チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

バイリンガル? いえ、トリリンガル

2005年02月02日 06時24分37秒 | Weblog
ミグロの例の、「M-Budget」牛乳です。

スイスで売られている商品の大半は、このミルクのように、3言語で商品名が記されています。これは、上からドイツ語・フランス語・イタリア語でそれぞれ「(脱脂していない)全乳」と書かれています。

スイスの「国語」は、ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語の4つですが、ロマンシュ語人口は、700万人のうちのわずか5万人ほどなので、前3つが実質的に「主な言語」ということになります。その事情を商品名表示も反映しているわけです。

ドイツ語圏スイス人にとって、母語であるスイス・ドイツ語は「国語」ではありません。国語(そして公用語)はドイツのドイツ語(いわゆる Hochdeutsch)なので、これは学校で習い覚えないといけない。くわえてフランス語、さらにはイタリア語、また英語(は公用語でないけど)も習う人が少なくありません。つまり、母語以外に2つ、3つ、人によっては4つ以上の言語を習うことになります。バイリンガルなんてのは極めて普通で、トリリンガルだって珍しくないのが(ドイツ語圏の)スイス人なのです。(フランス語圏スイス人は事情が違います。ドイツ語ができない人も結構いるとか。)

今日、チューリヒからインターシティ(特急列車)に乗った妻が教えてくれた話。通路を隔てた席に座っていたお姉さんが、向かいの席のおばさんになにやら英語で尋ねたそうです。するとそのおばさん(スイス人)、英語で流暢に受け答えしていた。どうやらこのお姉さんはカナダから来た旅行者で、乗換えの接続のことなどなどを聞いていたらしいというのです。

ところが、このお姉さんが、自分はケベック州から来た、周りはフランス語ばっかり、と言った途端、そのおばさんは見事なまでにフランス語に切り替えて話し始めたそうです。(このおばさんがドイツ語圏スイス人なことは、車掌とスイス・ドイツ語で話したことからわかったとのこと。)

このおばさん、ドイツ語圏スイス人の典型といって差し支えないでしょう。複数の言語を上手に切り替えて話せる能力には、ほんとうに頭が下がります。

フランス語圏を目の前にしているベルンと違って、チューリヒではフランス語を耳にすることがあまりありませんし、小学校でまず教えるべき外国語はフランス語でなく英語だという主張もチューリヒには根強くあります。しかし、多言語社会という現実の中で、その現実に対応すべく、いくつもの言語を習得しようとする努力はやはり称賛に値すると思わずにはいられません。

もちろん、必要だからこそ出来るようになる、ということはあります。その意味では、外国語ができなくてもあまり不便をきたさない社会に生きていることは幸せなのかもしれません。だからこそ、英語だけでヒーヒー言っていられるわけです。

しかし、いくつもの言語が飛び交う社会の中で、言葉の通じないストレスにも直面しながら生きているからこそ、その壁を何とか乗り越えようとする努力も生まれてくるのだし、わからない相手をなんとかわかろうとする気持ちも(結果としてわからないにせよ!)、養われるのではないかとも思います。

先日、ある小さなパーティに招かれたのですが、そこで、アフリカから来た家族に出会いました。コンゴ(旧ザイール)人とモーリタニア人の夫婦でしたが、二人はフランス語で話しており、ドイツ語はほとんど話さないとのこと。仕方なく、昔習ったフランス語をたどただしく使いながら話しました。とうにさび付いてしまったフランス語では、こちらが言えることも、また理解できることも、チューリヒで日常的に使っているドイツ語に比べればほんの僅かでしかないのですが、それでも、言葉が通じ、互いの身の上を話し合えたことで、互いの距離がぐんと近くなったような気持ちになれたことは確かです。彼のほうは現在、チューリヒで仕事をしているけれど、やっぱりドイツ語では苦労しているとのこと。その気持ちはよくわかります。

チューリヒの町にいると、毎日いろいろな言語を耳にします。ドイツのドイツ語、英語、イタリア語、そして中国語なんてのは珍しくありませんが、そのほかにも、何語なのかわからない言語がトラムの中や通りで聞こえます。他言語の人にとっては、日本語もその「わからない言語」の一つに入るのでしょう。そんな中で暮らしていると、英語だけでは世界はわからない、ということが現実味を持って迫ってくるのを感じます。上の牛乳だって示しているではありませんか、いろいろな言語の人がスイスには暮らしているんだということを。