年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

淡島寒月のべったら市

2009年03月26日 | べったら市
淡島寒月のべったら市
 『梵雲庵雑話・ぼんうんあんざつわ』
10月 べったら市
今日でも大伝馬町辺でやっているが、当時(江戸時代)は頗る盛んで市場の若い衆がべったら・べったらと言って糟のままの大根を振り回して、買い物に出てきた娘子どもの顔になすりつけようとする。それに付近の職人や若い者など交じって見物と一緒になって騒ぐ。実に割れるような騒ぎであった。

 淡島寒月の実家は木綿問屋系でなかったため、えびす講のべったら市の表面的な面しか分からなかったと思われる。しかし当時は糟という言葉が出ているように今のべったら漬とは違って酒糟を付けていた大根だったかもしれない。もしくは麹を付けたものだっただろう。江戸っ子はべったら漬とは言わず浅漬大根というので実際どちらか分からない。両方あっても不思議でない。
コメント
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