令和6年(2024年)1月6日(土)
原則隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和5年度(2023年度)第16回、令和6年(2024年)第1回「日本橋七福神巡り」
ウォーキングに参加した。
ここ数年は新年恒例として各地の「七福神巡り」を実施している。
今年は、”日本橋七福神巡り”を企画した。
通常であれば5日の金曜日に実施するところだが、通勤時間帯は避けるべきということで、
6日(土)に実施することにした。
荒川沖駅8時48分発の電車を待っているところ。
8時48分ちょうど、電車がやって来た。
取手付近の車内の様子。
当会のほぼ全員が揃って座り、楽しいひと時を過ごす。
まだ若干の空席が見られる。土曜日への変更は正解だ。
9時38分、北千住駅に到着し、
東京メトロ日比谷線へ。
日比谷線ホームに到着すると直ぐに中目黒行電車がやって来た。
グッドタイミングで中目黒行に乗車。
日比谷線車内はかなり混んでいたが、平日はもっと混むのかも・・・
10時01分、人形町駅に到着。
人形町駅A2出口(水天宮方面)へ向かう。
水天宮前交差点方面の出口へ。
A2出口付近にあった周辺地図で現在地を確認。
すぐ前の道路は、”甘酒横丁”と呼ばれているようだ。
出発前に点呼を取ると、この日の参加者は24名。
20名前後と想定していたので、予想を上回る参加者である。
年末に一応この日のコースの下見はしておいたが、全員無事にゴールすることを願って、
10時7分、最初の小網神社(福禄寿)を目指して、出発!
甘酒通りを進む。
身体の半分を突き出している鯨のモニュメント前を通過。
しばらく甘酒通りを進むと・・・
小網神社の案内表示板があった。
案内表示に従って進むと、左側に小網神社があった。
既に長い行列が出来ていた。
整理&誘導の人たちも見ることが出来る。
行列は小網神社のあるビルの一角から隣のタナベビルの先で右へと続いるようだ。
一つは銭洗いの行列で、タナベビルの端が最後尾となっているが・・・
もう一つの小網神社の行列は、タナベビルの先の道路を渡った所にある小公園の先まで
延々と続いていた。
ここから最後尾の位置は確認できない。
行列に並ぶかどうか迷っていたところ、NKさんから情報が入った。
最後尾の案内人に確認したら、”2時間待ち”と言われた、そうだ。
女性陣に小公園の端っこで待ってもらってる間、役員で相談した結果、小網神社の参拝は
パスしようということに。
七福神巡りも大事だが、あくまでも当会の目的はウォーキングであるため、ウォーキングを
優先しようということで意見が一致した。
皆さんに説明して納得していただいた。
参考までに昨年12月23日の下見の際に撮った写真を載せておく。
小網神社
福禄寿の像
小網神社の参拝はパスして、次の「茶の木神社」へ。
10時35分、銀杏八幡宮(銀杏稲荷)前を通過
銀杏稲荷には参拝者の姿はなかった。
『さすがに今はこの神社に参拝する人はいないよねっ』
10時40分、茶ノ木神社に到着。
茶ノ木神社には布袋尊が祀られている。
狛犬が狐なのをみると、稲荷神社ということになる。
茶ノ木神社は参道が殆どないので、我々だけでも道路にはみ出て並ぶことになる。
茶ノ木神社に参拝!
茶ノ木神社に無事参拝を終え、次に目指すは水天宮だ。
人形町通りの水天宮交差点から目指す水天宮がはっきりと見えた。
交差点を渡り、人形町通りを少し進むと、
水天宮への入口があった。
薄暗い石段を上ると、正面に水天宮の本殿が現れた。
こちらは七福神の寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)を祀るお堂だ。
かなりの参拝者が並んでいる。
寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)を正面から見たところ。
水天宮の狛犬
ブリヂストンの創立者である石橋正二郎氏によるご奉納とのこと。
水天宮の本殿に参拝!
寳生辨財天には少し離れた所から手を合わせただけで、水天宮を後にした。
入った所とは別の石段を通り、水天宮を後にした。
蛎殻町(かきがらちょう)のビルの間を進み、最初の信号を左に折れて進む。
次に目指すのは大国神を祀る松島神社である。
暫く進むと新大橋通りに出た。
この辺りは大きなビルが立ち並ぶ。
信号を渡って大門通りをちょこっと進むと、11時10分、松島神社に到着した。
松島神社にはあまり参拝者は並んでいなかった。
『あまり待たなくても済みそうねっ』
おかげで直ぐに参拝することが出来た。
次の目的地は毘沙門天を祀る末廣神社だが・・・
甘酒通り???
下見の時には通らなかったはずだが・・・
通りを一つ間違えてしまい、目指す末廣神社がなかなか見つからない。
近くに来ているのは間違いないのだが・・・
皆さんと一緒に探し回ること約10分、ようやく末廣神社を見つけることが出来た。
目指す末廣神社だ。
かなりの人が並んでいた。
10分くらい並べば済むだろうと考え、ここは列の最後尾に並ぶことにした。
末廣神社の沿革
末廣神社は、江戸時代の初期に吉原(当初葭原と称した)がこの地にあった当時
(元和3年から明暦3年)、その地主神産土神として信仰されていました。
明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新和泉町の
四か所の氏神として信仰されていました。
社号の起源は、延宝三年社殿修復の際、年経た中啓(扇)が発見されたので、氏子の人達が
悦び祝って末廣の二字を冠したものです。
末廣神社の鳥居を潜り、
列に並ぶこと凡そ10分後の11時43分、末廣神社本殿に到着し、参拝!
”毘沙門天像は、彫刻家浮田麻木氏が一木造で彫られた木像を御奉納いただき
お祀りしております” と紹介されている。
末廣神社の狛犬
新たに並んだ人たちの列を見ながら、次の目的地笠間稲荷神社へ向かった。
11時56分、金座通りを5-6分進んだ所に鎮座する笠間稲荷神社に到着した。
笠間稲荷神社の七福神は寿老神である。
笠間稲荷神社の正面の鳥居へ。
当会の皆さんも列を作って行儀よく並ぶ。
正面の鳥居を潜り、
並んで参拝の順番待ちをしているところ。
笠間稲荷神社本殿へ、参拝!!
神社境内の奥には稲荷神の御遣いとなる神使であるたくさんの狐が祀られていた。
笠間稲荷神社の臨時に設けられた縁起物売り場前を通り、
金座通りに面した方の鳥居を潜り、戻ることにした。
金座通りを人形町方面へ戻る際、道路反対側に久松警察署が見えた。
道路を渡り、久松警察署に隣接する久松児童公園で一休みしていくことにした。
12時17分、この日最後の目的地、恵比寿神を祀る椙森(すぎのもり)神社を目指して出発。
人形町交差点を右に曲がって、人形町通りを少し進むと・・・
玄冶店(げんやだな)跡の説明板が
以下のように説明されている。
江戸時代初期、新和泉町(人形町三丁目)のこの辺りは、幕府の医師であった岡本玄冶の
拝領屋敷があったことから「玄冶店」と呼ばれていました。
岡本玄冶(1587-1645)は京都に生まれ、医術を曲直玄朔(まなげんさく)に学びました。
元和九年(1623)、京都に上洛中の徳川家光が江戸へ帰る際に侍医として招かれ、
幕府の医師となりました。
後に法眼から法印に叙せられて啓迪院(けいてきいん)と号しました。
(中略)
玄冶店の名は、歌舞伎狂言作者の三代瀬川如皐が脚色し、嘉永六年(1853)に中村座で初演された
「与話情浮名の横櫛」の「源氏店(玄冶店)の場」の一幕で、お富と切られ与三郎の情話の舞台
となり、その名が広く世に知られるようになりました。
平成十六年三月 中央区教育委員会
史跡 玄冶店 碑
人形町通りを進み、左に折れてさらに右へ曲がると・・・
12時28分、椙森(すぎのもり)神社に到着した。
椙森(すぎのもり)神社に参拝!!
椙森神社の創建は、社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が
戦勝祈願をした所と云われています。
室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞祈願のために山城国(京都府)伏見稲荷の伍社の神を
勧請して厚く信仰した神社でした。
そのために江戸時代には、江戸城下の三森(烏森・柳森・椙森)の一つに数えられ、
椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集めました。
(中略)
境内には富塚の碑が鳥居の脇に立ち、当社で行われた富興行を偲んで大正8年に建てられたもの
(昭和28年に再建)で、富札も残されており、社殿と共に中央区民文化財に登録されています。
平成8年3月 中央区教育委員会
富塚の碑
(前略)
この富塚は、他に類を見ないと言われ、日本で唯一のものです。
今日では、宝くじの元祖として、多くの人々が心中祈願をしているようです。
境内にはたくさんの絵馬が奉納されていた。
この日最後の目的地である椙森神社の参拝を済ませたので、ゴールの東京メトロ銀座線の
三越前駅へ向かうことにしよう。
ビルの谷間を通ってしばらく進むと、昭和通り(首都高都心環状線)に出た。
少し左側へ行くと横断歩道があった。
首都高都心環状線の下を横断して昭和通りを渡り、
江戸桜通りを中央通りの三越前方面へ。
日本橋コレド室町で食事をして行きたいというKS夫妻とはここで分かれ、三越前へ。
コレド室町前を通過
『凄くモダンでお洒落な感じだね~っ』
12時58分、中央通りに到着した。
向い側に三越本店が見える。
中央通りを横断して、三越前へ。
この日は三越の獅子像前辺りで解散することにした。
ここからは皆さん思い思いの方へ。
『皆さ~ん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『気を付けてね~っ』
我々一行は、やや疲れが出たので、一駅だけだが銀座線で日本橋駅へ向かうことにした。
日本橋八重洲で食事を済ませれば、東京駅から常磐線に最も近いというメリットが得られる。
東京メトロ日本橋駅からは、何人かは好みの場所があるのか、雑踏に消えて行った。
日本橋八重洲付近は地理不案内なため、好みの店を探して街中を歩き周った。
とあるビルの地下入口にうなぎ専門の看板を見つけた。
値段も手ごろ(鰻重上:1,900円、特上:2,900円)だし、生ビールもある。
お腹も空いていたので、思い切って店に入ることにした。
先ずは生ビールで『かんぱ~い』 『お疲れさまでしたぁ』
『今日の生は特別に美味いねっ』
『最初はどうなるかと思ったけど、終わってみれば良かったんじゃないですかねっ?』
『ほんとだよねっ! ビールも最高っ!!』
注文した鰻重上が運ばれて来た。
お腹が空いていたからかも知れないが、とても美味しかった。
これで税込み1,900円はリーズナブルである。
次に東京駅に来た時には必ず立ち寄ることにしよう。
その時は特上を注文したい。
東京駅八重洲の大丸ビルを見上げながら・・・
東京駅へ。
14時21分、東京駅北口に到着した。
この後、14時44分発の常磐線水戸行に乗車し、荒川沖駅には15時53分に到着した。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
本年第1回目の例会(日本橋七福神巡り)が無事終わった。
初っ端から参拝をパスすることになり、この先どうなることかと心配したが、その後は
特に大きなトラブルも無く、ほぼ順調に参拝を済ませることが出来て、安堵している。
昨年は、一度も休むこと無く例会に参加出来たが、今年も全会参加を目標に、元気に
楽しく歩きたいと願っている。
この日の万歩計は、10,000歩を計測していた。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。
原則隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和5年度(2023年度)第16回、令和6年(2024年)第1回「日本橋七福神巡り」
ウォーキングに参加した。
ここ数年は新年恒例として各地の「七福神巡り」を実施している。
今年は、”日本橋七福神巡り”を企画した。
通常であれば5日の金曜日に実施するところだが、通勤時間帯は避けるべきということで、
6日(土)に実施することにした。
荒川沖駅8時48分発の電車を待っているところ。
8時48分ちょうど、電車がやって来た。
取手付近の車内の様子。
当会のほぼ全員が揃って座り、楽しいひと時を過ごす。
まだ若干の空席が見られる。土曜日への変更は正解だ。
9時38分、北千住駅に到着し、
東京メトロ日比谷線へ。
日比谷線ホームに到着すると直ぐに中目黒行電車がやって来た。
グッドタイミングで中目黒行に乗車。
日比谷線車内はかなり混んでいたが、平日はもっと混むのかも・・・
10時01分、人形町駅に到着。
人形町駅A2出口(水天宮方面)へ向かう。
水天宮前交差点方面の出口へ。
A2出口付近にあった周辺地図で現在地を確認。
すぐ前の道路は、”甘酒横丁”と呼ばれているようだ。
出発前に点呼を取ると、この日の参加者は24名。
20名前後と想定していたので、予想を上回る参加者である。
年末に一応この日のコースの下見はしておいたが、全員無事にゴールすることを願って、
10時7分、最初の小網神社(福禄寿)を目指して、出発!
甘酒通りを進む。
身体の半分を突き出している鯨のモニュメント前を通過。
しばらく甘酒通りを進むと・・・
小網神社の案内表示板があった。
案内表示に従って進むと、左側に小網神社があった。
既に長い行列が出来ていた。
整理&誘導の人たちも見ることが出来る。
行列は小網神社のあるビルの一角から隣のタナベビルの先で右へと続いるようだ。
一つは銭洗いの行列で、タナベビルの端が最後尾となっているが・・・
もう一つの小網神社の行列は、タナベビルの先の道路を渡った所にある小公園の先まで
延々と続いていた。
ここから最後尾の位置は確認できない。
行列に並ぶかどうか迷っていたところ、NKさんから情報が入った。
最後尾の案内人に確認したら、”2時間待ち”と言われた、そうだ。
女性陣に小公園の端っこで待ってもらってる間、役員で相談した結果、小網神社の参拝は
パスしようということに。
七福神巡りも大事だが、あくまでも当会の目的はウォーキングであるため、ウォーキングを
優先しようということで意見が一致した。
皆さんに説明して納得していただいた。
参考までに昨年12月23日の下見の際に撮った写真を載せておく。
小網神社
福禄寿の像
小網神社の参拝はパスして、次の「茶の木神社」へ。
10時35分、銀杏八幡宮(銀杏稲荷)前を通過
銀杏稲荷には参拝者の姿はなかった。
『さすがに今はこの神社に参拝する人はいないよねっ』
10時40分、茶ノ木神社に到着。
茶ノ木神社には布袋尊が祀られている。
狛犬が狐なのをみると、稲荷神社ということになる。
茶ノ木神社は参道が殆どないので、我々だけでも道路にはみ出て並ぶことになる。
茶ノ木神社に参拝!
茶ノ木神社に無事参拝を終え、次に目指すは水天宮だ。
人形町通りの水天宮交差点から目指す水天宮がはっきりと見えた。
交差点を渡り、人形町通りを少し進むと、
水天宮への入口があった。
薄暗い石段を上ると、正面に水天宮の本殿が現れた。
こちらは七福神の寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)を祀るお堂だ。
かなりの参拝者が並んでいる。
寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)を正面から見たところ。
水天宮の狛犬
ブリヂストンの創立者である石橋正二郎氏によるご奉納とのこと。
水天宮の本殿に参拝!
寳生辨財天には少し離れた所から手を合わせただけで、水天宮を後にした。
入った所とは別の石段を通り、水天宮を後にした。
蛎殻町(かきがらちょう)のビルの間を進み、最初の信号を左に折れて進む。
次に目指すのは大国神を祀る松島神社である。
暫く進むと新大橋通りに出た。
この辺りは大きなビルが立ち並ぶ。
信号を渡って大門通りをちょこっと進むと、11時10分、松島神社に到着した。
松島神社にはあまり参拝者は並んでいなかった。
『あまり待たなくても済みそうねっ』
おかげで直ぐに参拝することが出来た。
次の目的地は毘沙門天を祀る末廣神社だが・・・
甘酒通り???
下見の時には通らなかったはずだが・・・
通りを一つ間違えてしまい、目指す末廣神社がなかなか見つからない。
近くに来ているのは間違いないのだが・・・
皆さんと一緒に探し回ること約10分、ようやく末廣神社を見つけることが出来た。
目指す末廣神社だ。
かなりの人が並んでいた。
10分くらい並べば済むだろうと考え、ここは列の最後尾に並ぶことにした。
末廣神社の沿革
末廣神社は、江戸時代の初期に吉原(当初葭原と称した)がこの地にあった当時
(元和3年から明暦3年)、その地主神産土神として信仰されていました。
明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新和泉町の
四か所の氏神として信仰されていました。
社号の起源は、延宝三年社殿修復の際、年経た中啓(扇)が発見されたので、氏子の人達が
悦び祝って末廣の二字を冠したものです。
末廣神社の鳥居を潜り、
列に並ぶこと凡そ10分後の11時43分、末廣神社本殿に到着し、参拝!
”毘沙門天像は、彫刻家浮田麻木氏が一木造で彫られた木像を御奉納いただき
お祀りしております” と紹介されている。
末廣神社の狛犬
新たに並んだ人たちの列を見ながら、次の目的地笠間稲荷神社へ向かった。
11時56分、金座通りを5-6分進んだ所に鎮座する笠間稲荷神社に到着した。
笠間稲荷神社の七福神は寿老神である。
笠間稲荷神社の正面の鳥居へ。
当会の皆さんも列を作って行儀よく並ぶ。
正面の鳥居を潜り、
並んで参拝の順番待ちをしているところ。
笠間稲荷神社本殿へ、参拝!!
神社境内の奥には稲荷神の御遣いとなる神使であるたくさんの狐が祀られていた。
笠間稲荷神社の臨時に設けられた縁起物売り場前を通り、
金座通りに面した方の鳥居を潜り、戻ることにした。
金座通りを人形町方面へ戻る際、道路反対側に久松警察署が見えた。
道路を渡り、久松警察署に隣接する久松児童公園で一休みしていくことにした。
12時17分、この日最後の目的地、恵比寿神を祀る椙森(すぎのもり)神社を目指して出発。
人形町交差点を右に曲がって、人形町通りを少し進むと・・・
玄冶店(げんやだな)跡の説明板が
以下のように説明されている。
江戸時代初期、新和泉町(人形町三丁目)のこの辺りは、幕府の医師であった岡本玄冶の
拝領屋敷があったことから「玄冶店」と呼ばれていました。
岡本玄冶(1587-1645)は京都に生まれ、医術を曲直玄朔(まなげんさく)に学びました。
元和九年(1623)、京都に上洛中の徳川家光が江戸へ帰る際に侍医として招かれ、
幕府の医師となりました。
後に法眼から法印に叙せられて啓迪院(けいてきいん)と号しました。
(中略)
玄冶店の名は、歌舞伎狂言作者の三代瀬川如皐が脚色し、嘉永六年(1853)に中村座で初演された
「与話情浮名の横櫛」の「源氏店(玄冶店)の場」の一幕で、お富と切られ与三郎の情話の舞台
となり、その名が広く世に知られるようになりました。
平成十六年三月 中央区教育委員会
史跡 玄冶店 碑
人形町通りを進み、左に折れてさらに右へ曲がると・・・
12時28分、椙森(すぎのもり)神社に到着した。
椙森(すぎのもり)神社に参拝!!
椙森神社の創建は、社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が
戦勝祈願をした所と云われています。
室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞祈願のために山城国(京都府)伏見稲荷の伍社の神を
勧請して厚く信仰した神社でした。
そのために江戸時代には、江戸城下の三森(烏森・柳森・椙森)の一つに数えられ、
椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集めました。
(中略)
境内には富塚の碑が鳥居の脇に立ち、当社で行われた富興行を偲んで大正8年に建てられたもの
(昭和28年に再建)で、富札も残されており、社殿と共に中央区民文化財に登録されています。
平成8年3月 中央区教育委員会
富塚の碑
(前略)
この富塚は、他に類を見ないと言われ、日本で唯一のものです。
今日では、宝くじの元祖として、多くの人々が心中祈願をしているようです。
境内にはたくさんの絵馬が奉納されていた。
この日最後の目的地である椙森神社の参拝を済ませたので、ゴールの東京メトロ銀座線の
三越前駅へ向かうことにしよう。
ビルの谷間を通ってしばらく進むと、昭和通り(首都高都心環状線)に出た。
少し左側へ行くと横断歩道があった。
首都高都心環状線の下を横断して昭和通りを渡り、
江戸桜通りを中央通りの三越前方面へ。
日本橋コレド室町で食事をして行きたいというKS夫妻とはここで分かれ、三越前へ。
コレド室町前を通過
『凄くモダンでお洒落な感じだね~っ』
12時58分、中央通りに到着した。
向い側に三越本店が見える。
中央通りを横断して、三越前へ。
この日は三越の獅子像前辺りで解散することにした。
ここからは皆さん思い思いの方へ。
『皆さ~ん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『気を付けてね~っ』
我々一行は、やや疲れが出たので、一駅だけだが銀座線で日本橋駅へ向かうことにした。
日本橋八重洲で食事を済ませれば、東京駅から常磐線に最も近いというメリットが得られる。
東京メトロ日本橋駅からは、何人かは好みの場所があるのか、雑踏に消えて行った。
日本橋八重洲付近は地理不案内なため、好みの店を探して街中を歩き周った。
とあるビルの地下入口にうなぎ専門の看板を見つけた。
値段も手ごろ(鰻重上:1,900円、特上:2,900円)だし、生ビールもある。
お腹も空いていたので、思い切って店に入ることにした。
先ずは生ビールで『かんぱ~い』 『お疲れさまでしたぁ』
『今日の生は特別に美味いねっ』
『最初はどうなるかと思ったけど、終わってみれば良かったんじゃないですかねっ?』
『ほんとだよねっ! ビールも最高っ!!』
注文した鰻重上が運ばれて来た。
お腹が空いていたからかも知れないが、とても美味しかった。
これで税込み1,900円はリーズナブルである。
次に東京駅に来た時には必ず立ち寄ることにしよう。
その時は特上を注文したい。
東京駅八重洲の大丸ビルを見上げながら・・・
東京駅へ。
14時21分、東京駅北口に到着した。
この後、14時44分発の常磐線水戸行に乗車し、荒川沖駅には15時53分に到着した。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
本年第1回目の例会(日本橋七福神巡り)が無事終わった。
初っ端から参拝をパスすることになり、この先どうなることかと心配したが、その後は
特に大きなトラブルも無く、ほぼ順調に参拝を済ませることが出来て、安堵している。
昨年は、一度も休むこと無く例会に参加出来たが、今年も全会参加を目標に、元気に
楽しく歩きたいと願っている。
この日の万歩計は、10,000歩を計測していた。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。