年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

新聞経営の危機

2009年03月06日 | 福神漬
新聞経営の危機
100年に一度の不景気がアメリカでは150年前に創刊された新聞等が次々と廃刊・休刊に追い込まれている。それはインターネットの普及と不況によって広告が減ったためと言われる。
 明治時代は新聞の創刊・休刊・廃刊・発行禁止がしばしばあって、読者層拡大の大きな流れは大新聞から小新聞に向っていった。大新聞とは政治等を扱い、風俗の事件とか芸能情報とかは少ししか扱わなかった。それに対して読売新聞などの小新聞といわれる新聞は一般庶民の興味を持つ記事を広く載せ販売部数を拡大した。
 最後の大新聞といわれる『 日本新聞 』は陸掲南が社長で根岸に住んでいた。後に正岡子規は日本新聞に入社し、日本新聞社社長の陸の隣に住み、そこで亡くなった。子規も根岸に住んだが根岸派・根岸党とは関係ないようだが交友があったと思われる。明治22年ころ不忍池のほとりに僅かな期間住んだがそこで福神漬は食べたのだろうか。資料はない。お堅い大新聞は最後に部数が減り買収された。正岡子規の墓の墓銘碑に日本新聞社社員となっているという。
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