)、「鎌倉(葛原岡・大仏コース)」ハイキングに参加した。
この日のコースは、2010年12月11日(土)以来5年4か月ぶりとなる。


荒川沖7時13分発の電車は、定刻どおり8時10分に上野駅に到着。
この日の参加者は22名。グループ分けしなくても点呼可能な人数だ。


東海道線直通小田原行き(7番線)に乗り換える。


車内は土曜日の朝にも関わらずけっこう混んでいた。
最初は立っていたが、東京駅、新橋駅で全員座ることができ一安心。


戸塚駅で横須賀線に乗り換える。
横須賀線のホームが東海道線の隣なので、乗り換えには便利である。


横須賀線は空いており、ゆっくり座れた。


9時18分、この日のスタート地北鎌倉駅に到着。


北鎌倉駅


北鎌倉駅前は狭いため、準備体操は省略。
9時32分、出発!


最初に立ち寄ったのは東慶寺
案内には、
鎌倉幕府の第八代執権北条時宗の夫人・覚山志道尼(かくざんしどうに)が開創。
夫から離縁状をもらわない限り、妻からは別れることが出来なかった時代に、
駆け込めば離縁できる女人救済の寺として、開山以来六百年近く縁切りの寺法を引き継いできた、とある。


各自200円を払って境内に入る。
境内にはウメやハナショウブ、アジサイなど様々な花が植えられ、四季を通じて楽しめる、とある。
梅は既に終わっており、桜にはまだ少し早いと思っていたら、何と桜が咲いていた。
それも満開状態である。彼岸桜だそうだ。


”鐘を撞かないでください”
鐘撞き好きのMさんが参加していたら、きっと悔しがったに違いない。


東慶寺は梅で有名だそうだが、花の時期は終わっていた。


東慶寺本堂
枝垂れ桜は一分咲きの状態である。


本堂には、ご本尊の釈迦如来坐像が安置されている。


境内には何故か大仏様も・・・


ハイキングコースへ。
『花の時期にはちょっと早かったようだねっ』


浄智寺
臨済宗円覚寺派に属する禅宗の寺院。
鎌倉五山第4位。山号を金宝山と称する。
鎌倉幕府第五代執権・北条時頼の3男である北条宗政の菩提を弔うために、
弘安六年(1283)に創建された。


上層が鐘楼を兼ねている珍しい形式の山門。
『ここから先は有料なんだよねっ』


特に用事は無いので、左の山道へ進む。


葛原岡神社を目指す。


道幅が狭くなり、


上り坂が始まった。


上り坂がしばらく続く。


木の根っこが張った尾根を進む。


『ハイキングの雰囲気が出て来たわねっ』


下りもあり、起伏に富んでいるコースだ。


源氏山公園を目指す。


10時15分、源氏山公園に到着


『そんなに汗かかなかったわっ』
皆さん、余裕である。


源氏山公園で一休み。
後ろに葛原岡神社の鳥居が見える。


一休みの後、隣の葛原岡神社へ。


葛原岡神社の祭神は、日野俊基卿である。


日野俊基卿は、鎌倉幕府の執政を北条氏から後醍醐天皇の親政にしようとして、幕府に捕えられ、
元弘二年(1332)六月三日、この葛原が丘で露と消えた。


葛原岡神社に深々と参拝


絵馬は、何故か縁結びの願掛けである。
『可愛らしいねぇ書いてることが』


日野俊基卿終焉之地
鎌倉幕府に捕われた日野俊基卿は、元弘二年(1332)六月三日、
この地で悲しい最期を遂げた。


魔去ル石
”魔が去るように願いを込め、盃をこの石に当てて幸せを勝ち取りましょう”案内されている。
「魔が去る」が転じて「勝」ということ、だそうだ。
”ナイスフォーム”Tさん(83歳)
(素焼きの盃一枚100円)


銭洗弁財天宇賀福神社(銭洗弁天)へ向かう。
境内洞窟にある清水で硬貨などを洗うと増えると伝えられていることから、
銭洗弁財天(銭洗弁天)の名で知られる。
坂道を下って行くと、


銭洗弁天へのトンネルがあった。


トンネルを抜けると


10時40分、銭洗弁財天に到着。
源頼朝が、巳年である文治元年(1185)の巳の月(旧暦4月)巳の日に見た霊夢に従い、
佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀ったと伝えられる。
同じく巳年の正嘉元年(1257)に、北条時頼がこの霊水で銭を洗って一族繁栄を祈ったのが
銭洗の始まりだといわれる。


洞窟へ入ってみよう。


洞窟の奥には、銭洗弁財天奥宮があった。


ザルに硬貨を入れて、清水で洗い清める。


一万円札を洗う人も。


『これでお金が増えれば言うことないけどねっ』


境内には七福神社や下之水神宮なども祀られている。


立派な錦鯉だ。


再びトンネルを潜り、


先ほど下りて来た急坂を上り、ハイキングコースに戻る。


葛原岡・大仏ハイキングコースを進む。


海が見えた。
リビエラ逗子マリーナ辺りと思われる。


旧階段を下ると・・・


この道標には記載されていないが、長谷大谷戸交差点(400m)と書かれた数m先に、
佐助稲荷神社の案内があった。
昼食場所として、神社の境内などが考えられる。
佐助稲荷神社は初めてだが、だめ元で佐助稲荷神社へ行ってみることに。


急坂を下る。
『ちょっと怖いね、この坂は』


手摺りに摑まらないと危険である。


11時15分、佐助稲荷神社奥宮に到着


お堂の周りには、おびただしいほどの狐が。


佐助稲荷神社
伊豆の蛭が小島に流されていた源頼朝が病に伏していた時、「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち、
平家討伐の挙兵を促した。
後に幕府をを開いた頼朝は、かくれ里に祠を探しあて、稲荷神社を建てたと伝えられる。
幼少の頃、佐殿(すけどの)と言われていた頼朝を助けたので「佐助」の名を付けたと云われている。


さほど広くない境内には、ベンチのような縁台がいくつかあった。
我々一行が座るのには十分な数である。
境内での昼食の許可をいただき、ここで昼食を摂ることにした。


『ここまで下りて来て良かったわねっ』
心配していたトビの襲来もなかった。
トビは、逃げ道が狭い場所は苦手なのだと思う。


佐助稲荷神社からハイキングコースへ戻ろうとしたら、
大仏へはこの先に平坦な道があることを教えてもらった。


ここはお言葉に甘え、佐助稲荷神社の参道を通って大仏を目指すことにした。


『立派な参道だよねっ』
『こっちは楽で良いねっ』


稲荷神社の参道を抜けると、住宅地に出た。


住宅地の中を進む。


10分ほどで、佐助一丁目交差点に出た。
左が鎌倉駅へ通じ、右へ進むと高徳院(大仏)に通じることになる。


大仏を目指す。


新佐助隧道


新佐助隧道を抜けたところで直ぐ横を元気で愛想の良い人力車が通り過ぎていった。
『あらよっと』
『人力車って良いわねぇ』


人力車も大仏へ向かうようだ。


人力車の後を追い、住宅地を進む。


人通りで混雑する大仏前の土産物店前を通り、


12時10分、高徳院(大仏)山門に到着した。
佐助稲荷神社から30分ほどが経過していた。
「大異山」を記す扁額が掲げられた山門は、18世紀初頭、内部に安置された一対の仁王像とともに
他所より移築されたものと伝えられている。


御手洗で手を洗い清め、


大仏様とご対面。
高徳院のご本尊(国宝銅造阿弥陀如来坐像)は、像高約11.3m、重量約121tを測り、
ほぼ造立当初の像容を保ち、我が国の仏教芸術史上ひときわ重要な価値を有している。
2016年1月13日から実施していた保存・修理作業が、この3月10日に終わったとのこと。
きれいになったとのことだったが・・・


こちらは、2010年12月11日に訪れた時の大仏様
上の写真と比べてあまり変わっていないようにみえる。


大仏様


尊像胎内巡りも支障なく拝観(20円)できるようになったそうだが、
人が列をなしていたので止めた。


全員揃って記念撮影をして、


次の目的地長谷観音へ向かう。
この日のように混雑する時は、目印になる旗の出番である。
旗手を務めるのはK子さんだ。


長谷観音前の交差点を右に曲がり、


12時46分、長谷観音(長谷寺)に到着
長谷観音は、坂東33観音霊場巡りの4番札所で、2009年11月22日(日)に訪れている。


今回は、参拝希望者のみ長谷観音へお参りすることとし、


その間、参拝しない人は、自由に近くを散策することに。
我々は、近くのカフェテラスでのんびりコーヒー(300円)を飲みながら談笑して待つことにした。


長谷観音参拝後、揃って江ノ電長谷駅へ。


いやぁそれにしても実に人が多い。
道路の両側は人の流れが途切れない。
歩道から溢れるほどである。


13時24分、長谷駅に到着


鎌倉行き江ノ電が到着


車内は超満員
『いやっ またこれは凄い人だねぇ』


この日は土曜日とあって、連結車両も満員である。


13時37分、鎌倉駅西口に到着
西口にしたのは、東口の改札口は混雑するためである。


横須賀線の線路を潜って東口へ回る。
『こんな連絡通路があったんだぁ』


鎌倉駅東口へ抜け、小町通りの前を通り、


若宮大路を鶴岡八幡宮へ向かう。


鶴岡八幡宮入口に立つ三の鳥居を潜ると、


鶴岡八幡宮が見えてきた。


舞殿を通過。
ここで、厳かな結婚式を催す人もいるが、この日は見なかった。


鶴岡八幡宮
別称として鎌倉八幡宮とも呼ばれる。


61段の大石段を上ると、


13時58分、本宮前に到着した。
(本宮内は撮影禁止となっているため、撮影はここまで)


無事参拝を終え、鶴岡八幡宮を後にする。


14時13分、帰りは小町通りへ回る。
ここも人通りが多い。それも半数近くは外国人だ。


小町通り(1)


小町通り(2)


小町通り(3)


小町通り(4)


14時26分、小町通りの鳥居前に到着。


14時29分、鎌倉駅に到着。
土産物を買いたい人もいることから、一応ここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『気を付けてっ』


買い物を済ませた人と鎌倉駅改札口に向かう。


鎌倉からは横須賀線で東京駅へ。


横須賀線車内で寛ぐ皆さん。
『ゆっくり座っていけるのは楽で良いわねっ』


『ごちそうさまぁ』
『今日は大変お疲れさまぁ』


鎌倉には何度も足を運んでいる。今回のコースは、5年4か月ぶりとなる。
中でも銭洗弁天、佐助稲荷神社は今回初めて訪れたが、なかなか好評だった。
前回2010年12月11日(土)、ハイキングコースの道端で弁当を食べた苦い経験もあり、
どこで食べようかと悩んでいただけに、佐助稲荷神社の境内で、弁当が食べられたことが印象深い。

この日で平成27年度のウォーキングスケジュールは全て終了した。
しかし、計画した44回のうちの9回が雨で中止となった。
通常、雨や雪の影響で中止というのは年に3-4回あるかないかだったが、今年度のように多い年も珍しい。
来週から新たに平成28年度の計画(45回)が始まるが、雨で中止が少ないことを願うばかりである。

この日の万歩計は、18,000歩に迫ろうとしていた。

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