年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

根岸党と根岸派の交流

2015年07月23日 | 福神漬

 

うっかりしていたが短歌の根岸派と根岸党と地名が同じだが文学史の本などで、別の集団と書かれていたので別物と思っていたが今新聞博物館で開催されている 羯南 (くが・かつなん)の展示を見て、お互いの交流があったように思える。

 今度の展示会で新聞日本の本社の位置が神田区雉子町32となっていた地図があった。同一の位置にあった団団珍聞のことが何も展示なく、また新聞日本の支援者であった元芸州藩主浅野 長勲(あさの ながこと)との関係が展示されていたが元芸州藩士野村文夫との関係が消えていた。同じ敷地で新聞日本の記者と団団珍聞の記者との交流がなかったのだろうか。

 このことは明治政府の言論弾圧を避けるため、意図的に隠されていたのだろうか。

コメント
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