年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

根岸の杵屋勘五郎

2015年07月26日 | 宅老のグチ

 

新聞日本の社主であった 羯南(くが かつなん)のことを再度調べていると根岸の本が出てきた。この本の中で根岸の勘五郎という言葉があった。

 明治維新時、幕臣だった長井昌言は他の幕臣と異なり静岡に行かず、東京で芸事を兄弟でしていたという。この芸事とは子孫の言動から杵屋さんと関係がありそうとみていたが中々根拠のある資料が見つからなかった。想像だが維新後芸事が一時すたれ、長唄で生計を立てていた人は苦労したようだ。そこで旧幕臣の長井昌言が助けていたのではなかったのだろうか。明治6年長井が死去するとどのような縁か根岸に住んだ。大原幽学の関係の八石教会ものちに根岸に拠点を設けた。東千葉の人達か杵屋の人達の応援があったかもしれない。想像が膨らむ。

コメント
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