年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

淡島寒月 気風

2009年03月27日 | 福神漬
淡島寒月 梵雲庵雑話より
江戸か東京か
江戸の人は田舎者をバカにしきっていた。江戸ッ子でないものは人でないような扱いをしていたのは、一方からいうと、江戸が東京となって、地方人に蹂躙せられた、本来江戸ッ子とは比較にもならないトンマな地方人などに、江戸を奪われたという敵愾心が、江戸ッ子の考えの中にめいめいにあったので、地方人を敵視するような気風もあったようだ。
 幕府の関係者でなくとも商人の子でも明治と言う風俗の激変が元江戸っ子の気風から来る時代に対しての憤慨が現れている。このような時代に寒月は英語を学び、洋風化した家に住み欧米文化にあこがれた人でもあった。日本橋から横浜・神田・湯島・浅草などを転々と住居を替え下谷の気風に染まって行く。官や新聞の世界に向わず趣味の世界に向ってゆく人でもあった。
福神漬の周囲の人々はどちらかというと反権力・親趣味人・反薩長・親幕府・懐旧趣味人が多く、そのネットワークの上で広まっていった気がする。
コメント
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